サンリオ の歴史

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前身・山梨シルクセンターと辻信太郎氏

1960年、辻信太郎氏が山梨で創業し、ギフト商品からグリーティングカードへ。1974年のハローキティ、ピューロランド開園、辻朋邦氏への承継までの沿革と経緯を執筆。

創業

1960年

創業者

辻信太郎

創業地

山梨県

直近売上高(2026/3)

1,941億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜサンリオは1974年に、他社の図柄を借りる側から自社キャラクターを貸す側へ回ったのか
A 贈り物の値打ちは中身の原価で決まらない。辻信太郎氏は30円の暑中見舞いカードも1000円の羊かんも金額では測れないと語り、その心のふれ合いを商売にできないかと考えたのがサンリオだと述べた。値が図柄に乗るのなら、借り物では権利も取り分も他社に残る。1960年8月に東京日本橋で山梨シルクセンターとして絹織物の仕入販売から出発した同社は、1960年代半ばに商品へいちごや人間の図柄を載せ、1974年2月に自社開発の図柄の贈り物商品を発売した。1976年4月には他社製品にキャラクターを使わせる使用許諾提携業務を始めた
Q なぜサンリオは2002年に、42年続けた株式運用をやめて物販に代わる収益源をライセンスに求めたのか
A 本業の外に置いた余資は、相場が崩れれば本業ごと沈める。バブル期に総資産の約半分にあたる1500億円を株式で運用したサンリオは、1991年3月期から1998年3月期まで8期続けて最終赤字を出し、累計は1010億円に達した。2002年9月、辻信太郎社長は42年続けた株式運用をやめると決め、二度と再開することはないと述べた。残る物販は店と在庫の負担が重く、店を増やす速度も遅い。2008年に辻邦彦副社長が招いた鳩山玲人氏は、使用権を貸してパートナーに売ってもらう形へ切り替え、契約先は2010年9月に1245社へ増えた
Q なぜ2020年代に、辻朋邦社長はハローキティ一本だった収益を複数のキャラクターへ分散させたのか
A 使用権を貸す商いは、貸す先の棚を競合に取られると収入がまとめて消える。2014年3月期の海外売上高は9割超をハローキティが占め、ライセンス先を選ばず量を追った北米ではキティが廉価なモチーフとなり、2013年公開の『アナと雪の女王』が当たると量販店の棚から商品が押し出された。2020年7月に31歳で社長へ就いた辻朋邦氏は第二の創業という覚悟で経営に臨むと語り、シナモロールやマイメロディを強化して一つのデザインに複数キャラクターを使う売り方へ広げた。2024年3月期の海外売上高に占めるキティの比率は5割へ下がった

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1960年〜 絹織物の仕入販売からキャラクタービジネス企業への転身

サンリオの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1960年 山梨シルクセンターを設立
  2. 1962年 ギフト商品の販売を開始
  3. 1967年 贈り物用の小型絵本「ギフトブック」シリーズを発刊、出版物の企画・販売を開始
  4. 1969年 グリーティングカードの企画販売を開始
  5. 1974年 自社開発キャラクターのソーシャル・コミュニケーション・ギフト商品を発売
  6. 1974年 ハローキティの誕生と、自社キャラクターを版権で稼ぐライセンスモデルの確立 他社キャラクターの使用権を借りていた物販会社は、なぜ「かわいい」を自ら生み、版権を貸す側へ回れたのか
  7. 1976年 自社キャラクターのライセンス供与を開始

山梨の物産会社が贈り物商品へ移るまで

辻信太郎氏は1927年12月に山梨県で生まれ[1]、1947年に桐生工業専門学校(現群馬大学)化学工業学科を卒業したのち、1949年12月に山梨県庁へ入庁した[2]。1960年8月、辻信太郎氏は山梨県庁を退職して[3]株式会社山梨シルクセンターを設立し[4]、代表取締役社長に就いた。本店は東京日本橋に置き[5]、絹織物製品や菓子容器のデザイン、商品企画、その販売を目的に掲げたが、設立時の資本金は100万円[6]、1961年7月期の単体売上高は0.24億円[7]にとどまった。当初の商いは絹織物製品と菓子容器の仕入販売であり、取扱商品はその後、台所・食卓用品や文具類へ広がった[8]。1960年代半ばには、山梨シルクセンターはそれらの商品へいちごや人間の図柄を載せ[9]、後に主力となる贈り物商品の中身をつくった。

  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
    • [1]辻信太郎は1927年12月7日山梨県生まれ
    • [2]1947年桐生工業専門学校(現群馬大学)化学工業学科卒業、1949年12月山梨県庁入庁
    • [3]1960年8月に山梨県庁を退職し、山梨シルクセンターを設立して代表取締役社長に就任
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1960年8月 辻信太郎が株式会社山梨シルクセンターを設立
  • 証券 1982年34(5)(398)
    • [5]昭和35年8月に㈱山梨シルクセンターを東京日本橋に設立。目的は絹織物製品・菓子容器などのデザイン、商品企画及び販売
    • [6]昭和35年8月10日の設立時資本金は1,000千円(100万円)
    • [8]設立当時は絹織物製品・菓子容器の仕入販売で、その後取扱い商品を台所・食卓用品、文具類などに拡大
    • [9]商品にいちご、人間などの図柄(キャラクター)を使用し、ギフト商品事業の基礎作りが昭和40年前半に行われた
  • サンリオの奇跡(1982)
    • [7]1961年7月期の単体売上高0.24億円

取扱商品を贈り物へ寄せた背景には、辻信太郎社長の商いの見立て[10]があった。1977年7月の日経ビジネス編集長インタビューで辻信太郎社長は、30円の暑中見舞いのカードも1000円の羊かんも金額では測れない[11]と語り、そうした心のふれ合いを商売にできないかと考えて始めたのがサンリオだと述べた。同じインタビューで、創業2年目の1962年に第一銀行馬喰町支店長から、大企業になるより松下電器に入社して社長になるほうがやさしい[12]と言われた逸話もふり返り、支店長は自分の支店の取引先から大企業が出るのは99.99%だめだろうが、0.01%の確率があるとすればこの会社だろう[13]と付け加えたという。取扱いは、1967年12月に贈り物用の小型絵本[14]「ギフトブック」を発刊して出版へ、1969年12月にグリーティングカードの企画販売[15]へと広がり、単体売上高は1962年7月期の0.37億円[16]から1969年7月期の7.05億円へ伸びた。

  • 日経ビジネス 1977年7月18日号
    • [10]辻信太郎は、物ではなく物に添う気持ちを売るという発想でサンリオを始めたと語った
    • [11]暑中見舞いの10円のカードと切手代で30円だが金には替えられない、1000円の羊かんを送っても金額とは受け取られない、物は関係ないと辻信太郎が語った
    • [12]1962年に第一銀行馬喰町支店長から言われた言葉を辻信太郎が回想
    • [13]支店長は、自分の支店の取引先から大企業に飛躍するケースが出るのは99.99%だめだろうが0.01%の確率があるとすれば辻の会社だろうと付け加えたという(辻信太郎談)
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1967年12月 贈り物用の小型絵本「ギフトブック」シリーズを発刊
    • [15]1969年12月 グリーティングカードの企画販売業務を開始
  • サンリオの奇跡(1982)
    • [16]単体売上高は1962年7月期0.37億円、1969年7月期7.05億円

