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      "title": "極東煉乳から明治乳業への商号変更と、明治製菓の乳製品部門の経営受任・全面譲受",
      "subtitle": "新しい会社を興すか、古い法人へ寄せるか——明治系に二つ並んでいた乳業を一本にまとめる道筋",
      "status": "implemented",
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      "issue": "グループ内に並立した乳業の一本化",
      "decider": "相馬半治（明治会長）・有島健助（極東煉乳会長）",
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1940年12月、極東煉乳が商号を明治乳業へ変更し、同じ月に明治製菓の乳製品部門の経営を受任した。新しい会社を設立したのではなく、1917年設立の極東煉乳を存続法人として、明治系に二つ並んでいた乳業を一つの法人へ寄せた再編である。全面譲受は1943年9月に行われた。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "北海道では酪連と練乳各社が原料乳をめぐって長く対立していた。1940年1月、町村敬貴氏が黒沢酉蔵氏に統合を持ちかけ、8月17日の嵯峨野会談で道内事業を北海道興農公社へ集める案がまとまる。極東煉乳の有島健助会長は、この席を同系の相馬半治氏に一切委任して欠席した。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "商号変更と明治製菓乳製品部門の経営受任を1940年12月に同時に行い、1941年4月に北海道所在の全工場を興農公社へ現物出資、同年6月に東京牛乳運輸を設立した。1943年9月に明治製菓の乳製品部門を全面譲受し、会社銀行八十年史は明治製糖の二牧場の譲受も記している。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "原料地である北海道の工場を手放す代わりに、明治系の乳業を一本化して本州の乳製品事業に専念した。1942年には明治製菓の専務であった植垣弥一郎氏が社長に就き、資本の面だけでなく経営の面でも明治製菓との距離が縮まった。"
        }
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            "note": "1917年12月に資本金150万円で設立された煉乳会社。静岡県三島町・札幌市の乳製品工場と札幌市外の軽川牧場から出発し、1938年に東京・大阪へも工場を設けた"
          }
        },
        {
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            "note": "旧明治製糖が広げた菓子・食品事業を継ぐ明治系の中核会社。会長は相馬半治氏、専務は植垣弥一郎氏で、北海道にも乳製品事業を持っていた"
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        "summary": "道庁主導で北海道の乳業を興農公社へ一本化する国策が固まり、道内工場を差し出す前後に、明治系へ分かれていた乳業を極東煉乳の法人へ寄せて本州事業へ集中した再編"
      },
      "timeline": [
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          "title": "極東煉乳が資本金150万円で設立、初代社長に馬越恭平氏"
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          "title": "関東大震災の救援で輸入練乳が流入し、道内練乳会社が原料乳の受け入れを制限"
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          "title": "北海道製酪販売組合（酪連）が発足し、酪農家と練乳各社の対立が続く"
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          "title": "東京・大阪に乳製品工場を設置"
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          "title": "町村敬貴氏が黒沢酉蔵氏を訪ね、酪連と練乳各社の統合を提起"
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          "title": "東京・芝の料亭「嵯峨野」で会談、戸塚道庁長官の興北農業総合公社案がまとまる"
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          "title": "極東煉乳が明治乳業へ商号変更、明治製菓の乳製品部門の経営を受任",
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          "title": "北海道所在の全工場を興農公社へ現物出資"
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          "title": "東京牛乳運輸を設立"
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          "title": "植垣弥一郎氏が社長に就任"
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          "title": "明治製菓の乳製品部門を全面譲受"
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      "snapshot": {
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        "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955年）「明治乳業」の項",
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            "president": "有島健助（会長）",
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              "sub_title": "明治系に二つあった乳業",
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                  "text": "明治乳業の前身である極東煉乳は、1917年12月26日に資本金150万円で設立された煉乳会社であった。初代社長には馬越恭平氏が就き、静岡県三島町と札幌市に乳製品工場を、札幌市外に軽川牧場を設けている。1938年には東京と大阪にも工場を構えた。原料乳の産地である北海道と、大消費地である本州の双方に足場を置いた会社であった。",
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                      "fact": "極東煉乳は1917年12月に資本金150万円で設立され、静岡県三島町・札幌市の工場と札幌市外の軽川牧場から出発し、1938年に東京・大阪へも工場を設けた",
                      "原文": "当社は極東煉乳として、大正六年十二月、資本金百五十万円をもつて設立され、昭和十五年十二月、明治乳業と改称したものである。設立当初は、静岡県三島町および札幌市に乳製品工場を、札幌市外に軽川牧場を設け、さらに十三年に東京および大阪に工場を設けた。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955年）「明治乳業」の項",
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                      "原文": "経営代表者は、初代社長馬越恭平氏から小田良治氏、有島健助氏を経て、昭和十七年植垣弥郎氏が社長に就任、二十四年植垣氏が取締役会長就任に件ない小出義男氏が社長に就任、現在に至つている。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955年）「明治乳業」の項",
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                {
                  "text": "極東煉乳が明治系と呼ばれた背景には、明治製糖を中心とする事業の広がりがあった。1906年12月に台湾で設立された旧明治製糖は、砂糖のほかに菓子・農牧場・乳製品・食品などへ手を伸ばし、会社銀行八十年史は明治製菓・明治乳業・明治商事といった傍系会社の基礎をここで築いたと記している。乳業はその中で、極東煉乳と明治製菓の乳製品部門の二つに分かれていた。",
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                      "fact": "旧明治製糖は菓子・農牧場・乳製品・食品などの事業も営み、明治製菓・明治乳業・明治商事といった傍系会社の基礎を築いた",
                      "原文": "一方菓子、農牧場、乳製品、食品、コム、機械、商事等の諸事業も経営して、今日の明治製菓、明治乳業、明治商事等の傍系会社の各業界に占める基礎を確立した。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955年）「明治製糖」の項",
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                      "fact": "旧明治製糖は1906年12月に資本金500万円で台湾に設立された",
                      "原文": "当社の前身たる旧明治製糖は、明治三十九年十二月資本金五百万円をもつて、台湾台南川曽父郡麻豆街に設立された。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955年）「明治製糖」の項",
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            {
