ニトリ の歴史

創業

1967年

創業者

似鳥昭雄

創業地

北海道札幌市

直近売上高(2025/3)

9,289億円

長期業績と転換点(1997/2〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1972年の渡米視察が、ニトリの事業構造を決めたのか
A 安い家具を売るには商品の原価を下げるしかなく、メーカーや問屋に任せるかぎり下げ幅には限りがある。ゆえに製造から小売までを自社で抱える発想が必要だった。似鳥昭雄氏は1967年に競合の少なさという消去法で札幌で家具店を始め、資金繰りに苦しむなかで低価格が集客に直結すると体で覚えた。1972年の渡米視察で米国の家具が日本の3分の1の値で並ぶ現実を見て、日本の暮らしを米国並みに豊かにするという理念を据えた。この到達点から逆算する経営の型が、のちの製造小売へとつながった。
Q なぜ売上100億円規模だった時期に、家具メーカーを自前で持つ「非常識」な決断をしたのか
A メーカーや問屋への仕様書発注では原価の引き下げにも商品力の強化にも限界があり、製造そのものを握らなければ米国並みの価格には届かない。そこで似鳥昭雄氏は、売上が100億円ほどだった時期に家具工場を自社で持つと決めた。1994年にインドネシア、2004年にベトナムへ完全子会社の生産拠点を構え、海外の物流網と合わせて製造から販売までを自社で握った。為替が円高に振れるほど海外生産品の円建てコストが下がる構造ができた。野村証券の風早隆弘シニアアナリストは、この規模で工場を持つ先回りの判断を高く評価している
Q なぜ2024年に79歳の創業者が社長へ復帰し、アジアを販売市場へ開く方針を採ったのか
A 円高に振れるほど海外生産品の円建てコストが下がる仕組みは、2020年代の円安で逆回転し、利益率を圧迫した。国内も出店余地が縮み、出店を重ねるだけでは伸びにくくなった。2024年3月期に36期続いた連続増収増益が途絶え、この危機感のもと2024年2月に似鳥昭雄氏が10年ぶりに社長へ復帰した。製造拠点として使ってきたアジアを今度は販売市場として開く方針を採り、2032年に3,000店舗・売上3兆円を掲げて2025年にシンガポールへ初出店した。円高の追い風なしに海外の店舗数で支えられるかが、この復帰の試金石となる。

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1967年〜 似鳥家具店の創業と北海道ドミナント戦略

ニトリの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1967年 似鳥昭雄氏が「似鳥家具店」を開業
  2. 1972年 米国の家具流通を視察
  3. 1972年 アメリカ流チェーンストア構想と「ロマン」の設定 渡米で見た「価格3分の1」の衝撃を、60年がかりの長期目標に変えた出発点
  4. 1978年 チェーン化構想を発表
  5. 1978年 ドミナント出店を開始
  6. 1980年 自動立体倉庫を備えた物流センターを開設
  7. 1982年 函館店を開店

渡米視察で見た価格3分の1の衝撃

1967年12月、似鳥昭雄氏は札幌市内に「似鳥家具店」を開業した。出店予定地の周辺に競合が少ないという消去法で家具業を選んだが、同業者の懐疑を押し切り約99平方メートル(30坪)の店舗を構えた。開業直後に融資が凍結される事態に直面し、資金繰りに苦しむ創業期を過ごした。売れ残った在庫を安売りで処分する経験のなかで、低価格販売が集客に直結するという商売の原理を体で覚えた。1972年3月に株式会社似鳥家具卸センターを設立して法人化し、同年の渡米視察が転機となった。米国の家具店で日本の3分の1の価格で商品が並んでいる現実を見た似鳥氏は、帰国後に日本の暮らしを米国並みに豊かにすることを企業の理念として定めた。 [1][2][3][4][5]

  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [1]1967年12月 似鳥昭雄が札幌市内に似鳥家具店を開業
    • [2]創業者の氏名は似鳥昭雄
    • [4]1972年3月 株式会社似鳥家具卸センターを設立して法人化
  • リクルートブック 大学編 1981年版(東日本版)
    • [3]開業店舗(西店)の売場面積は約99平方メートル(30坪)
    • [5]1972年の渡米視察で米国の家具が日本の3分の1の価格で並ぶのを見た(転機)