1960年代を通じて山梨シルクセンターの販売先は卸売が中心だったが[17]、1971年12月に新宿区へ直営店を開き[18]、消費者へ直接売る場を持った。1972年10月には関連会社の事業を統合するためサンリオ電機工業株式会社と合併し[19]、1973年4月に社名を株式会社サンリオへ改めた[20]うえ、同年6月には直営店にレストランを併設した[21]。同年10月、グリーティングカード事業を統合するため[22]サンリオグリーティング株式会社を吸収合併したことで、販売先は卸売ルートに加えて百貨店、量販店、その他の小売店へ及び[23]、単体売上高は1972年7月期の12.6億円[24]から1973年7月期の18.6億円へ伸びた。

  • 証券 1982年34(5)(398)
    • [17]同社の販売先は卸売中心であった
    • [18]昭和46年12月に直営店を新宿区に開設
    • [21]昭和48年6月に直営店に併設してレストランを開設
    • [23]この合併で販売は卸売ルートのほか百貨店、量販店、その他小売店へ拡大し、現在の販売体制を確立した
    • [24]単体売上高は1972年7月期12.6億円、1973年7月期18.6億円
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1972年10月 関連会社の事業を統合するためサンリオ電機工業株式会社と合併
    • [20]1973年4月 社名を株式会社サンリオと改称
    • [22]1973年10月 グリーティングカード事業を統合するためサンリオグリーティング株式会社と合併
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
    • [1]辻信太郎は1927年12月7日山梨県生まれ
    • [2]1947年桐生工業専門学校(現群馬大学)化学工業学科卒業、1949年12月山梨県庁入庁
    • [3]1960年8月に山梨県庁を退職し、山梨シルクセンターを設立して代表取締役社長に就任
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1960年8月 辻信太郎が株式会社山梨シルクセンターを設立
    • [14]1967年12月 贈り物用の小型絵本「ギフトブック」シリーズを発刊
    • [15]1969年12月 グリーティングカードの企画販売業務を開始
    • [19]1972年10月 関連会社の事業を統合するためサンリオ電機工業株式会社と合併
    • [20]1973年4月 社名を株式会社サンリオと改称
    • [22]1973年10月 グリーティングカード事業を統合するためサンリオグリーティング株式会社と合併
  • 証券 1982年34(5)(398)
    • [5]昭和35年8月に㈱山梨シルクセンターを東京日本橋に設立。目的は絹織物製品・菓子容器などのデザイン、商品企画及び販売
    • [6]昭和35年8月10日の設立時資本金は1,000千円(100万円)
    • [8]設立当時は絹織物製品・菓子容器の仕入販売で、その後取扱い商品を台所・食卓用品、文具類などに拡大
    • [9]商品にいちご、人間などの図柄(キャラクター)を使用し、ギフト商品事業の基礎作りが昭和40年前半に行われた
    • [17]同社の販売先は卸売中心であった
    • [18]昭和46年12月に直営店を新宿区に開設
    • [21]昭和48年6月に直営店に併設してレストランを開設
    • [23]この合併で販売は卸売ルートのほか百貨店、量販店、その他小売店へ拡大し、現在の販売体制を確立した
    • [24]単体売上高は1972年7月期12.6億円、1973年7月期18.6億円
  • サンリオの奇跡(1982)
    • [7]1961年7月期の単体売上高0.24億円
    • [16]単体売上高は1962年7月期0.37億円、1969年7月期7.05億円
  • 日経ビジネス 1977年7月18日号
    • [10]辻信太郎は、物ではなく物に添う気持ちを売るという発想でサンリオを始めたと語った
    • [11]暑中見舞いの10円のカードと切手代で30円だが金には替えられない、1000円の羊かんを送っても金額とは受け取られない、物は関係ないと辻信太郎が語った
    • [12]1962年に第一銀行馬喰町支店長から言われた言葉を辻信太郎が回想
    • [13]支店長は、自分の支店の取引先から大企業に飛躍するケースが出るのは99.99%だめだろうが0.01%の確率があるとすれば辻の会社だろうと付け加えたという(辻信太郎談)

自社キャラクターとライセンス供与への転換

1974年2月、サンリオは自社で開発した動物や人間の図柄を使った[25]贈り物商品を発売し、以後ハローキティ、マイメロディー、パティアンドジミー[26]をはじめ多数のキャラクターを開発してその商品化を進めた。1976年時点でスヌーピーは輸入デザインであり[27]、ヒット作のキティちゃんやバニー&マッティは自社で開発[28]したものだった。同じ時期のサンリオは絵を描くデザイナーと企画を練るプランナーをそれぞれ70人前後抱えて[29]毎年2000件を超えるキャラクターを生み、デザイナーの案は社内の管理職とベテランのデザイナーが選んだうえで小売店の1週間あまりのテスト販売にかけ[30]、好成績を上げた商品だけを本格販売に回した。上場のころにはキャラクターの企画開発へ総社員の約20%にあたる110名を配置[31]し、1981年7月期のギフト商品は3,124点[32]に及んだ。

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [25]1974年2月 自社開発によるキャラクター(動物、人間等の図柄)を使用したギフト商品を発売
  • 証券 1982年34(5)(398)
    • [26]昭和49年2月以降、ハローキティ(白い子猫)、マイメロディー(うさぎ)、パティアンドジミー(男女の子供)をはじめ多数のキャラクターを開発し商品化を進めた
    • [31]キャラクターの企画開発には総社員の約20%(110名)に当たる人員を配置
    • [32]昭56.7期のギフト商品の種類は3,124点
  • 日経ビジネス 1976年8月30日号
    • [27]「スヌーピー」は輸入デザインだが、「キティちゃん」「バニー&マッティ」などのヒットキャラクターは自社で開発したもの
    • [28]ヒットキャラクターのキティちゃん、バニー&マッティは自社開発
    • [29]デザイナーとプランナーをそれぞれ70人前後抱え、毎年2000件を超えるキャラクターを生み出す
    • [30]社内選別後、小売店での1週間あまりのテスト販売で好成績を上げた商品だけが本格的に販売される

1976年4月、サンリオは自社開発キャラクターを他社製品に使わせる使用許諾提携業務を始め[33]、翌5月には米国サンノゼに子会社Sanrio, Inc.[34]を設けて輸入販売に入り、1974年12月に置いた米国ロサンゼルス[35]の映画子会社と合わせ、米国の拠点は二つになった。サンリオは製造部門を一切持たず、約470社の外注先が市販する製品[36]へ自社のキャラクターを付けて仕入れるか、コスト低減のため材料や買入部品を有償あるいは無償で外注先へ支給する[37]形態を採った。単体売上高は1973年7月期の18.6億円から1977年7月期の322億円へ伸び[38]、当期純利益も27.8億円に達した[39]。この急増には、高度成長と所得水準の向上で子供への支出と購買機会が増えたこと[40]、商品選びで美しさなどの装飾的要素[41]が重んじられたこと、1973年のサンリオグリーティング合併で販売ルートが卸売中心から全国の百貨店や量販店へ及んだ[42]ことが重なる。