              "sub_title": "酪連と練乳各社の折り合いの悪さ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "北海道の酪農家と練乳会社の関係は、長く緊張したままであった。1923年の関東大震災では救援物資としてアメリカから七万数千箱の練乳が届き、政府が輸入関税を撤廃したため、道内の練乳会社は原料乳の受け入れを制限した。搾った乳を毎日下水に流すほかなかった酪農家の不満から、1925年5月に北海道製酪販売組合が生まれ、以後、酪連と練乳各社は原料乳をめぐって競い合った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1923年の関東大震災で米国から七万数千箱の練乳が届き、関税撤廃も重なって道内練乳会社が原料乳の受け入れを制限したため、酪農家の不満から1925年5月に北海道製酪販売組合が発足した",
                      "原文": "救援物資の一つとして、アメリカから七万数千箱の練乳が届いた。この量は当時の国内生産の五分の一、赤ん坊だけのミルクとすれば、二年間はまかなえる量だ。そのうえ、政府は物価値上がりを心配して、輸入関税をいっさいとり払った。乳製品がどんどん入ってくる。北海道の練乳会社はすっかり困ってしまった。酪農家から従来のように牛乳を買うわけにはいかない。受け入れを制限し始めたのだ。（中略）大正十四年五月十七日、札幌市石狩支庁の楼上で画期的な組合創立の総会が開かれた。",
                      "source": "黒沢酉蔵「私の履歴書」（日本経済新聞社編『私の履歴書 経済人17』日本経済新聞社, 1981 所収）",
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                {
                  "text": "1940年1月2日、北海道酪農の功労者として知られる町村敬貴氏が、酪連会長であった黒沢酉蔵氏の自宅を新年の挨拶に訪ねた。前年末にアメリカから帰ったばかりの町村氏は、土地改良の遅れを説いたうえで「酪連と練乳各社は折り合いが悪い。こんな狭いところで競い合っても仕方がないじゃないか」と述べている。黒沢氏も統合を考えており、二人はその足で戸塚久一郎道庁長官の自宅へ向かった。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1940年1月2日に町村敬貴氏が黒沢酉蔵氏宅を訪れ、酪連と練乳各社の対立を挙げて統合を促し、二人はその日のうちに戸塚長官宅を訪ねた",
                      "原文": "昭和十五年一月二日、氏が拙宅へ新年のあいさつに来られた時、北海道酪農の将来について話がはずんだ。「暮れの終航船で辛うじてアメリカから帰って来たが、向こうは土地の改良が相当に進んでいる。（中略）北海道も全道を挙げてこれに向かわねばならんのに、酪連と練乳各社は折り合いが悪い。こんな狭いところで競い合っても仕方がないじゃないか」「そうだ、その通り。私もすぱっと統合して新組織が出来ないものかと考えていた。（中略）これから長官宅へ伺おう」",
                      "source": "黒沢酉蔵「私の履歴書」（日本経済新聞社編『私の履歴書 経済人17』日本経済新聞社, 1981 所収）",
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        {
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          "label": "決断",
          "subsections": [
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              "sub_title": "嵯峨野会談と、相馬半治氏への委任",
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                {
                  "text": "町村氏は森永煉乳の松崎半三郎社長、極東煉乳の有島健助会長、明治製菓の植垣専務を歴訪し、道内の大団結のため勇断を示してほしいと頼んで回った。戸塚長官も道議会に手を打ち、1940年8月17日、東京・芝の料亭「嵯峨野」での会談となる。招請されたのは町村氏、相馬半治氏、有島氏、松崎氏、黒沢氏の五人であったが、有島氏は同系の相馬氏に一切を委任して欠席した。",
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                    {
                      "fact": "町村氏は森永煉乳の松崎社長、極東煉乳の有島会長、明治製菓の植垣専務を歴訪し、1940年8月17日に東京・芝の料亭「嵯峨野」で五人の会談が開かれた。有島氏は同系の相馬氏に一切を委任して欠席した",
                      "原文": "町村さんは早速、森永煉乳の松崎社長、極東煉乳有島会長、明治製菓植垣専務らを歴訪して、道内の大団結のため勇断を示してほしいと頼んだ。一方、戸塚長官も道議会などに着々と布石を打っていった。そうして、同年八月十七日、東京・芝の「嵯峨野」での会談となったのである。\"嵯峨野会談\"には、町村敬貴、相馬半治(明治会長)、有島健助(極東会長)、松崎半三郎(森永社長)、それに私の五人が招請されたが、有島さんは同系の相馬さんに一切を委任して欠席した。",
                      "source": "黒沢酉蔵「私の履歴書」（日本経済新聞社編『私の履歴書 経済人17』日本経済新聞社, 1981 所収）",
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                {
                  "text": "席上、戸塚長官は製乳事業と土地改良事業を一本化して行う「興北農業総合公社案」を示し、単なる乳製品事業の企業合同ではなく北海道の農業を確立する国策第一主義のものだと説いた。相馬氏が「製糖事業もあわせて行うべきである」と修正を求めたほかに大きな異論は出ず、五人の意見はまとまった。翌1941年3月17日、酪連と明治・極東・森永三社の道内事業を継ぐ北海道興農公社が発足した。",
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                    {
                      "fact": "戸塚長官は「興北農業総合公社案」を示し、相馬氏の「製糖事業もあわせて行うべきである」との修正を経て五人の意見が一致、1941年3月17日に北海道興農公社が発足した",
                      "原文": "席上、戸塚長官は製乳事業と土地改良事業を一本化して行う「興北農業総合公社案」を提示した。「公社の設立は、国土計画に基づく北海道総合計画の実行案で、単なる乳製品事業の企業合同ではない。北海道の農業を確立する国策第一主義のものである」五人は十分に意を尽くして話し合った結果、相馬さんの「製糖事業もあわせて行うべきである」との修正はあったが、それも将来の考慮に入れて間もなく全員の意見は一致した。（中略）翌十六年三月十七日、「北海道興農公社」が発足した。",
                      "source": "黒沢酉蔵「私の履歴書」（日本経済新聞社編『私の履歴書 経済人17』日本経済新聞社, 1981 所収）",
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              "sub_title": "商号変更と経営受任という二段構え",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "嵯峨野での合意から四カ月後の1940年12月、極東煉乳は商号を明治乳業へ変更し、同じ月に明治製菓の乳製品部門の経営を受任した。新しい会社を設立したのではなく、1917年設立の極東煉乳がそのまま存続法人となっている。明治系に分かれていた二つの乳業は、資本金150万円で始まったこの古い法人のもとへ寄せられた。商号を替えた月と受任の月が揃っている点に、二つを一体で決めた跡がうかがえる。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1940年12月に商号を明治乳業へ変更し、同月に明治製菓の乳製品部門の経営を受任した",
                      "原文": "1940/12 商号を明治乳業株式会社と変更。／1940/12 明治製菓株式会社の乳製品部門の経営を受任。",
                      "source": "明治乳業 有価証券報告書【沿革】",
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                      "fact": "明治乳業は極東煉乳が1940年12月に改称した会社であり、法人としては1917年設立の極東煉乳が存続している",
                      "原文": "当社は極東煉乳として、大正六年十二月、資本金百五十万円をもつて設立され、昭和十五年十二月、明治乳業と改称したものである。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955年）「明治乳業」の項",
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                {
                  "text": "受任は所有権の移転を伴わない預かりであり、明治製菓の乳製品部門が正式に明治乳業のものとなったのは1943年9月の全面譲受であった。その間の1941年4月、明治乳業は北海道所在の全工場を興農公社へ現物出資している。同年6月には東京牛乳運輸を設立し、産地から切り離された本州で集配を自前で担う手当ても打った。受任から譲受までの3年は、道内の工場を差し出す時期とちょうど重なっている。",
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                      "原文": "その後も北海道その他の地に工場を建設したが、昭和十六年四月北海道興農公社設立に際して、北海道所在の全工場を現物出資したので、十八年四月明治製菓の乳製品部門および明治製糖の二牧場を譲り受けて、本州の乳製品事業に専念するようになつた。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955年）「明治乳業」の項",
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                      "原文": "1941/6 東京牛乳運輸株式会社（現 明治ロジテック株式会社）を設立。",
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                  "text": "1943年9月、明治乳業は明治製菓の乳製品部門を全面的に譲り受けた。会社銀行八十年史はこの譲受を昭和十八年四月とし、あわせて明治製糖の二牧場も引き取ったと記している。月の記載には食い違いがあるものの、北海道の全工場を興農公社へ出したうえで明治製菓の乳製品部門を受け、本州の乳製品事業に専念したという道筋は、有価証券報告書と八十年史の双方で一致している。",