米国並みの低価格を実現するには製造から小売までを一貫して抱える体制が要る、という認識が、のちのSPA(製造小売業)モデルの出発点となった。似鳥社長は厳格な人事規律と若手の抜擢を組織運営の軸に据え、拡大期を支える体制を早くから整えた。1978年1月にチェーン化構想を発表し、札幌市内でのドミナント展開を開始した。特定地域に集中して出店し物流効率を高める方針で、物流センターの新設と合わせて北海道内の配送網を整備した。メーカーに対して独自の製品規格を要求し、零細メーカーとの交渉力を得ることで価格と品質の両面を握る仕入れ体制を築いた。業界誌『近代中小企業』1977年11月号にも「同社成功の秘訣は、他者にない仕入れ方法と、徹底した合理化にある」と記された。 [6][7]

  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [6]1978年1月 チェーン化構想を発表し札幌市内でドミナント展開を開始
  • 近代中小企業 1977年11月号
    • [7]業界誌『近代中小企業』1977年11月号に「同社成功の秘訣は、他者にない仕入れ方法と、徹底した合理化にある」と記載
  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [1]1967年12月 似鳥昭雄が札幌市内に似鳥家具店を開業
    • [2]創業者の氏名は似鳥昭雄
    • [4]1972年3月 株式会社似鳥家具卸センターを設立して法人化
    • [6]1978年1月 チェーン化構想を発表し札幌市内でドミナント展開を開始
  • リクルートブック 大学編 1981年版(東日本版)
    • [3]開業店舗(西店)の売場面積は約99平方メートル(30坪)
    • [5]1972年の渡米視察で米国の家具が日本の3分の1の価格で並ぶのを見た(転機)
  • 近代中小企業 1977年11月号
    • [7]業界誌『近代中小企業』1977年11月号に「同社成功の秘訣は、他者にない仕入れ方法と、徹底した合理化にある」と記載

函館店12億円の誤算と道内全域への展開

1982年の函館進出では「ニトリ家具の許容面積は大きすぎる」(はこだて財界 1982/5)として既存業者との摩擦が生じたが、ドミナント展開による物流効率と価格競争力を武器に北海道全域へ店舗網を広げた。函館店は1店舗あたり年商5億円が標準だった当時、目標6億円に対して12億円を記録し、担保不足で苦しんでいた資金繰りは函館の成功で好転した。特定地域に高密度で出店する方式は配送コストの低減と地域での認知度向上を同時に生み、後発でありながら道内の家具市場で存在感を高めた。北海道内に基盤を固めたニトリは、1989年9月に札幌証券取引所へ上場して資金調達手段を得た。上場で得た信用力を使って全国展開の足がかりを築き、1993年に本州(東日本)で店舗展開を始めた。北海道で培った低価格・大量出店のモデルを全国に展開する段に入った。 [8][9][10]

    • [8]1982年の函館進出(はこだて財界 1982/5「ニトリ家具の許容面積は大きすぎる」)
  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [9]1989年9月 札幌証券取引所に株式上場
    • [10]1993年 本州(東日本)での店舗展開を開始

全国チェーンとして戦うには、国内の製造コストだけでは限界があった。海外の低い人件費と円高の為替メリットを使った生産体制の構築が次の経営課題となり、似鳥社長は東南アジアでの調達と生産に目を向け始めた。1985年のプラザ合意以降に進んだ円高は、海外での部品調達や完成品の輸入を価格面で有利にする環境を生み、ニトリの海外展開を後押しした。1987年にはマルミツ木工との業務提携で家具部品の輸入を始め、シンガポールに検品拠点を設けて品質管理の体制を整えた。現地紙は「同社がシンガポールに出張所を置くのは、海外での業務の比重が韓国・台湾などの近隣諸国からマレーシア、タイ、インドネシアなどの東南アジア諸国へ徐々に移ってきたため」(日経新聞北海道 1989/1/11)と報じ、アジア人件費の将来予測まで含めた先回りの布石であったことを記録している。 [11][12][13]