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1976年4月 自社開発デザイン・キャラクターを他社製品に使用させる使用許諾提携業務を開始
    • [34]1976年5月 米国サンノゼに子会社Sanrio, Inc.を設立し輸入販売を開始
    • [35]1974年12月 米国ロサンゼルスに子会社Sanrio Film Corporation of Americaを設立し映画製作・配給業務を開始
  • 証券 1982年34(5)(398)
    • [36]工場などの製造部門を一切所有せず、外注先約470社の市販製品にキャラクターを付けて仕入れる形態
    • [37]キャラクターを付けさせて仕入れるか、あるいはコスト低減のため材料・買入れ部品を有償あるいは無償で外注先に支給するかの形態
    • [38]1977年7月期の単体売上高322億円、当期純利益27.8億円
    • [39]1977年7月期の当期純利益は27.8億円
    • [40]経済の高度成長と所得水準の向上に伴い子供に関する支出が増大し、子供自身の購買機会が増大した
    • [41]商品を購入する際に機能だけでなく美しさなどの装飾的な要素を重視するようになった
    • [42]昭和48年のサンリオグリーティング吸収合併により販売ルートが卸売中心から全国の百貨店、量販店などに拡大した

1978年7月期の単体売上高は347億円[43]と微増にとどまったが、これは1977年までの各販売ルートからの受注が多く営業側が販売ルートの見直しに手を付けなかったことと、株式会社コクヨなど競業他社が進出してきた[44]ことによる。1979年7月期に337億円へ減った[45]のは、シェア拡大と百貨店・量販店などの店舗見直しに伴う改装費用を援助するため、小売店と卸売ルートの掛率を数パーセント下げたためである[46]。1980年7月期は、費用と製作日数をかけたカラーアニメーション映画の配給収入が製作コストを回収できず、売上総利益率が28.0%へ落ちた[47]。それでも売上高は1980年7月期から増加に転じ、1981年7月期は456億円[48]、うち90.6%をギフト商品が占め、同年には販売店からの在庫問い合わせに答える音声応答装置[49]の導入も決めた。1982年4月、サンリオは東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した[50]

  • 証券 1982年34(5)(398)
    • [43]1978年7月期の単体売上高347億円(昭和53年は微増)
    • [44]昭和53年の微増要因は、昭和52年までの各販売ルートからの受注が多く営業サイドが積極的な販売ルートの見直しをしなかったこと、㈱コクヨなどの競業他社が進出してきたこと
    • [45]1979年7月期の単体売上高337億円(昭和54年は2.9%減少)
    • [46]昭和54年の減少は、シェア拡大及び百貨店、量販店、その他小売店の店舗見直しに伴う改装費用の援助のため小売店・卸売ルートの掛率を数パーセント下げたことによる
    • [47]昭和55年の売上総利益率28.0%は、多額のコストと製作日数を要したカラーアニメーション映画の配給収入が製作コストをカバーできなかったことが主因
    • [48]昭和55年以降は15%以上の増加。昭56.7期売上45,663百万円のうちギフト商品41,389百万円(90.6%)
  • 日経ビジネス 1981年8月24日号
    • [49]全国の販売店からの在庫問い合わせに答える音声応答システムの導入を決定
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [50]1982年4月 当社株式が東京証券取引所市場第二部に上場
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [25]1974年2月 自社開発によるキャラクター(動物、人間等の図柄)を使用したギフト商品を発売
    • [33]1976年4月 自社開発デザイン・キャラクターを他社製品に使用させる使用許諾提携業務を開始
    • [34]1976年5月 米国サンノゼに子会社Sanrio, Inc.を設立し輸入販売を開始
    • [35]1974年12月 米国ロサンゼルスに子会社Sanrio Film Corporation of Americaを設立し映画製作・配給業務を開始
    • [50]1982年4月 当社株式が東京証券取引所市場第二部に上場
  • 証券 1982年34(5)(398)
    • [26]昭和49年2月以降、ハローキティ(白い子猫)、マイメロディー(うさぎ)、パティアンドジミー(男女の子供)をはじめ多数のキャラクターを開発し商品化を進めた
    • [31]キャラクターの企画開発には総社員の約20%(110名)に当たる人員を配置
    • [32]昭56.7期のギフト商品の種類は3,124点
    • [36]工場などの製造部門を一切所有せず、外注先約470社の市販製品にキャラクターを付けて仕入れる形態
    • [37]キャラクターを付けさせて仕入れるか、あるいはコスト低減のため材料・買入れ部品を有償あるいは無償で外注先に支給するかの形態
    • [38]1977年7月期の単体売上高322億円、当期純利益27.8億円
    • [39]1977年7月期の当期純利益は27.8億円
    • [40]経済の高度成長と所得水準の向上に伴い子供に関する支出が増大し、子供自身の購買機会が増大した
    • [41]商品を購入する際に機能だけでなく美しさなどの装飾的な要素を重視するようになった
    • [42]昭和48年のサンリオグリーティング吸収合併により販売ルートが卸売中心から全国の百貨店、量販店などに拡大した
    • [43]1978年7月期の単体売上高347億円(昭和53年は微増)
    • [44]昭和53年の微増要因は、昭和52年までの各販売ルートからの受注が多く営業サイドが積極的な販売ルートの見直しをしなかったこと、㈱コクヨなどの競業他社が進出してきたこと
    • [45]1979年7月期の単体売上高337億円(昭和54年は2.9%減少)
    • [46]昭和54年の減少は、シェア拡大及び百貨店、量販店、その他小売店の店舗見直しに伴う改装費用の援助のため小売店・卸売ルートの掛率を数パーセント下げたことによる
    • [47]昭和55年の売上総利益率28.0%は、多額のコストと製作日数を要したカラーアニメーション映画の配給収入が製作コストをカバーできなかったことが主因
    • [48]昭和55年以降は15%以上の増加。昭56.7期売上45,663百万円のうちギフト商品41,389百万円(90.6%)
  • 日経ビジネス 1976年8月30日号
    • [27]「スヌーピー」は輸入デザインだが、「キティちゃん」「バニー&マッティ」などのヒットキャラクターは自社で開発したもの
    • [28]ヒットキャラクターのキティちゃん、バニー&マッティは自社開発
    • [29]デザイナーとプランナーをそれぞれ70人前後抱え、毎年2000件を超えるキャラクターを生み出す
    • [30]社内選別後、小売店での1週間あまりのテスト販売で好成績を上げた商品だけが本格的に販売される
  • 日経ビジネス 1981年8月24日号
    • [49]全国の販売店からの在庫問い合わせに答える音声応答システムの導入を決定

1983年〜 テーマパーク開園と財テクがもたらした代償

サンリオの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1984年 ココロを設立
  2. 1987年 複合文化施設運営会社サンリオ・コミュニケーション・ワールドを設立
  3. 1988年 「ハーモニーランド」運営会社ハーモニーランドの設立に出資
  4. 1989年 第29回定時株主総会で事業年度を4月1日〜翌3月31日に変更を決議
  5. 1990年 サンリオピューロランドを開園
  6. 1991年 株式投資に失敗。8期連続の最終赤字へ
  7. 1991年 「ハーモニーランド」をオープン