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                      "原文": "1943/9 明治製菓株式会社の乳製品部門の経営を全面譲受。",
                      "source": "明治乳業 有価証券報告書【沿革】",
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                      "原文": "十八年四月明治製菓の乳製品部門および明治製糖の二牧場を譲り受けて、本州の乳製品事業に専念するようになつた。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955年）「明治乳業」の項",
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                  "text": "人の面でも明治製菓との距離は縮まった。1942年、社長に植垣弥一郎氏が就いている。植垣氏は嵯峨野会談の前に町村氏が大団結を頼んで回った相手の一人であり、そのときの肩書は明治製菓の専務であった。歴代の経営代表者は初代社長の馬越恭平氏から小田良治氏、有島健助氏と続いており、植垣氏はその次に座ったことになる。移管する側の役員が、受け入れた側の社長として乳業を率いた。",
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                      "原文": "経営代表者は、初代社長馬越恭平氏から小田良治氏、有島健助氏を経て、昭和十七年植垣弥郎氏が社長に就任、二十四年植垣氏が取締役会長就任に件ない小出義男氏が社長に就任、現在に至つている。／会長…………‥植垣弥一郎",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955年）「明治乳業」の項",
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                      "原文": "町村さんは早速、森永煉乳の松崎社長、極東煉乳有島会長、明治製菓植垣専務らを歴訪して、道内の大団結のため勇断を示してほしいと頼んだ。",
                      "source": "黒沢酉蔵「私の履歴書」（日本経済新聞社編『私の履歴書 経済人17』日本経済新聞社, 1981 所収）",
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                  "text": "束ねる器に選ばれたのは新しい会社ではなく、1917年に資本金150万円で発足した極東煉乳であった。商号を明治乳業へ替え、明治製菓の乳製品部門はまず経営受任という預かりで引き取り、全面譲受は3年近く後の1943年9月に置いている。北海道の工場を興農公社へ差し出す前後の時期に、中身だけが入れ替わった。工場も牧場も次々に持ち主が変わる最中で、変わらなかったのは極東煉乳という法人格だけであった。"
                },
                {
                  "text": "一本化といっても、明治乳業の手元に残ったのは本州の事業に限られた。北海道所在の全工場は1941年4月に興農公社へ現物出資され、酪農の産地から切り離された乳業として再出発している。町村敬貴氏が「こんな狭いところで競い合っても仕方がないじゃないか」と説いた統合は、明治系の乳業を一つにまとめると同時に、その北海道の足場を手放させる取引でもあった。"
                }
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            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "明治乳業 有価証券報告書【沿革】",
        "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955年）「明治乳業」の項",
        "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955年）「明治製糖」の項",
        "黒沢酉蔵「私の履歴書」（日本経済新聞社編『私の履歴書 経済人17』日本経済新聞社, 1981 所収）"
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      "authored": "2026-07",
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      "title": "明治乳業による米ボーデンの事業運営移管提案の拒否と、20年にわたる提携の解消",
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          "text": "1990年4月、ニューヨークのボーデン本社での2日間の交渉を経て、明治乳業の中山悠社長は同社の最終提案を退け、5月末に正式に断った。アイスクリーム・チーズ・マーガリンの提携は順次解消され、レディボーデンなど年間250億円のブランド事業を手放した。"
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                  "text": "明治乳業とボーデンの提携が始まった年は、資料によって数年ずれる。日経ビジネスは1990年の解消を「20年にわたる提携関係」の終了と書いた。一方、ボーデンが1987年に東京証券取引所へ上場した際に示した沿革では、明治乳業へのレディーボーデンの商標権許諾とアイスクリームの技術援助は1972年、チーズの合弁は1974年となっている。同社の業務執行副社長が1973年5月に東京で行った講演でも、レディボーデンは「日本に導入以来13カ月」と説明された。",
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                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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                      "原文": "1972 明治乳業㈱に対し、レディーボーデンの商標権許諾及びアイスクリームに関する技術援助を開始。／1974 明治乳業㈱と合弁でのチーズの製造・販売を開始。",
                      "source": "証券 1987年第39巻第10号「新規上場会社紹介 ボーデン・インク」",
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                      "fact": "ボーデンの業務執行副社長は1973年5月の講演で、レディボーデンアイスクリームは日本に導入以来13カ月で年間20億円ほどの売上高になっていると述べた",
                      "原文": "レディボーデンアイスクリームは、日本に導入以来13カ月しか経過していないが、年間20億円ほどの売上高を示している。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1973年6月号「Borden, Inc. 国際的食品・化学品会社として発展する」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 1973年5月21日講演要旨）",
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                },
                {
                  "text": "どの年を始まりに数えるにせよ、1990年までに提携は3本柱に育っていた。マーガリンとアイスクリームは明治乳業が生産と販売を担い、ボーデンに技術使用料を払う。チーズは折半出資の合弁である明治ボーデンが明治乳業の設備を借りて生産し、明治乳業が販売した。ボーデンブランドの年間売上高は250億円で、1990年3月期の総売上高3,921億円の6%にあたる。内訳はアイスクリーム120億円、チーズ80億円、マーガリン50億円であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "提携はアイスクリーム・チーズ・マーガリンの3本柱で、マーガリンとアイスは明治乳業が生産販売し技術使用料を支払い、チーズは合弁の明治ボーデンが明治乳業の設備を借りて生産した",
                      "原文": "明治乳業とボーデンの提携事業はアイスクリーム，チーズ，マーガリンの3本柱で構成されていた。マーガリンとアイスクリームは明治乳業が生産，販売を担当し，ボーデンに技術使用料を支払ってきた。チーズは合弁会社の明治ボーデンが明治乳業の設備を借りて生産，明治乳業が販売してきた。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "ボーデンブランドの年間売上高250億円は明治乳業の総売上高3,921億円（1990年3月期）の6%にあたり、内訳はアイス120億円・チーズ80億円・マーガリン50億円だった",
                      "原文": "ボーデンブランドの年間売上高は，明治乳業の総売上高3921億円（90年3月期）の6%にあたる250億円。内訳は，アイスクリーム120億円，チーズ80億円，マーガリン50億円。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "実質は明治乳業の子会社であった明治ボーデン",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "合弁の明治ボーデンは、折半出資でありながら実質的には明治乳業の子会社であった。チーズを生産する工場は明治乳業の持ち物で、2年前までは明治乳業が送る社長だけが代表権を持っていた。「日本での事業は日本をよく知っている明治に任せた方がいい」という提携当初のボーデン側の考えに基づく体制で、明治乳業も「経営を任された以上、赤字配当はできない」と犠牲を払って黒字化してきたと、明治ボーデン社長を兼務する福田耕作専務は語っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "明治ボーデンは実質的に明治乳業の子会社で、チーズ工場は明治乳業の持ち物、2年前までは明治乳業が送る社長だけが代表権を持っていた",
                      "原文": "明治ボーデンは，実質的には明治乳業の子会社。チーズを生産している工場は明治乳業の持ち物だし，2年前までは，明治乳業が送る社長だけが代表権を持っていた。これは，「日本での事業は日本をよく知っている明治に任せた方がいい」と，提携当初にボーデンのトップが考えたからだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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                    {
