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          "text": "1871年、小浜県敦賀郡阿曾浦（現・福井県敦賀市）に生まれ、福井市の豊島小学校で学んだ。子のいなかった熊谷家に養子として入り、少年期は古道具を商う父を手伝ったほか、ふれ売りや福井警察署の給仕も務めた。北陸線の建設で石材の需要が増加すると、鉄道庁へ石材を納める業者の下請けに雇われ、石工として身を立てた。1898年、京都電灯の求めで宿布発電所の石工事を請け負い、熊谷組はこの年を創業の年としている。"
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          "text": "1937年8月20日、熊谷三太郎氏が個人の名義で請け負った三信鉄道が全線で開通した。同じ年、日中戦争の開戦に伴って事業資金の運用が許可制となり、軍需以外の工事で鋼材の使用も制限された。9月5日、東京の別邸に二男の熊谷太三郎氏、牧田甚一氏、宮川順三郎氏を招いて協議し、株式会社の設立を決めた。1938年1月6日の創立総会に続く取締役会で取締役社長に就任し、副社長に熊谷太三郎氏、専務取締役に牧田甚一氏が並んだ。"
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          "text": "本社は福井市の熊谷三太郎氏の自邸に名義だけを置き、事務は東京営業所で執った。会社が事業を始めるまでは熊谷三太郎氏が所有する機械器具を無償で貸し、施工経歴の無い熊谷組に代わって宮崎県の小丸川の工事を個人の名で契約した。実務は牧田甚一氏に任せ、自らは月に2〜3度上京して得意先を回った。1939年元日には、信用・親切・共存共栄を説く3箇条の社則を自ら書いた。2期目の請負は水力発電工事5件、約1646万円に増加し、1940年1月に取締役会長へ移った。"
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          "text": "熊谷三太郎氏が請負の道に入ったのは、電力会社が北陸へ進出し始めた時期である。京都電灯が福井県の宿布で水力発電所を着工した際、福井には堅い石を積める業者が見当たらず、同社は3日がかりで熊谷三太郎氏を探し当てて石工事を任せた。ただ福井周辺の建物は軟らかい笏谷石を使うため、堅石の注文は発電所工事のほかに続かず、自宅に花崗岩細工の店を開設したものの暮らしは苦しかった。1901年からの永平寺の改築、1904年からの金津駅と鯖江駅のホーム改良と、地元の石工では扱えない堅石の工事を受注して事業をつないだ。\n転機は1905年9月、京都電灯が中尾発電所の入札に飛島文吉氏の飛島組を加えたことである。飛島文吉氏は土工を飛島組、石材を熊谷三太郎氏が見積もる分担を持ちかけ、1908年7月の竣工までに熊谷三太郎氏は請負業者としての基盤を固めた。1916年1月には鳥取県の根雨線の現場で牧田甚一氏を部下に迎え、同年9月に株式会社飛島組が設立されると取締役に選ばれた。1919年に飛島組が落札した木曾川の野尻水力工事では、現場の最高責任者を務めた。\n1920年代後半に電力会社の工事が減少すると、熊谷三太郎氏は飛島組とは別に、自らの名で工事を請け負い始めた。1929年2月の庄内電鉄の軌道工事は、代金の回収を危ぶむ飛島文吉氏の反対をよそに個人で請け負い、工事資金の立て替えから車両の購入まで負担した。1934年1月には、飛島組が名義を出すことさえ断った三信鉄道の門島〜中部天竜間45キロを個人で契約し、トンネル116カ所、橋梁54カ所の工事に64歳で臨んだ。着工後に施主の資金繰りは悪化し、同年秋には未払金が150万円近くに積み上がった。\n1937年8月に三信鉄道が全線開通すると、熊谷三太郎氏は飛島組からの独立を決め、9月5日に東京の別邸で二男の熊谷太三郎氏、牧田甚一氏、宮川順三郎氏と設立を協議した。1938年1月6日、資本金40万円で株式会社熊谷組を設立して取締役社長に就任し、創立総会後の取締役会では飛島文吉氏を相談役に推し、名古屋にあった飛島組の出張所を熊谷組の出張所として引き継いだ。\n会社の実務は1916年以来の部下である牧田甚一氏に委ね、熊谷三太郎氏は得意先回りに力を注いだ。1939年9月に貴族院議員に任命され、1940年1月には社長を熊谷太三郎氏に譲り、取締役会長に就任した。戦後の平岡発電所の工事が進むなか脳溢血で倒れ、1951年5月1日に死去するまで会長の職にあった。"
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