株式運用に置いた余資と、二つのテーマパーク建設

1983年4月、サンリオは西独ハンブルクに[51]子会社Sanrio GmbHを設立し、欧州でのギフト商品の輸入販売を始めた。翌1984年1月には、サンリオ株式が[52]東京証券取引所市場第二部から第一部へ指定替えされた。単体の売上高は1983年7月期の582億円から[53]1984年7月期の681億円へ伸び、経常利益は67億円を計上した[54]。運用の対象に土地を選ばなかった理由を、辻信太郎社長は1990年に、土地には嫌な思い出があるとして[55]甲府の生家をめぐる裁判の記憶に求めている。50億円の土地は持ち主や担保の有無を調べるだけで手間がかかるが、株なら電話一本で売り買いできる[56]、というのがその説明だった。値上がりは土地のほうがすごかったから、不労所得とみるなら土地投資のほうが[57]良かったのかもしれない、という留保も添えた。1988年、サンリオは社内に資金運用管理室を設けた[58]

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [51]1983年4月 西独ハンブルク市に子会社Sanrio GmbHを設立し、欧州でのギフト商品の輸入販売を開始
    • [52]1984年1月 サンリオ株式が東京証券取引所市場第一部に指定替え(1982年4月に第二部へ上場)
  • 会社年鑑
    • [53]単体売上高は1983年7月期582億円、1984年7月期681億円
    • [54]1984年7月期の単体経常利益は67.3億円
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
    • [55]辻信太郎社長は1990年7月のインタビューで「土地については嫌な思い出がある」と述べ、甲府市の生家をめぐる不法占拠と裁判の記憶を挙げた
    • [56]辻信太郎社長は「50億の土地を買おうとすると、持ち主は誰かとか担保に入っていないかとか、調べるのが大変。でも株を買う場合は50億でも1000億でも電話でオーケーと言えばそれでいい」と述べた
    • [57]辻信太郎社長は同じ場で「ただ値上がりは土地の方がすごかったから、不労所得とみるならば土地投資の方が良かったのかもしれないけど」と留保を付けた
  • 日経ビジネス 1992年4月27日号
    • [58]1988年に資金運用管理室を設立(1992年3月に廃止)

サンリオは1987年11月、複合文化施設サンリオ[59]ピューロランドの運営会社として株式会社サンリオ・コミュニケーション・ワールドを設立し、1988年10月には大分県速見郡日出町の[60]ハーモニーランドの運営会社の設立にも出資した。1990年7月、辻信太郎社長はピューロランドを14年ほどかけた構想だ[61]と語り、日本人1人当たりの所得が2万ドルを超えて休日が増えれば[62]、その過ごし方が問題になり、そこにテーマパークが出てくると読んでいた。米国には600カ所のテーマパークがあり[63]、経営する会社は約20社で、1、2を除いて黒字だという見立ても添えた。同じころ、1983年以降に民間企業や自治体が打ち上げた計画は建設省調べで133カ所に上り[64]、開園済みは約30カ所を数えていた。そのうち成功するのは7つ程度ではないかと、東急エージェンシーの井手信雄主任研究員[65]は1991年に語った。

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [59]1987年11月 サンリオピューロランドの運営会社、株式会社サンリオ・コミュニケーション・ワールドを設立
    • [60]1988年10月 大分県速見郡日出町のハーモニーランドの運営管理会社、株式会社ハーモニーランドの設立に出資
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
    • [61]辻信太郎社長は1990年7月、ピューロランドを「14年間ぐらいの構想をもとに造った」と述べた
    • [62]辻信太郎社長は建設の動機として、1人当たり所得が2万ドルを超え休みが増えることを挙げ「この休みをどうすごすかが問題になってくる。そこで出てくるのがテーマパーク」と語った
    • [63]辻信太郎社長は「アメリカには600カ所もあって、経営する会社が約20社あるんですが、1、2をのぞいて全部黒字なんです」と述べた(「1、2」が社か施設かは記事上定かでない)
  • 日経ビジネス 1991年7月8日号
    • [64]1983年以降に民間企業や自治体が打ち上げたテーマパーク計画は133カ所(建設省調べ)、すでに開園したのは約30カ所
    • [65]東急エージェンシーの井手信雄主任研究員は「約30のうち、成功するのは7つ程度ではないか」と述べた

1990年12月、東京都多摩市にサンリオピューロランドが開園[66]し、翌1991年4月には大分県速見郡日出町にハーモニーランドが開業した[67]。ハーモニーランドの初期投資は140億円に上った[68]。ピューロランドは1日のピーク時入場者を6000人に設定[69]していたが、客が特定のアトラクションに集中して1時間並ぶ列ができ、900席のレストランも食事時に一斉に埋まった。サンリオは米国のランドマーク・エンターテイメント・グループ[70]から企画とデザインの技術協力を得た一方、運営は子会社のサンリオ・コミュニケーション・ワールドが自前で担い、そのノウハウの不備が先に目立った。辻信太郎社長は、来園者がディズニーランドの感覚でアトラクション[71]に入りたがると反省を述べた。ハーモニーランドは休日に1万人近くを集めたものの、平日は2000人の目標を下回る日[72]がほとんどだった。

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [66]1990年12月 東京都多摩市に「サンリオピューロランド」をオープン
    • [67]1991年4月 大分県速見郡日出町に「ハーモニーランド」をオープン
  • 日経ビジネス 1991年7月8日号
    • [68]ハーモニーランドの初期投資は140億円
    • [69]ピューロランドは1日のピーク時入場者数を6000人に設定していたが、客が特定のアトラクションに集中し1時間並ぶ状況となり、900席のレストランも食事時に混雑した
    • [70]サンリオは米ランドマーク・エンターテイメント・グループと提携して企画・デザイン面の技術協力を得たが、運営は子会社のサンリオ・コミュニケーション・ワールドが担当し、ノウハウの不備が目立った
    • [71]辻信太郎社長は「来ていただいた方はどうもディズニーランドの感覚でアトラクションに入りたがる」と反省を述べた
    • [72]ハーモニーランドは休日こそ1万人近い客が入るが、平日は2000人の目標さえ下回ることがほとんどだった
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [51]1983年4月 西独ハンブルク市に子会社Sanrio GmbHを設立し、欧州でのギフト商品の輸入販売を開始
    • [52]1984年1月 サンリオ株式が東京証券取引所市場第一部に指定替え(1982年4月に第二部へ上場)
    • [59]1987年11月 サンリオピューロランドの運営会社、株式会社サンリオ・コミュニケーション・ワールドを設立
    • [60]1988年10月 大分県速見郡日出町のハーモニーランドの運営管理会社、株式会社ハーモニーランドの設立に出資
    • [66]1990年12月 東京都多摩市に「サンリオピューロランド」をオープン
    • [67]1991年4月 大分県速見郡日出町に「ハーモニーランド」をオープン
  • 会社年鑑
    • [53]単体売上高は1983年7月期582億円、1984年7月期681億円
    • [54]1984年7月期の単体経常利益は67.3億円
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
    • [55]辻信太郎社長は1990年7月のインタビューで「土地については嫌な思い出がある」と述べ、甲府市の生家をめぐる不法占拠と裁判の記憶を挙げた
    • [56]辻信太郎社長は「50億の土地を買おうとすると、持ち主は誰かとか担保に入っていないかとか、調べるのが大変。でも株を買う場合は50億でも1000億でも電話でオーケーと言えばそれでいい」と述べた
    • [57]辻信太郎社長は同じ場で「ただ値上がりは土地の方がすごかったから、不労所得とみるならば土地投資の方が良かったのかもしれないけど」と留保を付けた
    • [61]辻信太郎社長は1990年7月、ピューロランドを「14年間ぐらいの構想をもとに造った」と述べた
    • [62]辻信太郎社長は建設の動機として、1人当たり所得が2万ドルを超え休みが増えることを挙げ「この休みをどうすごすかが問題になってくる。そこで出てくるのがテーマパーク」と語った
    • [63]辻信太郎社長は「アメリカには600カ所もあって、経営する会社が約20社あるんですが、1、2をのぞいて全部黒字なんです」と述べた(「1、2」が社か施設かは記事上定かでない)
  • 日経ビジネス 1992年4月27日号
    • [58]1988年に資金運用管理室を設立(1992年3月に廃止)
  • 日経ビジネス 1991年7月8日号
    • [64]1983年以降に民間企業や自治体が打ち上げたテーマパーク計画は133カ所(建設省調べ)、すでに開園したのは約30カ所
    • [65]東急エージェンシーの井手信雄主任研究員は「約30のうち、成功するのは7つ程度ではないか」と述べた
    • [68]ハーモニーランドの初期投資は140億円
    • [69]ピューロランドは1日のピーク時入場者数を6000人に設定していたが、客が特定のアトラクションに集中し1時間並ぶ状況となり、900席のレストランも食事時に混雑した
    • [70]サンリオは米ランドマーク・エンターテイメント・グループと提携して企画・デザイン面の技術協力を得たが、運営は子会社のサンリオ・コミュニケーション・ワールドが担当し、ノウハウの不備が目立った
    • [71]辻信太郎社長は「来ていただいた方はどうもディズニーランドの感覚でアトラクションに入りたがる」と反省を述べた
    • [72]ハーモニーランドは休日こそ1万人近い客が入るが、平日は2000人の目標さえ下回ることがほとんどだった