                      "fact": "明治ボーデン社長を兼務する福田耕作専務は「経営を任された以上、赤字配当はできないと、明治乳業が犠牲を払って黒字化してきた」と語った",
                      "原文": "明治もこれに応え，「経営を任された以上，赤字配当はできないと，明治乳業が犠牲を払って黒字化してきた」と，明治ボーデン社長を兼務する福田耕作・明治乳業専務は語る。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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                },
                {
                  "text": "導入当初はボーデン側も日本市場に資金を投じていた。1973年の講演によれば、レディボーデンの2カ年分の販売総利益は明治乳業を通じて販売促進に再投資されている。それから17年、ブランドを店頭に押し込んだのは日本側という意識が明治乳業に残った。解消の時期に同社の幹部が口をそろえたのは「ボーデンは自分のブランドだと思って育ててきたのに」という言葉であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "レディボーデンアイスクリームの2カ年分の販売総利益は明治乳業を通じて製品の販売促進に再投資された",
                      "原文": "日本においては、レディボーデンアイスクリームの2カ年分の販売総利益は、明治乳業を通じて、製品の販売促進に再投資され、既に十分な成果を挙げている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1973年6月号「Borden, Inc. 国際的食品・化学品会社として発展する」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 1973年5月21日講演要旨）",
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                    {
                      "fact": "明治乳業の幹部は口をそろえて「ボーデンは自分のブランドだと思って育ててきたのに」と語った",
                      "原文": "明治乳業の幹部は，口をそろえて「ボーデンは自分のブランドだと思って育ててきたのに」と語るが，この認識が関係修復を難しくさせたとも言えるかもしれない。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
                      "url": null
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              ]
            },
            {
              "sub_title": "相手の戦略が変わった",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1986年に最高経営責任者に就いたロメオ・ベントレス会長のもとで、ボーデンは乳製品のトップメーカーから、買収と売却を重ねて米国有数のパスタ・スナックメーカーへ変わった。1986年12月期の事業部門別売上高5,002百万ドルのうち、乳製品は1,036百万ドルで構成比20.7%にとどまる。明治乳業との提携から同社に入るのはアイスクリームとマーガリンの数%の技術料と明治ボーデンの配当で、年間売上高76億ドルからみればわずかであった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1986年に最高経営責任者となったベントレス会長のもとでボーデンは乳製品トップメーカーから買収と売却を繰り返して米国有数のパスタ・スナックメーカーへ変わり、本国での変化を日本市場にも持ち込もうとした",
                      "原文": "この背景には，ボーデンの経営戦略の変化がある。同会長の就任以来，ボーデンは乳製品のトップメーカーから，積極的な企業買収と事業売却を繰り返して，米国有数のパスタ，スナックメーカーに変貌した。本国での変化を日本市場にも持ち込もうとした。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "ボーデンの1986年12月期の事業部門別販売実績は合計5,002百万ドルで、うち乳製品は1,036百万ドル・構成比20.7%であった",
                      "原文": "事業部門別販売実績（1986.12期・連結）グロサリー及び特製品1,331百万ドル（26.6%）、スナック及び外国における消費者製品1,192百万ドル（23.8%）、乳製品1,036百万ドル（20.7%）、化学（国内及び海外）1,443百万ドル（28.8%）、合計5,002百万ドル。",
                      "source": "証券 1987年第39巻第10号「新規上場会社紹介 ボーデン・インク」",
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                    {
                      "fact": "提携からボーデンに入るのは数%の技術料と明治ボーデンの配当で、年間売上高76億ドル（9,900億円、1989年12月期）からみればわずかだった",
                      "原文": "明治乳業との提携事業からボーデンの懐に入る金額は多くない。アイスクリームとマーガリンから入る数%の技術料と，明治ボーデンの配当がその中身だが，同社の年間売上高76億ドル（9900億円，89年12月期）からみればごくわずか。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "ボーデンは1987年12月、明治ボーデンに代表権を持つ副社長として松山和夫氏を送り込んだ。「この時から意見がことごとく対立して、意思決定が非常に難しくなった」と福田専務は振り返る。対立は販売促進費の配分にまで及んだ。ボーデンは米国方式を持ち込んで広告宣伝に販促費のすべてを使いたいと希望し、明治乳業は店頭に商品を置いてもらうために販促費の半分を価格対策に充てたいと主張した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1987年12月にボーデンが代表権を持つ副社長として松山和夫氏を明治ボーデンへ送り込み、同氏は1990年7月にボーデン・ジャパン社長に就任、以後意思決定が難しくなった",
                      "原文": "87年12月に，ボーデンは明治ボーデンに代表権を持つ副社長として松山和夫氏を送り込んだ。同氏はもともと明治乳業に勤務しており，その後明治ボーデンに転じ，90年7月にボーデンが日本法人のボーデン・ジャパンを設立した時に社長に就任した。「この時から意見がことごとく対立して，意思決定が非常に難しくなった」と福田専務は振り返る。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "販促費の使い方でも両社は対立し、ボーデンは広告宣伝に全額を使うことを望み、明治乳業は半分を店頭の価格対策に充てたいとした",
                      "原文": "例えばボーデンは米国方式を持ち込んで，広告宣伝に販促費のすべてを使いたいと希望する。明治は，店頭に商品を置いてもらうために，販促費の半分を価格対策に使いたいとする。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "ニューヨーク40階の応酬",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1990年4月のよく晴れた日、マンハッタンのボーデン本社。提携関係の見直しをめぐる2日間の交渉のあと、イーストリバーを見下ろす高層ビル40階のロメオ・ベントレス会長の執務室で、明治乳業の中山悠社長はこう言った。「私はホテルの窓からニューヨークの街を見て、なんて汚い街だろうと思いました。でもこのオフィスから見ると、こんなに素晴らしい景色もあるのだと気がつきました。あなたも一つの窓からしか日本を見ていないのでは」。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1990年4月、ニューヨークのボーデン本社40階の会長執務室で、中山悠社長は「あなたも一つの窓からしか日本を見ていないのでは」と述べた",
                      "原文": "1990年4月のよく晴れた日。ニューヨーク，マンハッタンのボーデン本社。提携関係見直しをめぐる2日間の交渉の後，イーストリバーを見下ろす高層ビル40階にあるロメオ・ベントレス会長の執務室で，明治乳業の中山悠社長はこう言った。「私はホテルの窓からニューヨークの街を見て，なんて汚い街だろうと思いました。でもこのオフィスから見ると，こんなに素晴らしい景色もあるのだと気がつきました。あなたも一つの窓からしか日本を見ていないのでは」",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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                },
                {
                  "text": "ベントレス会長は静かに答えた。「風がどちらから吹いているかを見極めるのが重要です。今、日本には国際化という追い風が吹いています。世界にネットワークを持つボーデンと組んだ方が良いのではないですか」。最終提案は、ボーデンが中心になって作る拠点で生産販売を行い、日本の商慣習で難しい部分や保冷輸送などを明治乳業に任せるという内容であった。業界関係者は「明治が下請けになると受け止められてもしかたない提案」と語っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "ベントレス会長は「風がどちらから吹いているかを見極めるのが重要です」と答え、両社トップの発言に思惑の違いが凝縮されていた",
                      "原文": "ベントレス会長は静かにこう答えた。「風がどちらから吹いているかを見極めるのが重要です。今，日本には国際化という追い風が吹いています。世界にネットワークを持つボーデンと組んだ方が良いのではないですか」",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "ベントレス会長の最終提案はボーデン中心の拠点で生産販売を行い、商慣習や保冷輸送を明治に任せるもので、業界関係者は「明治が下請けになると受け止められてもしかたない提案」と評した",
