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  "company_name": "松尾鉱業",
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  "updated": "2026-09-22",
  "license": "© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.",
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      "primary": [
        "ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版【過去の業績】半期合算（昭31年9月期＋昭32年3月期）",
        "ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版【過去の業績】半期合算（昭33年9月期＋昭34年3月期）",
        "ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版【過去の業績】半期合算（昭34年9月期＋昭35年3月期）",
        "ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版【過去の業績】半期合算（昭35年9月期＋昭36年3月期）",
        "ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版【業績一覧表】半期合算（第83期＋第84期）",
        "ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版【業績一覧表】半期合算（第85期＋第86期）／同誌注記の有価証券報告書ベースは売上38.27億円・税込純利益-0.42億円"
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      "extraction": "EDINET の XBRL、kabupro 掲載の旧有価証券報告書、会社年鑑・社史等からの転記",
      "row_field": "reference",
      "caveat": "創業期から現在までを 1 本に繋いだ長期系列のため、年代により出所・単位・連結範囲が変わる。行ごとの reference / unit / consolidation を必ず参照すること"
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  "title": "松尾鉱業の歴史概略",
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    {
      "title": "横浜の貿易商が買った松尾鉱山と、輸出品だった硫黄",
      "start_year": 1914,
      "end_year": 1945
    },
    {
      "title": "硫黄・硫化鉱ともに全国首位となった1952年",
      "start_year": 1946,
      "end_year": 1953
    },
    {
      "title": "福田董社長のもとで膨らんだ人員と長期不況",
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    },
    {
      "title": "神戸製鋼所から来た経営陣と40億円の合理化計画",
      "start_year": 1964,
      "end_year": 1972
    }
  ],
  "overview": [
    {
      "label": "創業",
      "text": "1913年6月、横浜の貿易商である中村房次郎氏が、岩手県松尾村で1882年ごろに大露頭の見つかった松尾鉱山の鉱業権を取得した。翌1914年8月1日、本格的な開発のため資本金30万円で松尾鉱業株式会社を設立し、本社を横浜市中区本町に置いて自ら初代社長に就任した。出資したのは、横浜貿易業者の草分けだった中村房次郎氏の商社である増田屋を中心とする同族である。硫黄はこのころ主として輸出物資で、当初の事業は自家製錬所にかけた精製硫黄の生産販売に限られ、産出の大部分は海外へ出た。設立の直後に欧州大戦で市価が暴騰して一時の活況を得たが、1920年には戦後不況の余波を受けて休山の危機に直面している。"
    },
    {
      "label": "決断",