8期連続の最終赤字とハローキティブーム

1990年3月末の評価損は75億円[73]に達したが、辻信太郎社長は日本経済新聞社のアンケートにこれからもどんどんやると回答し、他社の回答が縮小や中止ばかりだと知ったのはその後だった。株式を上場し転換社債も新株も発行して買ってほしいと言う以上、自分は株を買わないでは理屈が通らない[74]、というのが理由である。1600億円を1人では無理だとして[75]資金運用室に専門家を置き、辻信太郎社長自身も8割方に目を通していた。1992年3月期は約160億円の株式評価損で[76]、上場以来はじめての無配に転じる見込みとなった。株式運用は総資産の4割に達した[77]が、株式の持ち合いがあって一度保有した株は思い通りに売れない、と辻信太郎社長は述べた。財テクの失敗という評には、成功した会社はどこにもないと反論した[78]。1992年3月の資金運用管理室の廃止[79]も財テク偏重という批判に応えるためで、運用規模を縮小するわけではないと述べた。

  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
    • [73]辻信太郎社長は「3月末で75億円の評価損を出した」と述べ、その後に届いた日本経済新聞社のアンケートに「これからもどんどんやる」と回答した。他社が財テクの縮小・中止を挙げていたのを知ったのは回答後(「後でみると他社はみんな財テクは縮小するとか、やめるとかある。変な話ですよね」)
    • [74]辻信太郎社長は「サンリオは株を上場している。また、CBも発行してるし。新株も出してそれは買って下さいと言っている。株を発行していて、自分は株は買わないでは理屈が通らない」と述べた
    • [75]辻信太郎社長は「いやいや、1600億円を1人では無理。社内に資金運用室というのがあるんです。専門家が入ってます。でも80%ぐらいは見てます」と述べた
  • 日経ビジネス 1992年4月27日号
    • [76]1992年3月期は約160億円の株式評価損により、1982年の上場以来の赤字・無配の見込みとされた
    • [77]株式運用は総資産の4割に達した。辻信太郎社長は「日本には株式の持ち合いということがあって、一度保有した株をなかなか思い通りに売ることはできません」と述べ、NTT株を仮に全部売却すればテレホンカードのデザイン制作の取引に影響が出る可能性があると例示した
    • [78]辻信太郎社長は「サンリオが財テクに失敗したとよく言われます。しかし、株価が日経平均3万8000円台から1万7000円を割るまで急降下した中で、成功した会社は、どこにもありません」と述べた
    • [79]1992年3月に資金運用管理室を廃止。辻信太郎社長は「財テク偏重とのマスコミの批判にこたえるため」であり「株式運用の規模を縮小するわけではありません」と述べた

サンリオは1989年10月の定時株主総会で事業年度を4月1日から3月31日へ変更[80]し、1990年3月期は8か月の変則決算[81]となった。連結の最終損益は1991年3月期から1998年3月期まで8期続けて赤字となり[82]、1992年3月期の354億円と1995年3月期の240億円を含めて累計は1010億円に達した[83]。この間の連結売上高は1992年3月期の1314億円をピークに[84]、1996年3月期の968億円まで縮んだ。総資産は財テクの処理でピーク時の半分まで落ちたが、長短借入金は1997年3月期末で1200億円[85]以上あり、特金の含み損と関係会社への保証債務も残っていた。懸案の特金処分が終わったのは1999年3月期[86]のことである。赤字が続くなかでも海外の販売網は広げ、1992年5月に台北、1994年4月に香港[87]、1998年7月に大韓民国へ子会社を設立[88]した。

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [80]1989年10月 第29回定時株主総会において、事業年度を毎年4月1日から翌年3月31日に変更することを決議
    • [87]1992年5月 台北市に子会社三麗鴎有限公司を設立、1994年4月 香港に子会社Sanrio(Hong Kong) Co.,Ltd.を設立
    • [88]1998年7月 大韓民国に子会社Sanrio Korea Co.,Ltd.を設立
  • サンリオ 有価証券報告書
    • [81]決算期変更により1990年3月期は1989年8月から1990年3月までの8か月の変則決算(連結売上高743億円。前期1989年7月期の950億円とは期間が異なる)
    • [82]連結当期純損益は1991年3月期から1998年3月期まで8期連続で赤字(-56.5/-354/-55.8/-43.9/-240/-26.5/-53.3/-180億円)、累計1010億円
    • [83]連結当期純損失は1992年3月期354億円、1995年3月期240億円。8期の累計は1010億円
    • [84]連結売上高は1991年3月期1241億円、1992年3月期1314億円、1995年3月期923億円、1996年3月期968億円
  • 週刊東洋経済 1997年10月18日号
    • [85]サンリオの総資産は財テクの処理に伴いピーク時に比べ半減したが、長短借入金は1997年3月期末で1200億円以上あり、特金含み損と関係会社への保証債務も不安材料として残っていた
  • 週刊東洋経済 1999年10月2日号
    • [86]1999年3月期に懸案の特金処分を終了した