                      "原文": "ベントレス会長の最終提案は，ボーデンが中心になって作る拠点で生産販売をやり，日本の商慣習で難しい部分や，保冷輸送などは明治に任せるというもの。「明治が下請けになると受け止められてもしかたない提案」（業界関係者）。これが中山社長の神経を逆なでしたことは想像に難くない。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "5月末のノーと、失うと分かっていたもの",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "明治乳業は5月末に正式にノーと返事をした。中山悠社長は1989年6月、常務の末席から8人を飛び越えて社長に就いたばかりで、この交渉は就任から10か月後にあたる。就任時には「若いからといって突然、何か新しいことをやっていくわけではない。前社長の敷いた路線の上を走っていく」と語っていた。その人物が、ベントレス会長と初めて顔を合わせたその席で、20年続いた提携の側を降りた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "明治乳業は1990年5月末に正式にノーと返事をした",
                      "原文": "明治は5月末に，正式にノーと返事をした。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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                    },
                    {
                      "fact": "中山悠氏は1989年6月に常務の末席から8人を飛び越えて社長に就任し、就任時に「前社長の敷いた路線の上を走っていく」と語っていた",
                      "原文": "10代目の社長は常務の末席から8人を飛び越えて社長の座に就いた。島村靖三前社長（現会長）より13歳も若返る52歳の社長の登板。／「若いからといって突然，何か新しいことをやっていくわけではない。前社長の敷いた路線の上を走っていく」と強調する。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年1月1日号「新社長登場 中山悠氏（明治乳業）」",
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                    },
                    {
                      "fact": "中山社長がベントレス会長に初めて会ったのは1990年4月の交渉の場であった",
                      "原文": "トップ同士が直接会って交流することも欠かせない。中山社長がベントレス会長に初めて会ったのが今年の4月だったというから，過去20年の実績に甘えて，努力を怠ったスレ違い夫婦の典型とも言えるだろう。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "失うものははっきりしていた。家庭用の高級アイスクリーム市場はこの10年ほど年率10%程度で伸びており、そのなかでレディボーデンは約6割のシェアを占める。アイスクリーム全体でも明治乳業は出荷額シェア15.3%で森永と並ぶ首位にあり、提携解消でこの座から落ちるのは避けられないとみられた。ボーデンは明治ボーデンの株式と長野県の工場・土地の売却も求めたが、明治乳業に応じる考えはなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "家庭用高級アイスクリーム市場は10年ほど年率10%程度で伸び、レディボーデンは約6割のシェアを占めていた",
                      "原文": "この市場は，ここ10年ほど年率10%程度の高い伸びを示してきた。この中でレディボーデンは約6割のシェアを占める。アイスクリーム全体でシェアでは，明治は森永と並びトップの位置にある。これが，今回の提携解消で転落するのは避けられないものと見られる。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1990年3月期のアイスクリーム出荷額シェアは明治15.3%、森永15.3%、雪印14.1%、グリコ13.7%、ロッテ12.2%、その他29.4%だった",
                      "原文": "［ボーデンブランドを失うことによって明治のトップ転落は確実］アイスクリームの各社別シェア（出荷額）明治15.3%、森永15.3%、雪印14.1%、グリコ13.7%、ロッテ12.2%、その他29.4%（注：90年3月期。日本経済新聞調べ）",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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                    {
                      "fact": "ボーデンは明治ボーデンの株式と長野県の工場・土地の売却を求めたが明治乳業に応じる考えはなく、明治ボーデンは1992年4月に解散する見通しとされた",
                      "原文": "ボーデンはこの後，両社折半出資の合弁会社「明治ボーデン」の株式と，長野県の工場と土地（ともに明治乳業所有）を売るように求めているが，明治にその考えはない。「明治ボーデンはチーズの技術提携契約が終了する92年4月に解散することになるだろう」（中山社長）という。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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              "sub_title": "契約が切れるまでの2年と、こじれた関係",
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                {
                  "text": "契約は順次切れた。マーガリンの技術提携契約は1990年10月にすでに終わり、アイスクリームは1991年8月、チーズは1992年4月にそれぞれ期限を迎えて提携は全面解消となった。その間、関係はこじれる。明治乳業がマーガリンの提携解消後にボーデンのマーガリンを明治ブランドへ変えて発売すると、ボーデンはニューヨーク連邦地裁に発売差し止めの仮処分を申請し、却下されたのち上級審に再申請してこれも却下された。",
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                    {
                      "fact": "マーガリンは1990年10月、アイスクリームは1991年8月、チーズは1992年4月に契約が切れ提携は全面解消となった",
                      "原文": "マーガリンの技術提携契約は90年10月にすでに切れており，アイスクリームは91年8月，チーズは92年4月にそれぞれ契約が切れ，両社の提携は全面解消となる。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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                      "原文": "明治はマーガリンの提携解消後，ボーデンのマーガリンを明治ブランドに変えて発売したが，これに先だってボーデンはニューヨーク連邦地裁に明治のマーガリン発売の差し止めを求めて仮処分申請をした。結局この訴えは却下され，その後上級審に再度申請してこれも却下された。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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                  "text": "より大きかったのは、提携中は競合する製品を新たに開発できなかったツケである。1990年9月に発売した高級アイス「彩」はレディボーデンより高級な市場に向けた商品で、穴を埋めるものではない。その「彩」にもボーデンから「提携中は競合商品を出さないという契約に違反する」と書面で抗議が届いていた。明治ブランドのチーズもさえず、伸びが期待されるナチュラルチーズも弱かった。",
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                      "fact": "提携中は競合品を開発できず、1990年9月発売の「彩」はレディボーデンより高級な市場向けで穴を埋めるものではなく、明治ブランドのチーズやナチュラルチーズも弱かった",
                      "原文": "より大きいのは，提携関係にあったため，競合する製品の新開発ができなかったツケが回ってくることだろう。アイスクリームでは「彩」を出したが，これはレディボーデンより高級な市場向けで，レディボーデンの穴を埋めるものではない。／明治ブランドのチーズはさえないし，今後高い伸びが期待されるナチュラルチーズも弱い。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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                      "原文": "明治乳業が90年9月に発売した高級アイスクリームの新製品「彩(あや)」についてもボーデンから「提携中は競合商品を出さないという契約に違反する」と書面で抗議がきており，裁判になる可能性がある。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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              "sub_title": "制約が外れたあとの自社ブランド",
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                {
                  "text": "解消の年の暮れ、打撃は想定より軽く出ていた。10月から明治ブランドで売り始めたマーガリンについて、中山悠社長は「販売にまったく影響は出ていない。小売店で商品を置いてもらうスペースはかえって増えた」と述べる。打撃が最も大きいはずのアイスクリームでも、「彩」は「当初の予想を大きく上回る売れ行きを示している」と東坂正義アイスクリーム販売部長が語った。中山社長は「提携解消は2〜3年の短期でみれば打撃だが、長期的にみればプラスに転じられる」と見通した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "明治ブランドに切り替えたマーガリンは販売に影響が出ず、「彩」も当初の予想を上回る売れ行きを示していた",