      "text": "埋蔵量では国内一位、品位では劣位という条件を、設備投資で埋めようとし続けた。松尾鉱山は本邦硫化鉱埋蔵量の86%を擁する一方、硫黄含有量は34%と低く、粗鉱の比重も2.4〜2.5と他鉱山の金属硫化鉱より2割軽い。1934年に屋敷台と大更を結ぶ松尾鉱山鉄道12.3キロを自前で敷き、1960年に浮遊選鉱設備、1961年に流動製錬設備を完成させ、同年10月には神戸製鋼所・日産化学工業と東北鉱化工業を設立して山麓へ硫酸工場を建設した。1964年5月、最大の債権者である第一銀行の要望で[神戸製鋼所から山野上重喜社長を迎えると](/tse/5406/)、露天掘りと排ガスの硫酸化でトン8,000円の原価低減を掲げる。業界全体が要望した合理化資金30億円を10億円上回る約40億円が、松尾鉱業1社に出た。"
    },
    {
      "label": "現況",
      "text": "更生手続に入っても人員は減らず、売れない硫黄を1年つくり続けた。1968年12月18日に東京地方裁判所へ会社更生法の適用を申請し、24日に財産保全命令が出る。1969年1月に万座硫黄社長の浅田寛二氏が管財人となり、3月19日には東京証券取引所第一部が松尾鉱業の上場を廃止した。大口債権者の金融機関は当初から人員整理を求めたが、管財人は退職資金が無いとしてこれに応じず、1,000人余りを抱えたまま生産を続ける。同年10月、石油業界からの1億5,000万円の協力費と硫黄・硫化鉱の在庫をかき集め、1人平均25万円、規定額の4分の1という退職金で決着した。製品ではなく滞貨のほうが、11月11日の総退職の原資を作った。"
    },
    {
      "label": "競合",
      "text": "倒産の理由として当時説明されたのは、重油脱硫で出る安価な回収硫黄が鉱山硫黄を締め出したという筋である。ただし回収硫黄が量を出したのは富士石油・大協石油・東亜燃料・日本石油の後発4社が常時操業に入った1969年1月からで、松尾鉱業の更生法申請より後にあたる。出鉱の半分が硫黄鉱だった松尾鉱業が受ける影響度は15%と算定されている。松尾鉱業のほうは1968年9月にトン2万円の大台を割って1万9,000円で売り、鉱山硫黄業界全体へ年20数億円の損害をもたらした。硫化鉱では会社単位で柵原・花岡をもつ[同和鉱業](/tse/5714/)に次いだが、一山だけを掘る会社に価格を戻す余力は残っていなかった。"
    }
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  "profile": [
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      "key": "founding_business",
      "label": "祖業",
      "value": "岩手県松尾鉱山の硫黄採掘と精製"
    },
    {
      "key": "delisting",
      "label": "上場と廃止",
      "value": "1950年〜1969年",
      "note": "東京証券取引所へ上場、1971年の松尾鉱山閉山で消滅"
    }
  ],
  "foundingStory": true,
  "foundingChapters": 4,
  "summary": {
    "description": "松尾鉱業の歴史を創業から現在まで一次資料でたどる。沿革・財務・歴代社長・大株主・セグメントの長期データを時系列で横断。"
  },
  "chapters": [
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      "start_year": 1914,
      "end_year": 1945,
      "main_title": "横浜の貿易商が買った松尾鉱山と、輸出品だった硫黄",
      "subsections": [
        {
          "title": "大露頭発見と貿易商増田屋の同族資本",
          "text": "岩手県松尾村の山中で硫黄の大露頭が見つかったのは1882年ごろで、発見したのは地元の村民だった。松尾鉱山の地質は複輝石安山岩質の溶岩と凝灰岩からなり、その中に硫黄が巨大な塊状鉱床をつくって存在する。主要鉱物は遊離硫黄と硫化鉄であり、上部鉱床は硫化鉄を、下部鉱床は遊離硫黄を多く含む。1882年の露頭発見当時に採掘の対象となったのが第1鉱体で、遊離硫黄と黒色硫化鉄が混在し、広がりは1,000メートル×1,200メートル、厚さは30〜40メートルに達する。露頭が見つかったあと、松尾鉱山の鉱業権は幾人かの手を経て移った。\n\n横浜の貿易商である中村房次郎氏が松尾鉱山の鉱業権を取得したのは、1913年6月である。中村房次郎氏は硫黄鉱床として有望だった松尾鉱山の本格的な開発を目的に、1914年8月1日、資本金30万円で松尾鉱業を設立した。初代社長には中村房次郎氏が就任。本社は横浜市中区本町4の39に置いた。