サンリオは1996年に大人の女性向けの[89]「ピンクキルトシリーズ」を発売し、1997年3月には20代から30代を狙った[90]専門店を多店舗で開いた。女子高生から起こったハローキティの人気はOL層[91]へ広がり、関連商品は1997年だけで3000点、市場規模は3000億円を超えたと、サンリオ商事部の大林佳幸課長[92]は見積もっている。買い手の中心は子供でなく大人で、ドラえもんやウルトラマンにも同じ現象[93]が起きた。連結売上高は1997年3月期の1073億円から1999年3月期には[94]1501億円へ伸び、最終損益も1999年3月期に51億円、2000年3月期に204億円の黒字[95]に転じた。だが1999年9月中間期はハローキティを中心とするキャラクター商品の売上が計画を下回り[96]、売上高計画は530億円から513億円へ減額された。同期の利益予想の増額を支えたのは、50億円超の株式売却益と低価法への変更[97]による約15億円の評価益だった。

  • 週刊東洋経済 1998年2月21日号
    • [89]サンリオは1996年に大人の女性ファンを意識した「ピンクキルトシリーズ」を発売し、1997年には親子ファンをつかむヒットとなった
  • 日経ビジネス 1998年8月24日号
    • [90]1997年3月にサンリオが20代から30代の大人を狙ったサンリオ商品の専門店を多店舗で展開し始めた
    • [92]キャラクターの使用権を管理するサンリオ商事部の大林佳幸課長は「昨年だけで3000点が新たに生まれた。関連商品の市場規模は3000億円を超えています」と述べた(自社関係者の見積もり)
    • [93]キャラクター人気を牽引していたのは子供よりも大人で、キティちゃんのほかドラえもん(市場規模2000億円超)、ウルトラマンも大人が買い手だった(ポケットモンスターは大人に頼らず子供向けで市場を拡大した例として区別されている)
  • 週刊東洋経済 1997年12月6日号
    • [91]1997年、女子高生から起こったキティちゃん人気の波がOL層まで拡大した
  • サンリオ 有価証券報告書
    • [94]連結売上高は1997年3月期1073億円、1998年3月期1453億円、1999年3月期1501億円
    • [95]連結当期純利益は1999年3月期51.3億円、2000年3月期204億円
  • 週刊東洋経済 1999年10月2日号
    • [96]1999年9月中間期の売上高計画を530億円から513億円へ減額。要因はハローキティを中心とするキャラクター商品の売り上げが計画を下回ったこと。中間期の営業利益は55億円程度の見通しで、前年同期の81億円から3割以上の減益
    • [97]1999年9月中間期の経常利益・当期利益は当初計画の各78億円から120億円・116億円へ増額されたが、その内実は50億円超の株式売却益と、有価証券の評価方法を洗い替え低価法へ変更したことによる約15億円の評価益
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
    • [73]辻信太郎社長は「3月末で75億円の評価損を出した」と述べ、その後に届いた日本経済新聞社のアンケートに「これからもどんどんやる」と回答した。他社が財テクの縮小・中止を挙げていたのを知ったのは回答後(「後でみると他社はみんな財テクは縮小するとか、やめるとかある。変な話ですよね」)
    • [74]辻信太郎社長は「サンリオは株を上場している。また、CBも発行してるし。新株も出してそれは買って下さいと言っている。株を発行していて、自分は株は買わないでは理屈が通らない」と述べた
    • [75]辻信太郎社長は「いやいや、1600億円を1人では無理。社内に資金運用室というのがあるんです。専門家が入ってます。でも80%ぐらいは見てます」と述べた
  • 日経ビジネス 1992年4月27日号
    • [76]1992年3月期は約160億円の株式評価損により、1982年の上場以来の赤字・無配の見込みとされた
    • [77]株式運用は総資産の4割に達した。辻信太郎社長は「日本には株式の持ち合いということがあって、一度保有した株をなかなか思い通りに売ることはできません」と述べ、NTT株を仮に全部売却すればテレホンカードのデザイン制作の取引に影響が出る可能性があると例示した
    • [78]辻信太郎社長は「サンリオが財テクに失敗したとよく言われます。しかし、株価が日経平均3万8000円台から1万7000円を割るまで急降下した中で、成功した会社は、どこにもありません」と述べた
    • [79]1992年3月に資金運用管理室を廃止。辻信太郎社長は「財テク偏重とのマスコミの批判にこたえるため」であり「株式運用の規模を縮小するわけではありません」と述べた
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [80]1989年10月 第29回定時株主総会において、事業年度を毎年4月1日から翌年3月31日に変更することを決議
    • [87]1992年5月 台北市に子会社三麗鴎有限公司を設立、1994年4月 香港に子会社Sanrio(Hong Kong) Co.,Ltd.を設立
    • [88]1998年7月 大韓民国に子会社Sanrio Korea Co.,Ltd.を設立
  • サンリオ 有価証券報告書
    • [81]決算期変更により1990年3月期は1989年8月から1990年3月までの8か月の変則決算(連結売上高743億円。前期1989年7月期の950億円とは期間が異なる)
    • [82]連結当期純損益は1991年3月期から1998年3月期まで8期連続で赤字(-56.5/-354/-55.8/-43.9/-240/-26.5/-53.3/-180億円)、累計1010億円
    • [83]連結当期純損失は1992年3月期354億円、1995年3月期240億円。8期の累計は1010億円
    • [84]連結売上高は1991年3月期1241億円、1992年3月期1314億円、1995年3月期923億円、1996年3月期968億円
    • [94]連結売上高は1997年3月期1073億円、1998年3月期1453億円、1999年3月期1501億円
    • [95]連結当期純利益は1999年3月期51.3億円、2000年3月期204億円
  • 週刊東洋経済 1997年10月18日号
    • [85]サンリオの総資産は財テクの処理に伴いピーク時に比べ半減したが、長短借入金は1997年3月期末で1200億円以上あり、特金含み損と関係会社への保証債務も不安材料として残っていた
  • 週刊東洋経済 1999年10月2日号
    • [86]1999年3月期に懸案の特金処分を終了した
    • [96]1999年9月中間期の売上高計画を530億円から513億円へ減額。要因はハローキティを中心とするキャラクター商品の売り上げが計画を下回ったこと。中間期の営業利益は55億円程度の見通しで、前年同期の81億円から3割以上の減益
    • [97]1999年9月中間期の経常利益・当期利益は当初計画の各78億円から120億円・116億円へ増額されたが、その内実は50億円超の株式売却益と、有価証券の評価方法を洗い替え低価法へ変更したことによる約15億円の評価益
  • 週刊東洋経済 1998年2月21日号
    • [89]サンリオは1996年に大人の女性ファンを意識した「ピンクキルトシリーズ」を発売し、1997年には親子ファンをつかむヒットとなった
  • 日経ビジネス 1998年8月24日号
    • [90]1997年3月にサンリオが20代から30代の大人を狙ったサンリオ商品の専門店を多店舗で展開し始めた
    • [92]キャラクターの使用権を管理するサンリオ商事部の大林佳幸課長は「昨年だけで3000点が新たに生まれた。関連商品の市場規模は3000億円を超えています」と述べた(自社関係者の見積もり)
    • [93]キャラクター人気を牽引していたのは子供よりも大人で、キティちゃんのほかドラえもん(市場規模2000億円超)、ウルトラマンも大人が買い手だった(ポケットモンスターは大人に頼らず子供向けで市場を拡大した例として区別されている)
  • 週刊東洋経済 1997年12月6日号
    • [91]1997年、女子高生から起こったキティちゃん人気の波がOL層まで拡大した