                      "原文": "ただマーガリンは何とか売り上げ減を回避できそうだ。10月から明治ブランドで発売しているが，「販売にまったく影響は出ていない。小売店で商品を置いてもらうスペースはかえって増えた」（中山社長）。一番打撃が大きいアイスクリームでは「彩」が「当初の予想を大きく上回る売れ行きを示している」（東坂正義アイスクリーム販売部長）。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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                      "fact": "中山社長は「提携解消は2〜3年の短期でみれば打撃だが、長期的にみればプラスに転じられる」と述べた",
                      "原文": "「提携解消は2〜3年の短期でみれば打撃だが，長期的にみればプラスに転じられる」と中山社長。提携のために競合品が出せないなどの制約がなくなった今は，積極的に新製品を開発し発売していく良いチャンスともいえる。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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                {
                  "text": "自社ブランドの商品は数年をかけて出てきた。アイスクリームの輸入自由化を受けて1990年に自社の技術と国産原料による超高級アイス「彩」を出したのに続き、1991年には高級アイス「ブルージェ」、1992年にはプロセスチーズの「明治十勝」シリーズを発売する。福田耕作専務は解消の年に「開発力のない会社に未来はない。ボーデンブランド依存から脱却して自分たちのブランドをつくっていくのだという意欲と熱気が社内に感じられるようになった」と語っている。",
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                      "原文": "アイスクリームの輸入自由化をうけ、1990年（平2）、同社の技術と国産原料を用いた日本人のための超高級アイスクリームとして「AYA〈彩〉」を発売、同年6月以降、アメリカのボーデン社との技術提携の解消を発表、マーガリンを90年10月、アイスクリームを翌91年8月、チーズを92年4月と順次解消した。しかし、これまで蓄積してきた技術を生かして、日本人の嗜好へ対応していこうとする志向はしっかりと継続し、91年に高級アイスクリーム「ブルージェ」、92年にプロセスチーズ\"明治十勝\"シリーズなど、大型新商品を数多く生み出している。",
                      "source": "日本会社史総覧（東洋経済新報社, 1995年）「明治乳業」の項",
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                      "原文": "「開発力のない会社に未来はない。ボーデンブランド依存から脱却して自分たちのブランドをつくっていくのだという意欲と熱気が社内に感じられるようになった」と福田専務は語る。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
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                  "text": "ボーデンブランドの年間売上高250億円は、明治乳業の総売上高3,921億円の6%にとどまる。それでも家庭用高級アイスの約6割を占めるレディボーデンを手放せば、出荷額シェア15.3%で森永と並んでいた首位の座は動く。中山悠社長がベントレス会長の最終提案を退けたとき、争点は失う売上高ではなく、日本の事業を誰が決めるかにあった。ボーデンが中心になって作る拠点で生産販売を行い、明治乳業には日本の商慣習と保冷輸送を任せる——最終提案は、その決定権をボーデンへ移すものであった。"
                },
                {
                  "text": "代わりの商品は、すぐには出てこなかった。1990年9月の「彩」はレディボーデンより高級な市場に向けた商品で、穴を埋める性格のものではない。明治ブランドのチーズもさえず、ナチュラルチーズも弱かった。20年にわたり競合品を開発できない契約の下に置かれた組織が、1年で代わりを用意できるはずもない。福田耕作専務の言う「意欲と熱気」が「ブルージェ」や「明治十勝」という商品になるまでには、なお1年から2年を要している。借りたブランドで20年を売った会社は、自前の棚を作り直す2年を後から払った。"
                }
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            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1990年12月31日号「リストラ戦略 明治乳業 ボーデンとの離婚——教訓生かし開発力強化」",
        "日経ビジネス 1990年1月1日号「新社長登場 中山悠氏（明治乳業）」",
        "証券アナリストジャーナル 1973年6月号「Borden, Inc. 国際的食品・化学品会社として発展する」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 1973年5月21日講演要旨）",
        "証券 1987年第39巻第10号「新規上場会社紹介 ボーデン・インク」",
        "日本会社史総覧（東洋経済新報社, 1995年）「明治乳業」の項"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-28"
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      "slug": "lg21-2000",
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      "title": "乳酸菌LG21を使ったヨーグルトの発売と、味から体への働きへの訴求の転換",
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          "text": "ピロリ菌の除菌は欧米では三剤併用が一般的であったが、日本では厚生省が併用を認めず保険も効かなかった。一方、明治乳業の主力アイス「スーパーカップ」は頭打ちに入り、容器を納める三陽パックスのアイス向け紙容器は前期比12.3%減っていた。"
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          "text": "1月27日の説明会で、LG21入りのヨーグルトを食べてピロリ菌が減少した事例が紹介された。2月12日には自社がスポンサーの番組で抗菌作用が取り上げられ、翌朝の全国紙に「明治乳業が胃潰瘍」と書いた一面広告が載る。株価は年初311円から2月17日の668円へ上げた。"
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                  "text": "ヘリコバクター・ピロリは、感染すると再発を繰り返す悪性の胃潰瘍の原因になると疑われていた。除菌できれば再発は防げる。欧米では胃潰瘍薬と二種類の抗生物質を使う三剤併用が一般的であったが、日本では三剤とも単独での効能しか承認されておらず、併用は厚生省が認めていないため保険も効かない。武田薬品工業と大正製薬がすでに申請していたものの、中央薬事審議会の審査が始まるのは2000年の春からであった。",
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                      "fact": "ピロリ菌の除菌は欧米では三剤併用が一般的だが、日本では三剤単独の効能しか承認されず併用は厚生省が認めておらず保険も効かない。武田薬品工業と大正製薬が申請済みで、中央薬事審議会の審査開始は2000年春からであった",
                      "原文": "ピロリ菌とは正式にはヘリコバクター・ピロリと呼ばれ、これに感染すると再発を繰り返す悪性の胃潰瘍の原因になると疑われている。ピロリ菌を除菌できれば胃潰瘍の再発は防げる。欧米では、除菌方法として胃潰瘍薬と二種類の抗生物質を投与する「三剤併用」が一般的だが、日本では三剤とも単独での効能は承認されているものの、三剤併用は厚生省が認めておらず、保険が効かない。すでに三剤併用に使われる薬を持つ武田薬品工業と大正製薬が申請済みだが、中央薬事審議会の審査が始まるのは今春からだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年3月4日号「急騰 乳酸菌で胃潰瘍が治る！？ 株価高騰、明治乳業の『ピロリ菌騒動』舞台裏」",
                      "url": null
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                },
                {
                  "text": "薬の側の手当てが遅れる一方で、食品の側には別の壁があった。医薬品と違い、食品は効能を唱えられない。厚生省から特定保健用食品の認可を受けない限り、薬事法との関係で効果や効能を表示できない仕組みである。胃潰瘍という病名と乳酸菌を結びつけて語ろうとすれば、その線の手前で止まるほかない。明治乳業が2000年に選んだのは、この手前の領域をどこまで使うかという問題であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "食品は医薬品と違い効能を唱えられない",
                      "原文": "ただ、食品は医薬品と違い「効能」を唱えられない。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年3月4日号「急騰 乳酸菌で胃潰瘍が治る！？ 株価高騰、明治乳業の『ピロリ菌騒動』舞台裏」",
                      "url": null
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                    {
                      "fact": "食品は厚生労働省から特定保健用食品の認可をとらない限り、薬事法との関係で効果・効能をうたえない",
                      "原文": "食品の場合、厚生労働省から特定保健用食品としての認可をとらない限り、薬事法との絡みで効果・効能をうたえない。",
                      "source": "週刊東洋経済 2001年6月9日号「新・売れる商品Best100 C分類 暮らし方が変わる新機能型ヒット」",
                      "url": null
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            },