資本を出したのは、横浜貿易業者の草分けだった中村房次郎氏の貿易商社である増田屋を中心とする同族だった。設立の形は、増田屋貿易が個人経営だった鉱山を買い取るというものだった。資本金30万円は公称資本金と同額で、設立の日に全額が払い込まれた。鉱業所は岩手県岩手郡松尾村大字寄木字赤川山に置いた。岩手県の山中にある鉱山の開発を、横浜に本社を置く会社が担った。松尾鉱業の設立は、大露頭の発見から32年後にあたる。\n\n松尾鉱山で硫黄の本格的な製錬が始まったのは、1914年の設立と同時である。貿易業者の中村房次郎氏がこの硫黄開発に手を出したのは、当時の硫黄がおもに海外へ売る品だったためである。最初は精製硫黄を造って売る事業だけで、遊離硫黄の多い鉱石を硫黄鉱と呼び、自社の製錬所で精製してから販売した。国内ではまだ用途が育っておらず、製品の大半は輸出に回った。設立して間もなく欧州大戦が始まると硫黄の市価が急騰し、松尾鉱業は一時的に潤った。だが1920年、大戦後の不況のあおりで休山しかねない状況に陥った。",
          "references": [
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              "title": "ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「松尾鉱業」",
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        {
          "title": "精製硫黄だけの品目から硫化鉱兼営への転換",
          "text": "1920年の休山の危機を抜けるため、松尾鉱業は1921年ごろから硫黄製錬の設備を石炭竈に改めた。あわせて硫化鉱の生産販売も兼営に加え、扱う品目は精製硫黄だけから硫黄と硫化鉱の2つになった。松尾鉱山では遊離硫黄の多い鉱石を硫黄鉱、硫化鉄の比較的多い鉱石を硫化鉱と呼び分けた。硫化鉱を売り始めた背景には硫酸工業の発展があり、1921年から鉱石をそのままの形で出荷した。石炭竈への改造と硫化鉱の兼営によって経営は上向いた。以後の松尾鉱業は、硫黄と硫化鉱の需要増大に合わせて生産設備を増やし、産出量を拡充した。\n\n1920年代の半ばから後半にかけて製紙と人絹が勃興し、松尾鉱業の硫化鉱に対する内需が急増した。硫黄はスフやパルプの業界へ、硫化鉱は硫酸や硫安の原料として流れた。さらに化学肥料工業が急速に発達したため、硫化鉱の販路も伸びた。その後も関連化学工業の勃興に伴って、松尾鉱業は鉱山の規模を段階的に拡大した。生産量は1930年に硫黄1万6000トン、硫化鉱3万7000トン程度だった。それが1938年には硫黄6万4000トン、硫化鉱60万トン超に達し、松尾鉱業は記録的な最盛期を迎えた。硫黄の生産量は8年で4倍、硫化鉱は16倍を上回る規模になった。\n\n硫酸工業向けの原料として鉱石の需要は伸び続け、馬車に頼る輸送ではその量を処理しきれなくなっていた。開業以来、鉱石は馬車で山を下りて花輪線の大更駅に着き、そこで貨車へ移されてきたが、この8年で生産量は数倍に膨らみ、運び出す手段だけが変わらずにいた。対策として松尾鉱業が計画した松尾鉱山鉄道は1934年に完成し、屋敷台と大更の間を結ぶこの路線と並んで、同じころ八戸港の船積施設も拡充された。専用鉄道である松尾鉱山鉄道は、大部分を松尾鉱業の製品輸送にあてた。鉄道の完成で輸送量は増え、松尾鉱業は硫酸工業の原料需要に応える輸送力を得た。この専用鉄道は、のちに東八幡平と国鉄大更線を結ぶ12.3キロの路線となった。",
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          "title": "資本金800万円への増資と坑内落盤の変災",
          "text": "設備の増設と拡充を賄うため、松尾鉱業は設立時の30万円から資本金を数度にわたって増額した。1919年10月に100万円、1934年8月に200万円、1936年8月に300万円、1937年9月に500万円と刻み、1939年には800万円に達した。1942年5月にはさらに1000万円へ増やした。増資で得た資金を生産設備の増設と拡充に充て、松尾鉱業は堅実な基礎を確立した。鉱床の探査も並行して進み、1937年には第2鉱体が見つかった。第2鉱体は第1鉱体と同じ成分で、広がりは1,200メートル×600メートル、厚さは60〜90メートルに及ぶ。鉱床は北西から南東へ10度ほど傾斜している。第2鉱体の発見によって、松尾鉱業の採掘対象は第1鉱体だけではなくなった。\n\n1939年11月、松尾鉱業は松尾鉱山で坑内落盤の変災に遭った。この事故で多数の犠牲者が出て、松尾鉱業は甚大な損害を受けた。変災は、硫黄6万4000トンと硫化鉱60万トン超を産した最盛期の翌年に起きた。そのころから戦時体制が強化され、松尾鉱業の硫黄と硫化鉱の事業は平和産業として抑制の対象に置かれた。