2001年〜 海外ライセンスへの転換と欧米事業の失速

サンリオの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2003年 三麗鴎(上海)国際貿易有限公司を設立
  2. 2005年 Sanrio Asia Merchandise Co., Ltd.を設立
  3. 2009年 Sanrio License GmbH(2011年1月にSanrio GmbHへ吸収合併)を設立
  4. 2009年 海外成長戦略を公表
  5. 2009年 3社のテーマパーク事業を会社分割しサンリオエンターテイメントを設立
  6. 2010年 サンリオピューロランド・ハーモニーランドを清算
  7. 2016年 辻家による経営に回帰

株式運用からの撤退と、物販に代わる収益源

2002年9月、サンリオは創業以来42年続けてきた株式運用をやめる[98]と決め、9月中間期に約100億円の株式運用損を計上して132億円の連結最終赤字に陥ると発表した[99]。自らを相場のプロと称してきた辻信太郎社長は、市場の行方は不透明であり、相場が上がることがあっても二度と株式運用を再開することはない[100]と述べた。バブル期には特定金銭信託と合わせて総資産の約半分にあたる1500億円を株式で運用し[101]、1992年3月期には265億円の経常赤字に転落していた。メインバンクの東京三菱銀行から再三にわたり中止を求め[102]られても運用は続き、最後は上限を300億円に絞りながらなお続けていた。辻信太郎社長は引責辞任を否定して本業に専念する[103]と強調したが、連結売上高は2001年3月期の1368億円から2003年3月期の1095億円へ[104]減り、2003年3月期には193億円の当期純損失を計上した。

  • 週刊東洋経済 2002年10月12日号
    • [98]2002年9月、サンリオが創業以来42年続けた株式運用の中止を決めた
    • [99]約100億円の株式運用損が響き、9月中間期に132億円の連結最終赤字に陥ると発表した(発表時点の見込み)
    • [100]自らを相場のプロと称していた辻信太郎社長は、市場の行く末は不透明で、相場が上がるようなことがあっても今後二度と株式運用を再開することはないと述べた
    • [101]バブル期は特定金銭信託と合わせ総資産の約半分の1500億円を株式運用し、1992年3月期に265億円の経常赤字に転落した
    • [102]メイン行の東京三菱銀行の再三の中止要請にも応じず、運用資金を300億円上限に縮小しつつ株式運用を続けた
    • [103]辻信太郎社長は引責辞任をきっぱり否定し、本業に専念して業績回復を目指すと強調した
  • サンリオ 有価証券報告書
    • [104]連結売上高は2001年3月期1368億円、2003年3月期1095億円、2003年3月期の当期純損失は193億円

ハローキティは1990年代後半に女子高生やOLの間でブーム[105]となったが、2001年の国内売上高は苦戦気味[106]だった。辻信太郎社長は百貨店も量販店もコンビニも商品構成と販売員が似ている[107]と指摘し、客を呼び戻すには感動の演出が要るとして、テーマパークのライブショーを取引先の売り場へ出張させた[108]。2003年1月には中国での製造強化[109]と販売体制確立のため上海市に三麗鴎(上海)国際貿易有限公司を設立し、2005年4月にはアジアの商品供給を集約する[110]ため香港拠点Sanrio Asia Merchandise Co., Ltd.を置いた。2008年は国内の既存店売上高が2月以降前年を上回り5月は107.6%に達した[111]が、不採算店整理や商品構成の見直しに加え、欧州やロシアへ広がったキティ人気[112]が訪日客の土産需要を押し上げていた。辻信太郎社長は復調の最大要因を外国人と高齢者に求め[113]、この時点で営業利益の半分は海外で稼いでいた。

  • 週刊東洋経済 2014年6月7日号
    • [105]ハローキティは1990年代後半におしゃれなキャラクターアイテムとして女子高生やOLの間でブームとなった
  • 週刊東洋経済 2001年3月3日号
    • [106]2001年時点でサンリオ自身の国内売り上げは最近やや苦戦気味だった
    • [107]辻信太郎社長は百貨店・量販店・コンビニまで商品構成も販売員も似たり寄ったりで、リピーターを増やすには感動を演出しないとだめだと語り、百貨店・量販店へライブショーを提案していた
    • [108]テーマパークのライブショーを百貨店・量販店の売り場へ出前する営業を進め、その売上高は年間3億円ほどになった
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [109]2003年1月、中国での商品製造の強化・国内外への商品供給の充実・中国での販売体制の確立のため上海市に三麗鴎(上海)国際貿易有限公司を設立した
    • [110]2005年4月、アジア地域での商品供給を集約するため香港にSanrio Asia Merchandise Co., Ltd.を設立した(2016年12月に清算)
  • 週刊東洋経済 2008年7月12日号
    • [111]2008年2月以降、国内既存店の月次売上高は前年同月比100%超が定着し、5月は107.6%を記録した
    • [112]不採算店整理・商品構成見直しなどの効果もあるうえ、ファッションモデルなどを火付け役に欧州やロシアへ拡大した海外のハローキティブームが波及し、2ケタ増で増える訪日旅行者が日本土産にキティを選んだ
    • [113]辻信太郎社長は復調の最大要因を外国人と高齢者と話した。当時サンリオの営業利益の半分は海外で稼いでいた

海外の稼ぎ方を変えたのは、創業者の長男の辻邦彦副社長が2008年に参謀役として招いた[114]鳩山玲人氏である。三菱商事出身の鳩山氏はハーバード・ビジネススクール留学中[115]にサンリオを研究し、各国の学生の誰もがハローキティを知りながら買える場所がないことを最大の問題と見て[116]、2008年5月の入社後に34歳で取締役へ就いた。鳩山氏はまず本社主導を改めて権限を現地オフィスへ委ね[117]、物販からライセンスへ切り替えた。2009年1月にはドイツにSanrio License GmbHを設けた[118]。直営店で売るやり方は本社の統制が利く半面、店を増やす速度が遅く在庫と人員の負担も重かった[119]ため、物販を縮小して使用権を貸しパートナーに売ってもらう形へ変えた。使用基準を細かく定めるディズニーと逆に、デザインの核だけを守らせて自由度を認めたため契約先は2010年9月に1245社へ増え[120]、ロイヤルティ収入は海外売上高の7割弱を占めた。