            {
              "sub_title": "主力アイスの頭打ちと、乳製品ヒットの相場",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "同じ時期、明治乳業の主力商品には陰りが出ていた。紙容器メーカーの三陽パックスは2000年5月期に売上高99億8,200万円と前期比4%の減収になり、アイスクリーム向けの紙容器は12.3%減った。稲葉弘文社長は、その理由を、大半を占める明治乳業の「スーパーカップ」がピークを打って横ばい状態に入ったためと説明している。容器の受注量という川上の数字に、アイスの頭打ちが先に映っていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "三陽パックスは2000年5月期に売上高99億8,200万円・前期比4%減となり、アイスクリーム向け紙容器は大半を占める明治乳業「スーパーカップ」がピークを打って横ばいに入ったため12.3%減となった",
                      "原文": "売上高は99億82百万円、前期比4%減、営業利益は3億60百万円、20.8%減。アイスクリーム向けは、大半を占める明治乳業の「スーパーカップ」がピークを打って横ばい状態に入ったため、12.3%減となった。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 2000年9月号 別冊付録「企業」三陽パックス（稲葉弘文社長 2000年8月3日講演）",
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                },
                {
                  "text": "乳製品で新しい柱を立てるのは容易ではない。この分野では20億円から30億円を売り上げればヒットと呼ばれ、大型商品でも森永乳業「アロエヨーグルト」の年商200億円以上が一つの目安であった。連結売上高7,140億円・経常利益80億円という会社の規模（2002年3月期）に照らせば、1商品が持ち込む数字は限られる。それでも味と価格の競争から抜ける道を探すことは、アイスが頭を打った会社にとって現実の課題であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "乳製品は20億〜30億円売り上げればヒットといわれる",
                      "原文": "乳製品は２０億～３０億円売り上げればヒットといわれるが、同製品は当初の販売計画を３倍近く上回る８０億円を売り上げた。",
                      "source": "週刊東洋経済 2001年6月9日号「新・売れる商品Best100 C分類 暮らし方が変わる新機能型ヒット」",
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                    },
                    {
                      "fact": "大ヒットした森永乳業の「アロエヨーグルト」は年商200億円以上であった",
                      "原文": "ちなみに、大ヒットした森永乳業の「アロエヨーグルト」は年商二〇〇億円以上。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年3月4日号「急騰 乳酸菌で胃潰瘍が治る！？ 株価高騰、明治乳業の『ピロリ菌騒動』舞台裏」",
                      "url": null
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                    {
                      "fact": "明治乳業の2002年3月期は連結売上高7,140億円・経常利益80億円・当期純利益21億円であった",
                      "原文": "2002年3月期の連結業績は、売上高7,140億円、経常利益80億円、当期純利益21億円。",
                      "source": "明治乳業 有価証券報告書（2002年3月期・連結）",
                      "url": null
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          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "1月27日の説明会から3月27日の発売まで",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2000年1月27日、明治乳業はマスコミ向けに、ピロリ菌と乳酸菌LG21についての説明会を開いた。席上、LG21の入ったヨーグルトを食べたことでピロリ菌が減少したという事例が講演で紹介された。市場の反応は速い。年初に311円だった株価は、講演の翌日に445円のストップ高をつけた。忘れ去られていた食品銘柄が、乳酸菌という一つの材料で買われ、やがて株価は倍の水準へ動いた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2000年1月27日のマスコミ向け説明会でLG21入りヨーグルトによりピロリ菌が減少した事例が紹介され、年初311円の株価は翌日445円のストップ高となった",
                      "原文": "事の発端は１月２７日にマスコミ向けに開かれた「ピロリ菌」と「ＬＧ２１」という乳酸菌についての説明会。（略）明治乳業が、乳酸菌ＬＧ２１の入ったヨーグルトを食べることでピロリ菌が減少したとの事例を講演で紹介したのだ。忘れ去られていた食品銘柄の新材料に市場は即座に反応した。年初三一一円の株価は、講演翌日には四四五円のストップ高となった。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年3月4日号「急騰 乳酸菌で胃潰瘍が治る！？ 株価高騰、明治乳業の『ピロリ菌騒動』舞台裏」",
                      "url": null
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                  ]
                },
                {
                  "text": "露出はここから積み上がる。2月12日、テレビ番組「一億三千万人のTV人間ドック」で乳酸菌LG21のピロリ菌に対する抗菌作用が紹介された。番組のスポンサーには明治乳業が入っていた。翌朝の全国紙には、胃の写真を大きく背景に敷き「明治乳業が胃潰瘍」と書いた一面広告が載る。週明けに製品発表を置き、2月17日の株価は668円と1997年来の高値をつけた。発売は3月27日、初年度の販売目標は30億円であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2月12日にスポンサーが明治乳業の番組「一億三千万人のTV人間ドック」でLG21の抗菌作用が紹介され、翌朝の全国紙に「明治乳業が胃潰瘍」の一面広告、2月17日の株価は668円と1997年来の高値をつけた",
                      "原文": "さらに２月１２日には「一億三千万人のＴＶ人間ドック」という番組で乳酸菌ＬＧ２１のピロリ菌に対する抗菌作用が紹介された。スポンサーには明治乳業が入っていた。翌朝の全国紙には、でかでかと胃の写真を背景に張りつけ、「明治乳業が胃潰瘍」と書いた一面広告を掲載した。そして週明け、満を持しての製品発表。ここに至るまでの巧みな宣伝で、２月１７日の株価は六六八円と９７年来の高値をつけた。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年3月4日号「急騰 乳酸菌で胃潰瘍が治る！？ 株価高騰、明治乳業の『ピロリ菌騒動』舞台裏」",
                      "url": null
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                    {
                      "fact": "大手スーパー・コンビニとの商談はすべて成立し、初年度販売目標額30億円、発売は3月27日であった",
                      "原文": "当然のことながら大手スーパー、コンビニとの商談はすべて成立。発売前の注目度合いから見ると初年度販売目標額三〇億円は堅い。（略）発売は３月２７日。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年3月4日号「急騰 乳酸菌で胃潰瘍が治る！？ 株価高騰、明治乳業の『ピロリ菌騒動』舞台裏」",
                      "url": null
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              "sub_title": "薬事法すれすれと評された線",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "訴求は際どいところに寄っていた。胃潰瘍の原因とされるピロリ菌と絡めた乳酸菌の宣伝方法は薬事法すれすれと評され、明治乳業は2月上旬、厚生省の監視指導課に呼び出されている。会社は「ちゃんと説明してきたので何の問題もない」と述べた。製薬会社からは「胃潰瘍の人が食べれば治るというものではない」と反発の声が上がる。三剤併用の承認をまだ得ていない側からすれば、食品が先に病名の近くへ踏み込んだ形になった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "ピロリ菌と絡めた乳酸菌の宣伝方法は薬事法すれすれとされ、明治乳業は2月上旬に厚生省の監視指導課に呼び出された。会社は問題ないとし、製薬会社からは反発の声が上がった",
                      "原文": "その意味で、明治乳業の潰瘍の原因とされるピロリ菌と絡ませた乳酸菌の宣伝方法は薬事法すれすれ。実は、２月上旬に厚生省の監視指導課に呼び出されている。「ちゃんと説明してきたので何の問題もない」と明治乳業はいうが、製薬会社からは「胃潰瘍の人が食べれば治るというものではない」と反発の声も上がっている。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年3月4日号「急騰 乳酸菌で胃潰瘍が治る！？ 株価高騰、明治乳業の『ピロリ菌騒動』舞台裏」",
                      "url": null
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                  ]
                },
                {
