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    "origin": "創業家（1899年創業）。米国で洋菓子の製法を身につけ、赤坂溜池の二坪の作業場から森永製菓を起こして初代社長を25年務めた",
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          "text": "佐賀県伊万里町に生まれた。祖父の代までは伊万里焼と魚の問屋を営んでいたが、1869年に父を亡くして家財を失い、伯父や伯母の家を転々とした。漢学者の川久保雄平氏の店で店番を務めながら読み書きを習い、13歳の春に野菜の行商を始めた。1885年には横浜の九谷焼売込商・道谷商店に雇われ、居留地の外国商館への売込みを担った。1888年7月、24歳で渡米した。"
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          "text": "1910年1月の発起人会で定款を定め、2月22日に資本金30万円の株式会社森永商店を設立して取締役社長に就任した。取締役には藤村義苗氏・松崎半三郎氏・多久島辰次氏が就任し、創立総会は北浜銀行頭取の岩下清周氏が議長を務めた。株式組織への改組は、松崎半三郎氏が1905年の入店時に条件の一つとして求めていたものである。岩下清周氏の勧めで改組を進めたが、親戚筋の反対が強く、説得に2、3日を要した。"
        },
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          "text": "1907年7月18日に赤坂の工場が焼けると、芝区田町へ移り、3カ月で木造2階建ての新工場を完成させて輸入機械を据え付けた。1912年11月1日に社名を森永製菓株式会社へ改めた。資本金は30万円から50万円、1917年に60万円、1918年11月に120万円へと積み増した。1914年6月には南洋・インド方面へ自ら出張し、輸出の販路を探った。"
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          "text": "1935年4月の第50回株主総会で社長を辞任して相談役となり、専務取締役の松崎半三郎氏が二代社長に就任した。同じ月に森永煉乳の社長も退き、松崎半三郎氏が両社の社長を兼ねた。引退後はキリスト教の伝道に力を注いだ。1946年には長男の森永太平氏が三代社長に就任した。",
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          "text": "森永太一郎氏が1888年に渡ったサンフランシスコでは、日本人はごく一部を除いて最下級の労働に雇われる存在で、自ら商売を営む力はないとみられていた。持参した日本の雑貨は売れず、キリスト教に入信して1890年に一時帰国し郷里で伝道を試みたが、親族の誰も耳を貸さなかった。菓子業で身を立てると決めて再び渡米し、パン屋の下働きからケーキ、キャンデーの工場へと移って製法を一通り覚えた。\n菓子店主のブルーニング氏のもとでは馬車で小売店を回る卸の営業を任され、やがて秘伝の配合まで任された。渡米から足掛け12年、35歳を迎えて帰国を決めた。最初に売れる菓子はマシマローだと見込んで原料と器具を買いそろえ、ホノルルでの開業の誘いを断って1899年6月下旬に横浜へ着いた。\n資金は3分の1を元手、3分の1を運転資金に充て、残る3分の1は不時に備えて手を付けないと決めた。小売をせず卸だけで始める方針を立て、8月中旬に赤坂溜池の家賃2円20銭の借家に2坪の作業場を建て増して製造を始めた。市内の菓子店を2カ月回っても注文は取れず、最初の注文は10月15日夜に新橋金六町の青柳本店から入った。\n得意先は1899年末から翌春にかけて増加し、東京では銀座の亀屋や京橋の風月堂総本店、横浜では明治屋本店など、洋酒食料品店と老舗の菓子店が顧客に並んだ。しかし1900年の梅雨から夏には湿気と暑さでチョコレートが傷み、返品が相次いだ。返された品は溶かして処分し、涼しくなってから作り直して届け直した。預金先の新橋銀行が支払いを止めた際も、元金の8割の払い戻しを受けて事業を続けた。\n1905年1月、貿易商を志していた松崎半三郎氏が、製造と営業の分担、株式組織への改組、人物本位の採用を条件に入店した。同年5月にはマシマローの別名エンゼルフードにちなむエンゼルの商標を登録した。1907年7月に赤坂の工場が焼けた時点で、1日の生産は200円ほど、従業員は16人ほどであった。火災後は芝田町に新工場を建て、輸入機械による量産へ移った。\n1910年2月に株式会社森永商店を設立して社長に就任し、1912年11月に森永製菓へ改称した。1914年にはバラ売りだったキャラメルを、持ち歩けるポケット用の包装で売り出した。同年7月に欧州で大戦が始まり、欧米からの菓子の輸出が途絶えると、松崎半三郎氏はこれを海外輸出の地盤を築く好機とみて生産の計画を立て直した。1935年4月に社長を辞して相談役に退き、松崎半三郎氏が二代社長を継いだ。"
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