1967年〜 似鳥家具店の創業と北海道ドミナント戦略
ニトリの業績推移:単体
- 1967年 似鳥昭雄氏が「似鳥家具店」を開業
- 1972年 米国の家具流通を視察
- 1972年 アメリカ流チェーンストア構想と「ロマン」の設定 渡米で見た「価格3分の1」の衝撃を、60年がかりの長期目標に変えた出発点
- 1978年 チェーン化構想を発表
- 1978年 ドミナント出店を開始
- 1980年 自動立体倉庫を備えた物流センターを開設
- 1982年 函館店を開店
渡米視察で見た価格3分の1の衝撃
1967年12月、似鳥昭雄氏は札幌市内に「似鳥家具店」を開業した。出店予定地の周辺に競合が少ないという消去法で家具業を選んだが、同業者の懐疑を押し切り約99平方メートル(30坪)の店舗を構えた。開業直後に融資が凍結される事態に直面し、資金繰りに苦しむ創業期を過ごした。売れ残った在庫を安売りで処分する経験のなかで、低価格販売が集客に直結するという商売の原理を体で覚えた。1972年3月に株式会社似鳥家具卸センターを設立して法人化し、同年の渡米視察が転機となった。米国の家具店で日本の3分の1の価格で商品が並んでいる現実を見た似鳥氏は、帰国後に日本の暮らしを米国並みに豊かにすることを企業の理念として定めた。 [1][2][3][4][5]
- ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
- [1]1967年12月 似鳥昭雄が札幌市内に似鳥家具店を開業
- [2]創業者の氏名は似鳥昭雄
- [4]1972年3月 株式会社似鳥家具卸センターを設立して法人化
- リクルートブック 大学編 1981年版(東日本版)
- [3]開業店舗(西店)の売場面積は約99平方メートル(30坪)
- [5]1972年の渡米視察で米国の家具が日本の3分の1の価格で並ぶのを見た(転機)
米国並みの低価格を実現するには製造から小売までを一貫して抱える体制が要る、という認識が、のちのSPA(製造小売業)モデルの出発点となった。似鳥社長は厳格な人事規律と若手の抜擢を組織運営の軸に据え、拡大期を支える体制を早くから整えた。1978年1月にチェーン化構想を発表し、札幌市内でのドミナント展開を開始した。特定地域に集中して出店し物流効率を高める方針で、物流センターの新設と合わせて北海道内の配送網を整備した。メーカーに対して独自の製品規格を要求し、零細メーカーとの交渉力を得ることで価格と品質の両面を握る仕入れ体制を築いた。業界誌『近代中小企業』1977年11月号にも「同社成功の秘訣は、他者にない仕入れ方法と、徹底した合理化にある」と記された。 [6][7]
- ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
- [6]1978年1月 チェーン化構想を発表し札幌市内でドミナント展開を開始
- 近代中小企業 1977年11月号
- [7]業界誌『近代中小企業』1977年11月号に「同社成功の秘訣は、他者にない仕入れ方法と、徹底した合理化にある」と記載
- ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
- [1]1967年12月 似鳥昭雄が札幌市内に似鳥家具店を開業
- [2]創業者の氏名は似鳥昭雄
- [4]1972年3月 株式会社似鳥家具卸センターを設立して法人化
- [6]1978年1月 チェーン化構想を発表し札幌市内でドミナント展開を開始
- リクルートブック 大学編 1981年版(東日本版)
- [3]開業店舗(西店)の売場面積は約99平方メートル(30坪)
- [5]1972年の渡米視察で米国の家具が日本の3分の1の価格で並ぶのを見た(転機)
- 近代中小企業 1977年11月号
- [7]業界誌『近代中小企業』1977年11月号に「同社成功の秘訣は、他者にない仕入れ方法と、徹底した合理化にある」と記載
函館店12億円の誤算と道内全域への展開
1982年の函館進出では「ニトリ家具の許容面積は大きすぎる」(はこだて財界 1982/5)として既存業者との摩擦が生じたが、ドミナント展開による物流効率と価格競争力を武器に北海道全域へ店舗網を広げた。函館店は1店舗あたり年商5億円が標準だった当時、目標6億円に対して12億円を記録し、担保不足で苦しんでいた資金繰りは函館の成功で好転した。特定地域に高密度で出店する方式は配送コストの低減と地域での認知度向上を同時に生み、後発でありながら道内の家具市場で存在感を高めた。北海道内に基盤を固めたニトリは、1989年9月に札幌証券取引所へ上場して資金調達手段を得た。上場で得た信用力を使って全国展開の足がかりを築き、1993年に本州(東日本)で店舗展開を始めた。北海道で培った低価格・大量出店のモデルを全国に展開する段に入った。 [8][9][10]
- [8]1982年の函館進出(はこだて財界 1982/5「ニトリ家具の許容面積は大きすぎる」)
- ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
- [9]1989年9月 札幌証券取引所に株式上場
- [10]1993年 本州(東日本)での店舗展開を開始
全国チェーンとして戦うには、国内の製造コストだけでは限界があった。海外の低い人件費と円高の為替メリットを使った生産体制の構築が次の経営課題となり、似鳥社長は東南アジアでの調達と生産に目を向け始めた。1985年のプラザ合意以降に進んだ円高は、海外での部品調達や完成品の輸入を価格面で有利にする環境を生み、ニトリの海外展開を後押しした。1987年にはマルミツ木工との業務提携で家具部品の輸入を始め、シンガポールに検品拠点を設けて品質管理の体制を整えた。現地紙は「同社がシンガポールに出張所を置くのは、海外での業務の比重が韓国・台湾などの近隣諸国からマレーシア、タイ、インドネシアなどの東南アジア諸国へ徐々に移ってきたため」(日経新聞北海道 1989/1/11)と報じ、アジア人件費の将来予測まで含めた先回りの布石であったことを記録している。 [11][12][13]
- ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
- [11]1985年のプラザ合意以降の円高がニトリの海外展開を後押し(一般史実・部品輸入の前提)
- [12]1987年 マルミツ木工との業務提携で家具部品の輸入を開始
- 日本経済新聞 北海道版(1989年1月11日, 日本経済新聞社)
- [13]現地紙(日経新聞北海道 1989/1/11)がシンガポール出張所設置と業務比重の東南アジア移行を報道
- [8]1982年の函館進出(はこだて財界 1982/5「ニトリ家具の許容面積は大きすぎる」)
- ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
- [9]1989年9月 札幌証券取引所に株式上場
- [10]1993年 本州(東日本)での店舗展開を開始
- [11]1985年のプラザ合意以降の円高がニトリの海外展開を後押し(一般史実・部品輸入の前提)
- [12]1987年 マルミツ木工との業務提携で家具部品の輸入を開始
- 日本経済新聞 北海道版(1989年1月11日, 日本経済新聞社)
- [13]現地紙(日経新聞北海道 1989/1/11)がシンガポール出張所設置と業務比重の東南アジア移行を報道