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    "origin": "創業家（1928年創業）。戦後の1946年に合名会社伊藤食品工業として事業を再興し、1948年の株式会社への改組を経て社長を務めた",
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        "source": "私の履歴書 経済人18（日本経済新聞社、1981年）",
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          "text": "1908年11月に三重県四日市市富田町で生まれ、富田高等小学校を卒業した。大阪の海産物問屋で4年間奉公したのち、1928年11月に大阪市北区で伊藤食品加工業を創業した。この店は1930年春に倒産し、神戸へ移って1932年3月に食肉加工を始めた。戦後の1946年4月には合名会社伊藤食品工業を設立して事業を再興し、自ら興した会社をそのまま率いた。"
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          "text": "社長には自ら興した事業を法人に改めた流れで就任しており、前任者はいない。1948年6月に合名会社を伊藤栄養食品工業株式会社へ改組し、1961年1月に商号を伊藤ハム栄養食品へ変えた。1979年の日本経済新聞の連載の時点でも社長を務め、長男の伊藤研一氏が専務、次男の伊藤協治氏と三男の伊藤正視氏が常務として経営に加わっていた。1981年7月に伊藤研一氏が社長に就任した。"
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          "text": "1946年4月に統制外のさめ肉を原料にした魚肉ソーセージを売り出し、1948年には原料を畜肉へ全面的に切り替えた。氷水で洗って臭みを抜く寄せハムの製法は、同業の技術幹部を集めて公開した。プレスハムの物品税の撤廃を大蔵省に求め、1949年に課税が外れた。1959年6月に目黒工場、1960年11月に西宮工場を稼働させ、1961年10月に株式を上場した。"
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          "text": "伊藤傳三氏は1908年11月に三重県四日市市富田町の漁師町で生まれ、富田高等小学校を出たのち大阪の海産物問屋に丁稚として入った。4年の奉公のあいだに小番頭へ上がり、魚肉でんぶや海苔の佃煮の作り方を覚えた。独立する業種を決めるため梅田の阪急百貨店の食品売り場に通い、品目ごとに原料・製法・流通経路を調べたところ、かまぼこや缶詰はほとんど大手の手にあり、新参者が入る余地はなかった。残ったのが、神戸や大阪で家内工業として細々と作られていたハム・ソーセージだった。\n1928年11月、20歳で大阪市北区深田町に伊藤食品加工業を創業した。資本金2,000円はおじ2人と郷里の知人から借りて全額をまかない、最初の商品は魚粉を混ぜた海苔の佃煮「汐の華」とした。1年ほどで店員7〜8人・女工20人まで増加したが、昭和恐慌で問屋が原価を割る値しか付けなくなり、1930年春に倒産した。借入金は25%を返して残りの免除を受け、同年夏に東京へ出た。\n再起の場所は神戸だった。葺合区琴緒町の借家の1階を工場とし、借入れに頼らない方針で魚肉ソーセージから製造を始めた。畜肉品の半値近い卸値で阪急・大丸へ納めたものの、腸のケーシングから水気が漏れて傷み、返品が続いた。百貨店への納入を止めて研究に移り、塩漬けの温度を一定に保って臭みを抜き、性質の違う原料を結着させる熟成の方法を身につけた。1934年には赤いセロハンの断ちくずで1本10匁ずつ包んだセロハンウインナを卸値5銭で売り出し、本数で勘定できる手軽さが神戸市内の飲食店に受けた。\n戦災で工場を失ったのち、1946年に統制外で買い手の少なかったさめ肉を原料に選び、焼け跡のれんがで釜を築いて製造を再開した。同年4月に魚肉の「ニューソーセージ」を発売し、7月末には灘区備後町に新工場を建てて、資本金19万5,000円の合名会社伊藤食品工業として再出発した。1947年7月からは氷水で洗って臭みを抜く方法で雑肉の寄せハムを作り、1948年には魚肉をやめて畜肉に切り替えた。同年6月に株式会社へ改組し、プレスハムの販売に合わせて仲買人を通さない直営の営業所を関西に置いた。\n1957年夏、東京のテレビで水産会社の魚肉ハム・ソーセージの広告が目立つのを見て、整地を進めていた西宮より東京進出を先にすると決め、1959年6月に目黒工場を完成させた。豚肉の不足に備えてマトンの脱血・脱臭法を研究しており、1958年にニュージーランドから3,000トンを輸入してプレスハムの主原料に加えた。1960年11月に西宮工場が操業し、1961年1月に伊藤ハム栄養食品へ商号を改めたうえで、同年10月に東京・大阪の市場第二部と神戸証券取引所に上場した。"
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