統制が進むにつれて経営の困難はしだいに増し、松尾鉱業に残された道は、鉱床周辺の褐鉄鉱を採掘して販売することだけになった。褐鉄鉱の販売で経営を保ったまま、松尾鉱業は1945年の終戦を迎えた。\n\n1940年から1941年にかけて、松尾鉱業の松尾鉱山は日本最大の硫黄鉱山になった。硫黄と硫化鉱の需要増大に合わせて生産を拡充してきた結果である。国内最大の硫黄鉱山を抱えた時期に、社長は中村房次郎氏から息子の中村正雄氏へ代わった。中村正雄氏は安部磯雄氏の女婿にあたる。1943年ごろには一時的に住友の資本が入り、専務ほかの役員にも住友からの参加があった。終戦後、松尾鉱業は住友の資本を返還し、同族経営へ復帰した。終戦時の資本金は1000万円で、1942年5月の増資以来そのままだった。設立時の30万円から数えて、資本金は31年で33倍に増えた。",
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          "出所は株式会社年鑑 1950年版の沿革と、会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）。",
          "1939年の800万円は会社銀行八十年史の4月時点、ほかは年鑑の増資年月による。"
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          "title": "硫化鉱の重点生産で戦前水準へ戻した坑内外の復旧",
          "text": "戦後の松尾鉱業は企業整理の網にもかかり、1946年8月に受けた特別経理会社の指定は翌9月に外れ、1948年2月の過度経済力集中排除法による指定も同年12月に解かれた。食糧が乏しいなかで、同社には肥料をつくるための硫化鉱をもっと掘り出すよう求めが寄せられた。重点を硫化鉱の生産に置いた同社は、戦時中に傷んだ坑内と坑外の設備を直して整え、そのうえで新設や拡張にも踏み込んで産出を押し上げた。戦前並みの量に戻って求めをまかなえるようになったのは、1950年ごろのことである。硫黄もGHQの求めで肥料増産に向けたフル生産に入り、株式市場では人気銘柄に数えられた。従業員は多い時で6000人に上り、鉱山のある岩手県松尾村から近い盛岡市の繁華街では、胸に松尾のバッジがあれば初顔の客でも付け払いが通ったと伝えられる。\n\n松尾鉱業は創業以来、松尾鉱山ただ一つを対象とする一山一社経営を続けた。硫化鉱は月産5万トンで全国比30%を占め、会社単位では柵原・花岡をもつ同和鉱業に次いだが、鉱山単位では断然他を圧した。硫黄も月産3000トンに上り、全国の47%を占めた。採掘した鉱石は、遊離硫黄の多いものを硫黄鉱、硫化鉄の比較的多いものを硫化鉱として分け、硫黄鉱は自家製錬所で製錬し精製硫黄として販売した。松尾鉱山は本邦硫化鉱埋蔵量の86%を擁する一方、硫黄含有量は34%と低位で立地条件もやや劣り、その難は延長12キロの松尾鉄道を利用した八戸港での船積みで若干補われた。1946年には住友系の井華鉱業の従属会社に指定されたものの、親会社が持つ松尾鉱業株を従業員が譲り受けた結果、1949年3月に従属会社の関係は解消した。一山一社の形は、戦後の資本関係の整理を経ても変わらなかった。\n\n硫化鉱と硫黄の増産に合わせ、松尾鉱業は輸送と製品加工の幅も広げた。1948年3月、それまで自社製品を運んでいた鉄道で地方鉄道による一般運輸事業を開始。松尾鉱山鉄道は東八幡平と国鉄大更線を結ぶ12.3キロの路線で、松尾鉱業製品の輸送を主としながら一般貨物輸送も担った。1950年5月2日には東京証券取引所へ株式を上場した。同年11月には精製硫黄を原料として自家粉化工場で粉末硫黄の製造を開始した。硫化鉱のほうは粉砕・ふるい分け・浮遊選鉱の過程を経て精鉱とし、硫酸・硫安・農薬に使う関連会社へ納入した。",
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          "text": "硫黄は、化繊やパルプなど関連産業の目ざましい復旧に伴って需要が急激に高まった。松尾鉱業は硫化鉱需要の安定を機会として、しだいに硫黄の増産へ重点を切り替え、1951年3月の価格統制解除を契機に全面的な硫黄増産対策を確立した。硫黄の主な需要先は化繊・合繊・人絹スフ用のパルプ業界で、松尾鉱山で採った硫黄鉱は自家製錬所を経て精製硫黄となった。1949年度に起工した第一鉱床の総合開発計画も完成し、硫黄製錬設備20基が出そろったことなどによって採鉱は著しく活発化した。増産と並行して周辺事業も広げ、1951年7月には乗合バスによる一般旅客輸送を始めた。\n\n戦後の復旧資金に充てるため、松尾鉱業は終戦時の資本金1000万円から3回の増資を重ねた。1949年7月に3000万円、1950年4月に8000万円と増やし、1951年6月に1億8000万円とした。同年10月には再評価積立金の資本組入による倍額増資を行い、3億6000万円へ引き上げた。増資と設備の拡充は生産量に表れ、1951年9月期には硫化鉱27万7012トン、硫黄1万7286トンに達した。