                  "text": "LG21はピロリ菌を除く薬ではなく、明治乳業が薬効を主張したわけでもない。それでも説明会での事例紹介、番組での抗菌作用の紹介、翌朝の一面広告が数週間のうちに連なると、乳酸菌で胃潰瘍が治るのかという問いが外側で立った。当時の誌面の見出しがそのまま「乳酸菌で胃潰瘍が治る！？」である。会社が管理できるのは自らの表現までで、報道と株式市場の受け取り方には手が届かない。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "一連の宣伝を受けた同時代の誌面の見出しは「急騰 乳酸菌で胃潰瘍が治る！？ 株価高騰、明治乳業の『ピロリ菌騒動』舞台裏」であった",
                      "原文": "［Ｌｉｎｅｕｐ／産業・企業］急騰乳酸菌で胃潰瘍が治る！？株価高騰、明治乳業の「ピロリ菌騒動」舞台裏",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年3月4日号「急騰 乳酸菌で胃潰瘍が治る！？ 株価高騰、明治乳業の『ピロリ菌騒動』舞台裏」",
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                    {
                      "fact": "乳酸菌をめぐる一連の報道と宣伝で明治乳業の株価は倍の水準まで上げた",
                      "原文": "乳酸菌が明治乳業の株価を倍に引き上げている。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年3月4日号「急騰 乳酸菌で胃潰瘍が治る！？ 株価高騰、明治乳業の『ピロリ菌騒動』舞台裏」",
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            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "計画の3倍近い80億円",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "発売から1年3か月後の2001年6月、LG21の年間売上は80億円に達していた。当初の販売計画を3倍近く上回る数字である。20億円から30億円でヒットと呼ばれる乳製品のなかで、2001年は100億円の大台を突破する勢いで売れ続けた。買っていたのは主に30代の女性で、支持層の80%を占める。発売から4か月後の2000年7月に雪印乳業の食中毒事件が起きて乳業への信頼が揺れたあとも、勢いは落ちなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "LG21は当初の販売計画を3倍近く上回る80億円を売り上げ、2001年は100億円を突破する勢いで、支持層は30代女性が80%を占めた。雪印乳業の食中毒事件のあとも快進撃を続けた",
                      "原文": "支持層３０代女性（８０％）／ＬＧ２１／明治乳業／年間売上８０億円。雪印乳業が起こした食中毒事件などどこ吹く風、昨年３月に発売された明治乳業のヨーグルト「ＬＧ２１」が快進撃を続けている。乳製品は２０億～３０億円売り上げればヒットといわれるが、同製品は当初の販売計画を３倍近く上回る８０億円を売り上げた。今年も大台の１００億円を軽く突破する勢いで売れ続けており、明治乳業も相当な手応えを感じている。",
                      "source": "週刊東洋経済 2001年6月9日号「新・売れる商品Best100 C分類 暮らし方が変わる新機能型ヒット」",
                      "url": null
                    }
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                },
                {
                  "text": "売り方そのものも評価された。週刊東洋経済は、ヒットの秘訣を、味ではなく乳酸菌の機能性を消費者に浸透させた点に見ている。商品を出す前からプレスセミナーや新聞の一面広告であらゆる媒体を使い、発売時期もスーパー各社が新商品で棚替えをする3月に合わせた。明治乳業は口コミで急速に広がっていると説明し、同業他社からは「悔しいが売り方がうまい」という評が出た。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "ヒットの秘訣は味ではなく乳酸菌の機能性を浸透させた点にあり、発売前からプレスセミナーや新聞一面広告を使い、発売時期も棚替えの3月を選んだ。同業他社は「悔しいが売り方がうまい」と評した",
                      "原文": "ヒットの秘訣は「味」ではなく乳酸菌の「機能性」を広く消費者に浸透させたところ。「モノ」を出す前からプレスセミナーや新聞の一面広告など、あらゆる媒体を通して胃腸に対する乳酸菌の機能性を紹介。発売時期も「露出度」の最大化を考え、スーパー各社が新商品による棚替えを行う３月を選ぶなど用意周到だった。（略）同業他社から「悔しいが売り方がうまい」と評される「ＬＧ２１」の勢いはまだまだ加速しそうだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2001年6月9日号「新・売れる商品Best100 C分類 暮らし方が変わる新機能型ヒット」",
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            {
              "sub_title": "川上に伝わった触れ込み",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "機能の触れ込みは、消費者より先に取引先へ届いていた。三陽パックスの稲葉弘文社長は2001年5月期の見通しを語るなかで、明治乳業のピロリ菌を死滅させるヨーグルトのカップを自社も受注しており、健康関連食品として今後さらに伸びが期待できると述べている。LG21はピロリ菌を死滅させる商品ではない。容器を納める側の社長までが、そう呼んでいた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "三陽パックスの稲葉弘文社長は2001年5月期の見通しで、明治乳業の「ピロリ菌を死滅させるヨーグルト」のカップを受注しており健康関連食品として伸びが期待できると述べた",
                      "原文": "また、グリコ乳業が今後大々的に展開する平らで大口径のカップは当社のみが扱う。明治乳業のピロリ菌を死滅させるヨーグルトのカップは当社も受注しているが、健康関連食品として今後さらに伸びが期待できる。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 2000年9月号 別冊付録「企業」三陽パックス（稲葉弘文社長 2000年8月3日講演）",
                      "url": null
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                  ]
                },
                {
                  "text": "主力アイスの容器が12.3%減った同じ決算で、ヨーグルトの容器は増産の対象になった。三陽パックスはヨーグルト紙カップ全体で前期比6億9,000万円の増収を見込み、ヨーグルト用成形機に約5億円を投じる計画を立てている。味と価格で競う商品が頭を打ち、体への働きで売る商品が立ち上がる。その入れ替わりは、容器を作る側の設備投資にまで及んだ。明治乳業は2002年4月に「明治おいしい牛乳」を全国発売し、品質を理由に高い価格を選んでもらう売り方も並べた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "三陽パックスは2001年5月期にヨーグルト紙カップ全体で前期比6億9,000万円の増収を見込み、ヨーグルト用成形機関係に約5億円の設備投資を予定した",
                      "原文": "ヤクルト本社の「ソフール」のカップも静岡工場分を当社がすべて受注、ヨーグルト紙カップ全体では前期比6億90百万円の増収を見込んでいる。（略）生産増に対応する設備投資としては、ヨーグルト用成形機関係で約5億円、ストロー成形機関係で約60百万円。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 2000年9月号 別冊付録「企業」三陽パックス（稲葉弘文社長 2000年8月3日講演）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "明治乳業は2002年4月に「明治おいしい牛乳」を全国発売した",
                      "原文": "2002年4月、「明治おいしい牛乳」を全国発売。",
                      "source": "明治乳業 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "効能を唱えられない商品に、効能に近い像ができるまで",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "20億円から30億円を売ればヒットと呼ばれる乳製品で、明治乳業は初年度の目標を30億円に置き、実際には80億円を売った。売り物にしたのは味ではなく、胃で働く乳酸菌という性質である。ヨーグルトを嗜好品の棚から体調を整える商品の棚へ移す作業を、特定保健用食品の認可を取らないまま、説明会と番組と一面広告の連鎖だけで成立させた。薬の言葉を一度も使わずに、胃に効く商品という評判だけが立った。"
                },
                {
                  "text": "発売を翌月に控えた2月上旬、明治乳業は厚生省の監視指導課に呼ばれた。製薬会社からは「胃潰瘍の人が食べれば治るというものではない」と反発が出る。三剤併用の承認をなお待っていた薬の側からすれば、順序が逆であった。容器を納める三陽パックスの稲葉弘文社長までが「ピロリ菌を死滅させるヨーグルト」と呼んでいた事実は、触れ込みが会社の説明より先へ走ったことを示している。機能で売ると決めることは、その説明の精度まで引き受ける仕事であった。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "週刊東洋経済 2000年3月4日号「急騰 乳酸菌で胃潰瘍が治る！？ 株価高騰、明治乳業の『ピロリ菌騒動』舞台裏」",
        "週刊東洋経済 2001年6月9日号「新・売れる商品Best100 C分類 暮らし方が変わる新機能型ヒット」",
        "証券アナリストジャーナル 2000年9月号 別冊付録「企業」三陽パックス（稲葉弘文社長 2000年8月3日講演）",
        "明治乳業 有価証券報告書（2002年3月期・連結）",
        "明治乳業 有価証券報告書【沿革】"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-28"
    }
  ]
}
