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    "founder_role": "refounder",
    "birthdate": "1886-01-05",
    "hometown": "茨城県西茨城郡北山内村",
    "education": "東京帝国大学工科大学建築学科 (1913)",
    "education_source": "私の履歴書 経済人20「戸田利兵衛」（1986年刊・日本経済新聞 1981年2月連載）",
    "prev_role": "戸田組 組長（個人経営）",
    "origin": "創業家（初代戸田利兵衛氏の養子）。茨城の農家・富田家に生まれ、東京帝大建築学科を出て大倉土木に入社したのち、1913年に戸田家へ入り、1920年に二代戸田利兵衛を襲名した",
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    "milestone": "個人経営の戸田組を株式会社に改め、初代社長となった二代目",
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            "date": "1913-12",
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            "date": "1917-01",
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            "role": "株式会社戸田組 取締役社長（個人経営から株式会社へ改組）",
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    "references": [
      {
        "source": "私の履歴書 経済人20「戸田利兵衛」（1986年刊・日本経済新聞 1981年2月連載）",
        "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/11938804",
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          "career",
          "education",
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        ]
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      {
        "source": "戸田建設九十年略史（戸田建設、1972年）",
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          "text": "1886年1月、茨城県西茨城郡北山内村の農家・富田家の三男として生まれた。1913年に東京帝国大学の建築学科を卒業して大倉土木に入社したが、在籍は3カ月余りにとどまった。在学中から建築家の中條精一郎氏に勧められていた戸田組の創業者・初代戸田利兵衛氏の養子の話を受け、同年12月に戸田家へ入った。施工の現場ではなく、大学で建築の設計と技術を学んだ人である。"
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          "text": "入籍の翌年には上野の大正博覧会で施設の8割方を受注し、1915年にはサンフランシスコのパナマ太平洋万国博覧会で日本出品陳列館の工事を率いた。1917年1月に養父から店の経営を一切任され、1920年7月に初代が69歳で死去すると、同年10月に二代戸田利兵衛を襲名した。1936年7月に個人経営の戸田組を資本金200万円の株式会社に改め、その初代の社長に就任した。株式会社となってからの第2代社長は長男の戸田順之助氏である。"
        },
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          "frame": "initiatives",
          "text": "在任中の施策は、組織の近代化と事業領域の拡大の2本であった。1936年の株式会社化の後、1940年9月には社報を創刊し、増加した社員への伝達の手段とした。1936年には日鉄釜石製鉄所の突堤という未経験の海中土木工事を落札し、建築中心の組に港湾の実績を加えた。戦後は1949年10月に建設業法による建設大臣登録を受け、1956年4月には大成建設で土木を学んだ二男の戸田守二氏を迎えて土木部門を再建させた。1961年5月、創業80周年に合わせて会長に就任し、社長を戸田順之助氏に譲った。",
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              "slug": "toda-moriji"
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          "text": "富田繁秋氏が1913年に入った戸田組は組員が16人で、学校出は早稲田大学建築学科の第1回卒業生の渡辺清氏ひとりだった。社史は、当時の戸田組の位置を業界でやっと二流の端と記している。同業には鉄筋コンクリートの強度を知らないままセメントを減らす業者や、入札を荒らし工事を下請けへ丸投げする業者も少なくなかった。1919年には戸田組の代人が東京府商工奨励館の工事を本部に諮らず大幅な安値で落札し、創業以来最悪の危機に陥った。\n1920年7月に初代戸田利兵衛氏が死去し、同年10月に二代戸田利兵衛を襲名した。関東大震災の後には事務所を東京駅前の日本郵船ビルへ移し、組内の人事を刷新して経理部と営業部を新設した。営業部の下に購買係と見積係を置き、それまで各現場主任が裁量で買っていた材料を本店で一括購入して支給する方式に改めた。現場主任の権威がなくなるとの苦情が続出したが、二代戸田利兵衛氏は実施を押し切った。社史はこの改革を、請負師一家のような未分化の組織から近代的な機構への移行と位置づけている。同じ時期には鉄骨と鉄筋コンクリートの新しい技術を取り込んだ業者が存続し、江戸時代以来ののれんを誇る業者にも倒産が相次いだ。\n事業の領域も建築の外へ広げた。1932年には帝都電鉄井の頭線の道玄坂トンネルに着工し、不慣れな土木工事に着手した。同年5月には奉天に支店を出して大陸へ進出し、1934年9月には大阪支店を開設した。1936年には日鉄釜石製鉄所の突堤工事を、建築の技術者が港湾工学の書物で積算した見積もりで落札している。同年7月には個人経営の戸田組を資本金200万円の株式会社に改め、社長に就任した。株主は社長と組員であった。\n戦時中は軍の指令に従って工事を割り当てられ、満州の支店は1939年7月に現地法人の満州戸田組へ改め、シンガポールにも事務所を設けた。戦後は1949年10月に建設業法による建設大臣登録を受けた。1956年4月には、大成建設で11年余り土木工事を経験した二男の戸田守二氏を迎え、土木部門を本格的に再建させた。\n1961年5月、創業80周年に合わせて京橋に新八重洲ビルの第1期工事を完成させ、本社をそこへ移した。同月に会長に退き、副社長だった長男の戸田順之助氏が社長に就任した。社史は戸田順之助氏を、株式会社となってからの第2代社長と位置づけている。二代戸田利兵衛氏は建設業を受注産業とみて、経営規模をいたずらに拡大すべきではないとの持論を持っていた。それでも1960年の年頭には、急速に伸びる他社との距離を縮めるには努力と技術訓練が必要だと社員に説いている。"
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