主体である硫化鉱は同期に27万トンとなって前期比20%増、売上金額は4億1000万円余で前期比26%増に伸びた。硫黄も同期の生産が前期比18%増であるのに対し、金額では前期比28%の増加となった。\n\n金額の増勢が数量の増勢を上回った理由は、買取価格の引き上げにある。硫化鉱の買取価格は1951年3月にトン当たり59円上がって1422円となり、9月1日にさらに22円上がって1455円、12月には55円高の1509円へ改定された。硫黄は1951年11月にトン1万4700円へ引き上げられ、ようやくトン当たり1300〜1400円の黒字に転じて、低物価政策の犠牲となっていた硫黄部門の採算が好転した。価格と生産の両面から収益が増えた結果、1951年9月期の純益金は資産再評価償却金8540万円余を控除しても8290万円に上り、利益率は20割を超えた。松尾鉱業は前期並みの特配1割を加えた3割配当を行った。",
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          "text": "硫化鉱の重点生産で戦前の水準を取り戻し、価格統制の解除を境に硫黄へ重点を移した松尾鉱業の生産は、1951年に硫化鉱65万トン、1952年に硫黄6万2000トン余へ達し、いずれも全国鉱山中で首位を占めた。硫黄は世界的な重要不足物資として、IMC（国際原料割当会議）による国際的な需給統制の対象となり、松尾鉱業もその要請に基づいて1952年中に1万2400トンの割当輸出を行った。同じ年の10月には女牛鉱山で金・重石・石灰石の採掘準備を開始し、創業以来続けてきた一山一社経営の枠を越えて硫黄と硫化鉱以外の鉱種へ手を伸ばした。\n\nしかし1953年、世界生産の9割を占める米国が低コスト硫黄を大幅に増産し、世界需要も漸減したため、IMCによる国際統制は解除された。国際価格は米国硫黄に鞘寄せして急落し、割当に支えられていた輸出は停滞して、山元には出荷先の決まらない硫黄が滞貨として積み上がった。輸出に回らなくなった分は国内市場を圧迫し、硫黄の市価も低落へ向かった。この市況不振を打開するため、1953年10月と翌1954年1月に求償貿易形式の輸出が行われ、松尾鉱業は全輸出量1万8300トンのうち7700トンを輸出した。\n\n輸出の停滞と市価の低落は、増資と設備投資を重ねてきた収支に跳ね返った。1953年3月期の当期純利益は3億5729万円で、前期の4億9471万円から1億3700万円あまり減った。同じ期の売上高は19億3356万円と前期の17億8125万円を上回っており、減益は販売量ではなく採算の悪化から来ていた。それでも配当は年率3割を保ち、利益準備金1800万円と税金1億6800万円を差し引いたうえで5400万円を株主へ配った。増資も止めず、1953年6月には1株につき1株を割り当てる倍額増資を行い、資本金を3億6000万円から7億2000万円へ引き上げた。1952年中に380円をつけた株価は、1953年8月には94円まで下げた。硫黄と硫化鉱で全国首位に立った直後に、松尾鉱業は市況と採算の両方を失った。",
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          "出所は株式会社年鑑 1950年版・1952年版・1954年版と、会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）。",
          "1951年10月は再評価積立金の資本組入による倍額増資。"
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          "text": "1954年2月、2代社長の中村正雄氏が逝去し、専務だった福田董氏が後任社長に就任した。福田董氏は中村正雄氏の妹の夫にあたる義弟で、中村正雄氏と同じく篤いクリスチャンであり、上智大学経済学部の教授でもあった。松尾鉱業の経営方針は人道的で信仰的なものとなり、岩手県の松尾鉱山は当時\"山上の文化都市\"と称された。海抜878メートルに置かれた鉱山事務所から見おろす台地には鉄筋コンクリートのアパートが並び、住宅施設が完備していた。松尾鉱業は硫化鉱で1951年に65万トン、硫黄で1952年に6万2000トン余りを産し、いずれも全国鉱山中の首位にあった。鉱石の推定埋蔵量は1億トン以上と見積もられた。\n\n福田董社長のもとで松尾鉱業がまず取り組んだのは製錬コストの引下げだった。1955年1月に乾式連続硫黄製錬設備の建設を始め、同年秋に一部を操業させた。同年3月には資本金が8億900万円となった。鉱床の探査も続き、1950年に遊離硫黄を多く含む第3鉱体を、1956年には硫化鉄を多く含む第4鉱体を発見した。第1・第2・第3鉱体からの鉱石のうち、遊離硫黄25%以上のものは硫黄製錬の原料として自家消費に回り、全硫黄36%以上のものは25ミリ以下に粉砕した松尾粉鉱となった。第4鉱体の鉱石は遊離硫黄2〜3%、硫化鉄鉱態硫黄32〜34%と品位が低く、破砕・摩鉱・浮選の工程を経て硫黄50%の硫化鉄鉱精鉱に仕上げた。\n\n松尾鉱業の鉱石は重さの面でも不利で、粗鉱の比重は2.4〜2.5と、よその鉱山の金属硫化鉱の3.0〜3.8より20%ほど軽く、同じ容積を運んでもトン数が稼げないぶん運搬費がかさんだ。しかも1954年に始まった供給過剰で業界の不況は底が見えず、1955年から1956年の小康景気も、需要側の業界が輸入を増やしすぎたことで途切れていた。品位は群馬の諸山より低く、運賃も高かった。硫黄を年6〜7万トン、硫化鉱を年50万トン掘り出しても、5000人近い従業員を抱えたままではコストが下がらなかった。再度の再建計画も労働組合の反対ストライキにあい、効果は薄かった。",