  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [11]1985年のプラザ合意以降の円高がニトリの海外展開を後押し(一般史実・部品輸入の前提)
    • [12]1987年 マルミツ木工との業務提携で家具部品の輸入を開始
  • 日本経済新聞 北海道版(1989年1月11日, 日本経済新聞社)
    • [13]現地紙(日経新聞北海道 1989/1/11)がシンガポール出張所設置と業務比重の東南アジア移行を報道
    • [8]1982年の函館進出(はこだて財界 1982/5「ニトリ家具の許容面積は大きすぎる」)
  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [9]1989年9月 札幌証券取引所に株式上場
    • [10]1993年 本州(東日本)での店舗展開を開始
    • [11]1985年のプラザ合意以降の円高がニトリの海外展開を後押し(一般史実・部品輸入の前提)
    • [12]1987年 マルミツ木工との業務提携で家具部品の輸入を開始
  • 日本経済新聞 北海道版(1989年1月11日, 日本経済新聞社)
    • [13]現地紙(日経新聞北海道 1989/1/11)がシンガポール出張所設置と業務比重の東南アジア移行を報道

1994年〜 海外生産とSPA型サプライチェーンの確立

ニトリの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1994年 製造物流小売(SPA)への転換と海外自社生産 部品輸入から完成品生産へ——インドネシア・ベトナムに自社工場を持ち、円高メリットで低価格と粗利改善を両立させた判断
  2. 2000年 関東物流センターを新設
  3. 2000年 マルミツを完全子会社化
  4. 2004年 完成品の生産を開始
  5. 2007年 海外1号店を開店
  6. 2008年 「値下げ宣言」を開始
  7. 2009年 22期連続の増収増益を達成

売上100億円規模で工場を持った「非常識」な決断

1994年10月、ニトリはインドネシアに現地法人を設立し、それまでの部品輸入から完成品の現地生産へと事業の範囲を広げた。現地工場では含水率管理をはじめとする品質面の課題に直面し、シンガポールの検品拠点と連携して不良品の流出を防ぐ体制を整えた。当初は合弁形態で運営したが、現地パートナーとの経営方針の相違や労務管理で苦戦し、最終的に完全子会社化による直接管理体制に切り替えた。この経験を踏まえ、2004年9月にベトナムで立ち上げた生産拠点は最初から完全子会社方式を採り、合弁に伴う意思決定の遅れや管理上の摩擦を避けた。出資に踏み切った1987年時点の売上高は100億円程度で、野村証券の風早隆弘シニアアナリストは家具工場を持つには難しい規模での先回りの決断として高く評価している。 [14][15][16][17]

  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [14]1994年10月 インドネシアに現地法人を設立し部品輸入から完成品の現地生産へ拡大
    • [15]インドネシア事業は合弁で苦戦し最終的に完全子会社化による直接管理に切替
    • [16]2004年9月 ベトナムで生産拠点を立ち上げ(最初から完全子会社方式)
  • 日経MJ(2009年2月23日, 日本経済新聞社)
    • [17]出資に踏み切った1987年時点の売上高は100億円程度(風早隆弘アナリストが先回りの決断として評価)

ベトナム工場は低コストかつ安定した生産体制を生み、ニトリの海外製造拠点の中核を担った。月給はメダン工場の100ドルに対してハノイは40ドル、労働時間もインドネシアの週40時間に対してベトナムは週48時間で、時間当たりの人件費はメダンの3分の1に収まった。並行して2004年に中国の平湖、2007年に恵州へ物流拠点を設けた。海外工場で生産した商品を海外の物流拠点で集約し、国内店舗へ配送するサプライチェーンが整ったことで、製造から物流、販売までを自社で一貫管理するSPA型モデルが形になった。為替が円高に振れるほど海外生産品の円建てコストが下がるため、円高環境下ほどコスト優位が広がる構造で、ニトリの価格競争力の根幹となった。 [18]