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          "title": "無配転落と南ローデシアのスツケ鉱山",
          "text": "業界不況は配当に直に出て、松尾鉱業は1958年3月期から無配を続けた。人員の削減も繰り返し、1958年に320人、1960年に800人を減らした。硫黄の埋蔵量は豊富でも、硫黄と硫化鉱はいずれも需要が伸び悩み、松尾鉱山は苦難期に入っていた。硫黄の主な納入先は化繊・合繊・人絹スフ用のパルプ業界、硫化鉱の納入先は硫酸・硫安・農薬の各業界で、いずれの需要業界の停滞も松尾鉱業の販売を直に押し下げた。株価も低迷し、東京市場での1960年中の高値は52円、安値は33円と、額面50円を割り込む水準にとどまった。1961年に入って株価が額面を上回ってからも、復配はこの先2、3期は難しいと見込まれた。\n\n合理化は選鉱と製錬の両面で進んだ。1960年に浮遊選鉱設備を完成させて外販鉱石の品位を引き上げ、1961年には流動製錬設備を完成させた。運輸部門は1960年9月に分離し、八幡平観光と松尾貨物運送の2社を設けた。1961年10月には神戸製鋼所・日産化学工業との共同出資で資本金5億円の東北鉱化工業を設立し、松尾鉱山山麓の屋敷台に日産300トンの硫酸工場を建設した。八幡平観光は八幡平国立公園の松尾鉱山口の開発に進出し、夏冬兼用リフトと観光ホテルの建設、定期バス路線の延長、貸切バス営業、スキー場の造成を進めた。\n\n硫黄の需要先である化繊・パルプ工業の不振は、硫黄に頼る事業構成そのものを先細らせた。松尾鉱業は1957年ごろから南アフリカへ技師2人を送り込んで踏査を行い、1960年に南ローデシアのソールスベリーに近いスツケ鉱山を得た。この鉱山はペグマタイト鉱床で、タンタルとベリリウムの原鉱石を精鉱換算で25万トン埋蔵すると予測された。採掘にあたっては同系列の増田屋を通じて現地法人マツオローデシア・マイニング・カンパニーを設立し、資本金2500万円は全額を松尾鉱業が出資した。当初はタンタル原鉱を月2トン、ベリリウム原鉱を15トン採掘する計画だった。",
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              "title": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）「松尾鉱業」の項",
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        {
          "title": "小島岩太郎社長と得能善太郎専務による1082人の整理",
          "text": "福田董社長は1961年に退任した。後任には中村正雄元社長に見込まれて入社した譜代の元専務・小島岩太郎氏が就任し、住友の逸材として長く鉱業所長を務め常務だった得能善太郎氏が専務となった。小島岩太郎社長と得能善太郎専務は人員整理と硫黄の月7〜8000トンへの能率アップを励行し、流動製錬と直熱製錬の研究・試験を並行させて相当のコストダウンにつなげた。松尾鉱業は1962年に1082人を整理し、同年秋の1000余名の人員整理と経営陣の交替により再建に着手した。焼取製錬竈の燃料を石炭から重油へ切り替える改造工事も1962年10月に始め、1963年4月までに30基を終えた。\n\n再建の中核は硫酸への一貫化と人件費の圧縮だった。東北鉱化工業の硫酸工場は1963年1月に操業を開始し、松尾鉱業は焙焼硫化鉱の月約1万トンを全量供給した。従業員は1963年3月末で2484人、平均年齢は36.6歳を数え、5000人近くを抱えた1950年代半ばからおよそ半分に減った。資本金10億円に対し、借入金は21億円から23億円程度にとどまっていた。販売実績では1962年9月期に硫鉱が53.3%、精製硫黄が34.2%、鉄道営業が8.4%を占め、1963年3月期にはそれぞれ49.9%、38.7%、8.0%となった。\n\n1963年6月末の大株主は第一銀行と神戸製鋼所がともに持株比率2.5%で並び、日の本産業2.4%、日東化学工業2.4%、倉敷レイヨン2.1%がこれに次いだ。松尾鉱業は財閥系の親会社を持たず、単独で経営を支える大口株主を欠いていた。硫黄で30%、硫化鉱で15%の市場占有率を占め、この2品目で売上高の9割を占めた。岩手県の松尾鉱山のほかに青森県唐川と岩手県都南の鉱山で金・銀・銅・亜鉛を産したが、量は少なく他社へ売鉱していた。それでも無配は解消せず、品位の低い鉱石と運賃高から来るコスト高が、10年近く続いた硫黄不況のもとで残った。",