  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [18]2004年に中国・平湖、2007年に恵州へ物流拠点を設置
  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [14]1994年10月 インドネシアに現地法人を設立し部品輸入から完成品の現地生産へ拡大
    • [15]インドネシア事業は合弁で苦戦し最終的に完全子会社化による直接管理に切替
    • [16]2004年9月 ベトナムで生産拠点を立ち上げ(最初から完全子会社方式)
    • [18]2004年に中国・平湖、2007年に恵州へ物流拠点を設置
  • 日経MJ(2009年2月23日, 日本経済新聞社)
    • [17]出資に踏み切った1987年時点の売上高は100億円程度(風早隆弘アナリストが先回りの決断として評価)

「仕様書発注」の限界とメーカー化の加速

2000年に埼玉県白岡町に関東物流センターを新設し、本州での店舗展開を支える物流インフラを整えた。北海道で育てたドミナント出店のモデルを関東以南へも当てはめ、物流センターを起点とした配送効率の高い店舗網を築いた。2002年10月には東京証券取引所第一部に上場し、全国的な知名度と機関投資家からの資金調達力を得た。上場後に出店ペースを引き上げ、2006年には東京都北区に赤羽店(本部併設)を開業して首都圏での存在感を高めた。海外生産と国内物流の両輪が整い、ニトリは年間数十店舗規模の出店を続けられる体制を手にした。似鳥社長は仕様書発注で得られるコスト削減と商品力強化には限界があるとし、店舗販売以上にメーカー部門を強化することで委託生産の限界を突破する方針を、垂直統合のさらなる深化として語っている。 [19][20][21][22]

  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [19]2000年 埼玉県白岡町に関東物流センターを新設
    • [20]2002年10月 東京証券取引所第一部に上場
    • [21]2006年 東京都北区に赤羽店(本部併設)を開業
  • 日経MJ(2005年2月13日, 日本経済新聞社)
    • [22]仕様書発注の限界とメーカー部門強化の方針(日経MJ 2005/2/13・似鳥昭雄発言)

2008年のリーマンショック時には、ベトナム生産による低コスト体制を原資として値下げ攻勢に転じた。消費者の節約志向が強まるなか「お、ねだん以上。」のキャッチコピーが浸透し、景気後退下でも売上を伸ばした。競合他社が在庫圧縮や出店抑制に動くなか、ニトリは価格を引き下げながら利益を確保できるSPAモデルの強みを発揮した。品数の約7割を独自に企画し、景気に応じて値段を自在にコントロールできる経営は不況期ほど力を出し、2009年時点で22期連続の増収増益を達成した。競争相手となるのはスウェーデンの家具大手イケアぐらいで、家具・インテリア市場で全国チェーンとしての地位が固まった時期だった。 [23][24]

  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [23]2008年のリーマンショック時に値下げ攻勢に転じた(値下げ宣言は2008年12月開始)
    • [24]2009年時点で22期連続の増収増益を達成(2024年3月期で途絶した36期連続増収増益の系列と算術整合)
  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [19]2000年 埼玉県白岡町に関東物流センターを新設
    • [20]2002年10月 東京証券取引所第一部に上場
    • [21]2006年 東京都北区に赤羽店(本部併設)を開業
    • [23]2008年のリーマンショック時に値下げ攻勢に転じた(値下げ宣言は2008年12月開始)
  • 日経MJ(2005年2月13日, 日本経済新聞社)
    • [22]仕様書発注の限界とメーカー部門強化の方針(日経MJ 2005/2/13・似鳥昭雄発言)
    • [24]2009年時点で22期連続の増収増益を達成(2024年3月期で途絶した36期連続増収増益の系列と算術整合)

2010年〜 持株会社体制への移行と36期連続増収増益

ニトリの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2010年 持株会社体制に移行
  2. 2013年 「Aki-Home」ブランドで米国1号店を開店
  3. 2014年 中国大陸1号店を開店
  4. 2016年 白井俊之氏が社長に就任
  5. 2017年 カチタスを持分法適用関連会社化
  6. 2018年 アパレル事業に参入
  7. 2020年 島忠の買収とホームセンターへの進出 DCMとの争奪戦を1株5500円で制し、初の大型M&Aでホームセンター・DIYへ広げた買収