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          "title": "第一銀行の要望で送り込まれた神戸製鋼所の3人",
          "text": "1964年5月、松尾鉱業では小島岩太郎社長と得能善太郎専務がそろって退いた。退任を求めたのは、貸し手として最大で、大株主にも名を連ねる第一銀行だった。硫黄の値が上向いた矢先のことで、各国で需要が急に伸びて世界の需給が逆転し、国内でも供給が足りなくなる気配が出たため、10年近く沈んでいた硫黄は1963年7月と10月の2度、各トン2000円程度ずつ上がっていた。社長の座には神戸製鋼所専務の山野上重喜氏が送り込まれ、副社長には神戸製鋼所へ鉄鉱石を納める日本高周波鉱業の常務だった中村武晴氏が入った。前神戸製鋼所顧問で元通産省機械局長の佐枝新一専務はすでに入社しており、この3人が経営を担う体制となった。第一銀行は、松尾鉱業の硫化鉄鉱を資源化する意欲から大株主となっていた系列下の神戸製鋼所に、松尾鉱業への経営乗り出しを要請していた。\n\n経営陣が入れ替わった時期、硫黄業界は貿易自由化への対応を迫られていた。硫黄は自由化困難な産業としてハード・コア・ウェイバー品目とされていたが、1961年のガット総会で同制度を1962年から廃止する決議が行われ、通産省は硫黄を1968年度または1970年度までに自由化する方針を立てた。通産省の試算では、1968年度の国内需要35万トンに対し、軽質油からの回収硫黄が理論計算で22万トン、最小でも15万トン、自由化により輸入が5万〜10万トンとなり、鉱山硫黄の需要対象は10万〜15万トンにすぎない。通産省は、輸入価格トン1万5000円と競争できるコストダウンが要ると結論づけた。工場渡し1万7000円で成り立つ合理化ができるかという諮問に対し、全国の業者を一丸とする日本硫黄企業連盟は、業界全体の合理化資金合計30億円の低利資金斡旋その他の条件が満たされれば合理化目標を達成できると答申した。\n\n松尾鉱業は業界第一の生産量を持ちながらコストが高く、大手のなかで最も弱く、過去2度の再建計画も実績が上がらなかった。山野上重喜社長らは、松尾鉱山で研究と試験を重ねていた流動製錬・直熱製錬と、終戦直後にGHQから示唆された第1鉱体の露天掘り化を3本の中核とする計画を立てた。露天掘り採掘で硫黄トン当たり3000円、流動製錬・直熱製錬と排ガスの硫酸化で5000円、合わせて8000円のコストダウンを行い、大更渡し1万3500円に需要工場までの平均運賃トン2000円を加えた工場渡し1万5500円でペイし得ると称し、所要合理化資金約40億円の斡旋を通産省に要請した。通産省の当局者は東北開発公庫と興業銀行に極力推薦し、第一銀行その他の民間銀行との協調融資で40億円の借款を取り結ばせた。業界全体が要望した合理化資金30億円を10億円上回る資金が、松尾鉱業1社に出た。",
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          "title": "トン8000円のコストダウン計画と実績の乖離",
          "text": "松尾鉱業は1964年10月、5カ年計画による剥土資金・設備資金計約40億円の融資を得て合理化に着手した。露天掘りは冬季も通して1965年5月までに340万立方メートルを剥土し、同月から採鉱を始める目算だったが、冬季の作業不能と1日2万立方メートルという剥土能率の予定が空転し、採鉱開始は1967年5月にずれ込んだ。流動製錬・直熱製錬は1966年1月に操業を開始し、4月から月計3350トンを生産する予定が7月からの試験開始にずれ、その後も故障と修理が続いた。排ガスは高低差60メートル・距離300メートル下方の東北鉱化工業の硫酸工場へ送ったが、硫化水素と硫黄ミストが浄化されず不純な硫酸しかできないとわかり、日産化学のパテント浄化装置やアメリカからの触媒輸入で2年を空振りした。修理その他で約6億円、当初の設備資金と合わせて約10億円を投入し、1968年春にようやく正常運転に入った。\n\n露天掘りと流動製錬・直熱製錬がどうにか平常の操業に入ったのは1968年だが、剥土採鉱費は鉱石トン当たり550円という目標に対し、償却と金利を抜いても1000円以上に達した。遊離硫黄に対する実収率は計画の80%に届かず60〜65%で止まり、硫黄1トンを得るのに見込んだ鉱石5トンではなく7〜8トンを使った。排ガスは鉱石に換算して月1万1000トン使う計画だったのに、実際は月2200トンで、効率は20%にとどまる。