ホールディングス化と白井俊之氏への世代交代

2010年、ニトリは持株会社体制へ移行し、商号をニトリホールディングスに変更した。事業会社であるニトリを傘下に置くことで、グループ経営の意思決定を速めてM&Aや新規事業への柔軟な対応を可能にする組織基盤を整えた。小売事業と物流事業をそれぞれ独立した法人として運営し、各事業の収益性を個別に把握できる体制が整った。2016年には創業者の似鳥昭雄氏が会長に退き、白井俊之氏が代表取締役社長に就任して経営の世代交代が進んだ。白井社長は「目標から逆算して計画を立て、実践することを(似鳥会長から)教わった」(ch FILES)と語り、似鳥会長が育てた逆算型の経営手法を継承した。似鳥氏は会長として方向性を示しつつ、日常の業務執行を後継者に委ねる体制へ移った。 [25][26][27]

  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [25]2010年 持株会社体制へ移行し商号をニトリホールディングスに変更
    • [26]2016年 創業者の似鳥昭雄が会長に退き白井俊之が代表取締役社長に就任(世代交代)
    • [27]白井社長が逆算型の経営手法を似鳥会長から継承(ch FILES・白井俊之発言)

ニトリは年間数十店舗規模の出店を続け、家具・インテリアにとどまらずホームファッションや生活雑貨へ商品領域を広げた。海外生産と独自物流によるコスト競争力を武器に、低価格帯の商品群を厚くして客層を広げた。店舗の拡大や都心部への小型店舗の出店など立地に応じた業態の使い分けも進め、郊外のロードサイドだけでなく駅前や商業施設内にも出店して来店機会を増やした。商品企画に占める自社比率を高めることで、家具だけでなく寝具・カーテン・キッチン雑貨にも同じSPA型のコスト構造が適用され、粗利率を保ったまま品目数を増やせる循環が定着した。「お、ねだん以上。」の価格訴求は消費者に浸透し、ニトリは家具・インテリア市場で国内最大手となった。

  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [25]2010年 持株会社体制へ移行し商号をニトリホールディングスに変更
    • [26]2016年 創業者の似鳥昭雄が会長に退き白井俊之が代表取締役社長に就任(世代交代)
    • [27]白井社長が逆算型の経営手法を似鳥会長から継承(ch FILES・白井俊之発言)

36期連続増収増益と時価総額2兆円超え

海外生産と独自物流に支えられたSPAモデルのもとで、ニトリホールディングスは36期にわたる連続増収増益を達成した。日本の上場企業全体を見渡しても際立つ長期成長の記録で、為替が円高に振れるたびに海外生産品の円建てコストが下がってコスト優位が広がる構造が原動力となった。2020年には時価総額が2兆円を突破し、家具・インテリア業界にとどまらず小売業全体でも有数の企業価値を持つ存在となった。コロナ禍での巣ごもり需要で在宅勤務用の家具やインテリア商品への需要が高まり、業績をさらに押し上げた。白井社長は当時、「時価総額2兆円でも満足しない『現状否定』の執念」(ワンキャリア)を繰り返し社内で説いていた。 [28][29]

  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [28]ニトリホールディングスは36期連続増収増益を達成(2024年3月期で途絶)
    • [29]白井社長の「時価総額2兆円でも満足しない『現状否定』の執念」(ワンキャリア・白井俊之発言)

この長期成長を支えた前提条件は、2020年代に入って変化の兆しを見せ始めた。米国の金融引き締めに伴う円安の進行は、海外で製造した商品を円建てで販売するニトリのモデルにとって逆風だった。為替が円安に振れるほど海外工場からの仕入れコストが上がり、利益率を圧迫する構造が表に出た。国内市場でも出店余地が縮み、既存店の売上成長だけで増収増益を維持することは難しくなった。36期連続増収増益という実績は、円高とアジアの低賃金という外部環境に恵まれた結果でもあり、前提が崩れた際にビジネスモデルの耐久性がどこまで保たれるかが次の焦点として浮かび上がった。 [30][31]