硫黄トン当たりの大更渡しコストは2万1500円を8000円引き下げて1万3500円にする計画で、下げ幅の少なくとも50%は実現する必要があったのに、結果はかえって以前のコストより高くなった。\n\n合理化が停滞していた1967年春、松尾鉱業は850名の希望退職案を打ち出し、11億円の資金計画を立てて金融機関に融資を懇請した。賃金差と福利厚生費差で月4000万円を節減するという理由だったが、金融機関の多くは断った。経営者が通産省に泣きつくと、鉱山局の課長が東北開発公庫と興業銀行へ出向いて政策的なテコ入れを約し、11億円の退職金融資を得て1967年9月に900名を整理した。しかし硫黄が2000トンの減産となり、月4000万円の節減効果はゼロに終わった。借入金は山野上重喜社長の就任前の22億〜23億円から5年で65億円に膨らみ、累積赤字は18億5000万円、実質23億円に増えた。売掛金その他を含む債務は約80億円に達し、1968年6月には日本ブルドーザー工事の受取手形額面2億円の不渡り問題が起き、通産省の懇請による東北開発公庫の緊急融資で危機を脱した。",
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              "role": "東北開発公庫・第一銀行・興業銀行・岩手銀行など大口債権者のうち指導的立場にある銀行",
              "date": "1969年",
              "text": "1968年6月の日本ブルドーザー工事の受取手形（額面2億円）の不渡り問題の際、通産省の懇請で公庫から緊急融資をもって辛うじて危機を脱したが、あの時、不渡処分を断行し、倒産せしめるべきだった。\n結局松尾鉱業は更生不能となり破産しなければ再建できないのではないか。破産になれば債権者も諦めるだろうし、自然人員も少なくなるだろう。そうなれば債務はなくなり、小規模にもなる。そこではじめて本当の再建ができるであろう",
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          "title": "全従業員の総退職と5名だけの残務整理",
          "text": "手形が不渡りになる寸前に更生を申し立てたことで、松尾鉱業は銀行取引の停止を免れ、生産と販売をそれまでどおり続けることを認められた。申請先は東京地方裁判所で、日付は1968年12月18日、財産保全命令は同年12月24日に出ている。管財人には通産省と非鉄金属業界が推した万座硫黄社長の浅田寛二氏が指定され、1969年1月15日に更生手続の開始が発令された。もっとも、裁判所が意見を聞く場でも管財人を決める場でも大口債権者である金融機関の意向はほぼ顧みられず、手続は通産省の考えを軸に進んだため、金融機関は抗議した。3月15日の第1回関係人会議で示された更生計画の確立期限は12月25日で、通例の6カ月ではなくほぼ1年後に置かれた。上場は3月19日、東京証券取引所1部が更生または整理を理由に廃止した。\n\n富士石油・大協石油・東亜燃料・日本石油の後発4社が常時操業に入り、重油脱硫で回収される硫黄が増え始めたのは1969年1月で、松尾鉱業が倒産した後のことだった。それでも当時の各紙・各局は、脱硫で得た安い硫黄が大量に市場へ流れ、山から掘る硫黄の買い手がいなくなったことを倒産の原因として一様に伝え、通産省も旧経営者も管財人も同じ説明をした。原因の大半はむしろ通産省の指導の誤りと、旧経営者の合理化と経営の失敗にあるとする見方もあった。1969年1〜9月の回収硫黄生産は月平均1万2240トン、うち重油脱硫分は6240〜6740トンで、鉱山硫黄への影響度は約30%、出鉱の半分が硫黄鉱だった松尾鉱業が受けるべき影響度は15%と算定された。安売りはむしろ鉱山側にあり、松尾鉱業は1968年9月からトン2万円の大台を割って1万9000円でダンピングを始め、これが鉱山硫黄業界全体に年間20数億円の損害をもたらした。\n\n管財人の浅田寛二氏は、退職金に回す資金がないことを理由に、1000人余りの従業員を抱えたまま売れ行きのない硫黄を掘り続けた。手続が始まった当初から大口債権者の金融機関が大幅な人員整理を迫っていたのを、退けた形である。同年9月末、管財人は閉山が避けられないことを労組の代表に告げた。10月に入ると松尾村と岩手県が急ぎ手を打ち、全日本金属鉱山労働組合の中央行動や通産・大蔵・労働の各省への陳情が重ねられ、石油業界も1億5000万円の協力費を出した。硫黄と硫化鉱の在庫を残らず集めて充てた結果、退職金は1人平均25万円、規定額の4分の1の支払いで決着した。11月11日限りで職員・従業員と管理職員のすべてが退職し、一切の作業が止まった。松尾鉱業鉄道は1969年12月に全列車を運休した。松尾鉱山は1971年に閉山し、黄鉄鉱に絞った後継会社が1972年に鉱業権を放棄して完全閉山となった。同年10月10日、松尾鉱業鉄道が全線を廃止した。",
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