  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [30]2020年代の円安進行が海外生産・円建て販売モデルの逆風となった(一般為替環境)
    • [31]36期連続増収増益という実績(2024年3月期で途絶=前提が崩れた転換点)
  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [28]ニトリホールディングスは36期連続増収増益を達成(2024年3月期で途絶)
    • [30]2020年代の円安進行が海外生産・円建て販売モデルの逆風となった(一般為替環境)
    • [31]36期連続増収増益という実績(2024年3月期で途絶=前提が崩れた転換点)
    • [29]白井社長の「時価総額2兆円でも満足しない『現状否定』の執念」(ワンキャリア・白井俊之発言)

ニトリの沿革1967〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
似鳥昭雄氏が「似鳥家具店」を開業★★
大型2号店を開店
米国の家具流通を視察★★
アメリカ流チェーンストア構想と「ロマン」の設定渡米で見た「価格3分の1」の衝撃を、60年がかりの長期目標に変えた出発点 詳細を読む★★★
似鳥昭雄チェーン化構想を発表★★
似鳥昭雄ドミナント出店を開始★★
似鳥昭雄自動立体倉庫を備えた物流センターを開設★★
似鳥昭雄函館店を開店★★
似鳥昭雄ニトリに商号変更★★
似鳥昭雄マルミツ木工と業務提携★★
似鳥昭雄検品拠点を開設
似鳥昭雄札幌証券取引所に上場
似鳥昭雄本州で店舗展開を開始★★
似鳥昭雄製造物流小売(SPA)への転換と海外自社生産部品輸入から完成品生産へ——インドネシア・ベトナムに自社工場を持ち、円高メリットで低価格と粗利改善を両立させた判断 詳細を読む★★★
似鳥昭雄関東物流センターを新設
似鳥昭雄マルミツを完全子会社化
似鳥昭雄東京証券取引所市場第一部に上場
似鳥昭雄MARUMITSU-VIETNAM EPEを設立
似鳥昭雄似鳥(中国)采購有限公司を設立
似鳥昭雄平湖物流センターを新設
似鳥昭雄完成品の生産を開始★★
似鳥昭雄赤羽店を開店
似鳥昭雄宜得利家居股份有限公司を設立
似鳥昭雄恵州に物流拠点を開設
似鳥昭雄海外1号店を開店★★
似鳥昭雄「値下げ宣言」を開始★★★
似鳥昭雄22期連続の増収増益を達成★★
似鳥昭雄明応商貿(上海)有限公司を設立
似鳥昭雄持株会社体制に移行★★★
似鳥昭雄ニトリHDに商号変更
似鳥昭雄マルミツをニトリファニチャーに商号変更
似鳥昭雄MARUMITSU-VIETNAM EPEをNITORI FURNITURE VIETNAM EPEに商号変更
似鳥昭雄NITORI USA, INC.を設立
似鳥昭雄札幌本社を移転
似鳥昭雄「Aki-Home」ブランドで米国1号店を開店★★
似鳥昭雄中国大陸1号店を開店★★
白井俊之白井俊之氏が社長に就任★★
白井俊之似鳥(中国)投資公司を設立
白井俊之カチタスを持分法適用関連会社化★★
白井俊之太倉物流センターを新設
白井俊之Nプラスを設立
白井俊之アパレル事業に参入★★
白井俊之時価総額が2兆円を突破★★
白井俊之NITORI RETAIL(MALAYSIA) SDN.BHDを設立
白井俊之島忠の買収とホームセンターへの進出DCMとの争奪戦を1株5500円で制し、初の大型M&Aでホームセンター・DIYへ広げた買収 詳細を読む★★★
白井俊之島忠を子会社化★★
白井俊之島忠を完全子会社化
白井俊之NITORI RETAIL SINGAPORE PTE. LTD.を設立
白井俊之東南アジア1号店を開店★★
白井俊之NITORI KOREA CO.,LTD.を設立
白井俊之米国の店舗とECサイトを閉鎖★★
白井俊之韓国1号店を開店
白井俊之36期連続の増収増益が途絶★★
白井俊之フィリピン1号店を開店
白井俊之NITORI DIGITAL BASE VIETNAMを設立
白井俊之インドネシア1号店を開店
白井俊之インド1号店を開店
出典・参考

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