  • 週刊東洋経済 2018年7月28日号
    • [114]辻邦彦は辻信太郎の長男。2008年、自身の右腕となる参謀役として鳩山玲人氏を招聘した(週刊東洋経済2014年6月7日号も招聘者を辻邦彦とする。ただし2011年1月8日号は辻信太郎社長から米国法人COOへの電話の誘いがあったと伝えており、招聘者の記述は資料により割れる)
  • 週刊東洋経済 2011年1月8日号
    • [115]鳩山玲人は三菱商事出身で、2006〜08年のハーバード・ビジネススクール留学時代にサンリオのビジネスを徹底的に研究した
    • [116]留学先で30カ国超から集まる学生の誰もがハローキティを知っていたが商品をどこで買えるのか聞かれ、需要に供給が追いついていないことが最大の問題だと気づいた。2008年5月に入社し34歳で取締役に就任した
    • [117]入社後まず現地化を進め、本社主導の体制を見直して現地オフィスへ権限を大きく委譲した。次に注力したのが物販からライセンスへの戦略シフトだった
    • [119]従来の直営店モデルは本社のグリップが利く一方、店の拡大スピードが遅く在庫や人員を抱えるリスクも高かったため、物販の縮小を決断しライセンスを供与してパートナーに売ってもらう形に変えた
    • [120]著作権の使用基準を細かく設定するディズニーと逆にサンリオは基準を緩め、2010年9月時点でライセンス契約パートナーは1245社に増加。ロイヤルティ収入が海外売り上げの7割弱を占めた
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [118]2009年1月、ドイツにSanrio License GmbH(2011年1月、Sanrio GmbHに吸収合併)を設立した
  • 週刊東洋経済 2002年10月12日号
    • [98]2002年9月、サンリオが創業以来42年続けた株式運用の中止を決めた
    • [99]約100億円の株式運用損が響き、9月中間期に132億円の連結最終赤字に陥ると発表した(発表時点の見込み)
    • [100]自らを相場のプロと称していた辻信太郎社長は、市場の行く末は不透明で、相場が上がるようなことがあっても今後二度と株式運用を再開することはないと述べた
    • [101]バブル期は特定金銭信託と合わせ総資産の約半分の1500億円を株式運用し、1992年3月期に265億円の経常赤字に転落した
    • [102]メイン行の東京三菱銀行の再三の中止要請にも応じず、運用資金を300億円上限に縮小しつつ株式運用を続けた
    • [103]辻信太郎社長は引責辞任をきっぱり否定し、本業に専念して業績回復を目指すと強調した
  • サンリオ 有価証券報告書
    • [104]連結売上高は2001年3月期1368億円、2003年3月期1095億円、2003年3月期の当期純損失は193億円
  • 週刊東洋経済 2014年6月7日号
    • [105]ハローキティは1990年代後半におしゃれなキャラクターアイテムとして女子高生やOLの間でブームとなった
  • 週刊東洋経済 2001年3月3日号
    • [106]2001年時点でサンリオ自身の国内売り上げは最近やや苦戦気味だった
    • [107]辻信太郎社長は百貨店・量販店・コンビニまで商品構成も販売員も似たり寄ったりで、リピーターを増やすには感動を演出しないとだめだと語り、百貨店・量販店へライブショーを提案していた
    • [108]テーマパークのライブショーを百貨店・量販店の売り場へ出前する営業を進め、その売上高は年間3億円ほどになった
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [109]2003年1月、中国での商品製造の強化・国内外への商品供給の充実・中国での販売体制の確立のため上海市に三麗鴎(上海)国際貿易有限公司を設立した
    • [110]2005年4月、アジア地域での商品供給を集約するため香港にSanrio Asia Merchandise Co., Ltd.を設立した(2016年12月に清算)
    • [118]2009年1月、ドイツにSanrio License GmbH(2011年1月、Sanrio GmbHに吸収合併)を設立した
  • 週刊東洋経済 2008年7月12日号
    • [111]2008年2月以降、国内既存店の月次売上高は前年同月比100%超が定着し、5月は107.6%を記録した
    • [112]不採算店整理・商品構成見直しなどの効果もあるうえ、ファッションモデルなどを火付け役に欧州やロシアへ拡大した海外のハローキティブームが波及し、2ケタ増で増える訪日旅行者が日本土産にキティを選んだ
    • [113]辻信太郎社長は復調の最大要因を外国人と高齢者と話した。当時サンリオの営業利益の半分は海外で稼いでいた
  • 週刊東洋経済 2018年7月28日号
    • [114]辻邦彦は辻信太郎の長男。2008年、自身の右腕となる参謀役として鳩山玲人氏を招聘した(週刊東洋経済2014年6月7日号も招聘者を辻邦彦とする。ただし2011年1月8日号は辻信太郎社長から米国法人COOへの電話の誘いがあったと伝えており、招聘者の記述は資料により割れる)
  • 週刊東洋経済 2011年1月8日号
    • [115]鳩山玲人は三菱商事出身で、2006〜08年のハーバード・ビジネススクール留学時代にサンリオのビジネスを徹底的に研究した
    • [116]留学先で30カ国超から集まる学生の誰もがハローキティを知っていたが商品をどこで買えるのか聞かれ、需要に供給が追いついていないことが最大の問題だと気づいた。2008年5月に入社し34歳で取締役に就任した
    • [117]入社後まず現地化を進め、本社主導の体制を見直して現地オフィスへ権限を大きく委譲した。次に注力したのが物販からライセンスへの戦略シフトだった
    • [119]従来の直営店モデルは本社のグリップが利く一方、店の拡大スピードが遅く在庫や人員を抱えるリスクも高かったため、物販の縮小を決断しライセンスを供与してパートナーに売ってもらう形に変えた
    • [120]著作権の使用基準を細かく設定するディズニーと逆にサンリオは基準を緩め、2010年9月時点でライセンス契約パートナーは1245社に増加。ロイヤルティ収入が海外売り上げの7割弱を占めた

欧米ライセンスの失速と、決まらない後継

欧州の売上高は2008年3月期の72億円から2011年3月期の149億円へ[121]膨らみ、海外ライセンス収入の好調を受けて会社側は2010年3月期の連結営業利益予想を90億円へ引き上げた[122]。連結営業利益は2011年3月期150億円、2013年3月期202億円と伸び[123]、2014年3月期には過去最高の210億円に達した[124]。2011年12月には英国にSanrio Global Ltd.を設立[125]し、同社を通じてキャラクター事業会社Mister Men Ltd.とその子会社、THOIPの全株式を取得した。辻信太郎社長は2012年、キティを作る前に世界中で好まれる動物を調べ、宗教上の理由でイスラム圏になじまない犬[126]でなく、富裕層に飼われる猫を選んだと語った。同じ取材で、直営店と百貨店の物販に代え、売上高の8%を本部に納める加盟店方式[127]で世界へ広げる構想を述べた。2014年、サンリオの事業展開地域は100か国を優に超えた[128]

  • サンリオ 有価証券報告書
    • [121]地域別売上高(欧州)は2008年3月期72億円、2011年3月期149億円がピーク
    • [123]連結営業利益は2011年3月期150億円、2013年3月期202億円、2014年3月期210億円
  • 週刊東洋経済 2010年4月3日号
    • [122]欧州等の海外ライセンス収入好調で、会社側が2010年3月期の営業利益予想を29億円増額し90億円へ修正した
  • 週刊東洋経済 2018年7月28日号
    • [124]2013年度(2014年3月期)の営業利益210億円は過去最高
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [125]2011年12月、英国にSanrio Global Ltd.およびSanrio UK Finance Ltd.を設立し、Sanrio Global Ltd.を通じて英国のキャラクター事業会社Mister Men Ltd.およびその子会社Mister Films Ltd.ならびにTHOIPの発行済全株式を取得した
  • 週刊東洋経済 2012年4月14日号
    • [126]辻信太郎社長はキティを作る前にどんな動物が好まれるかを世界中で調査し、犬は宗教上の理由でイスラム圏では好まれないが、イスラム圏では富裕層がペルシャ猫を飼うため猫のイメージがよいと語った
    • [127]辻信太郎社長は、これまでの直営店と百貨店の物販に代えて、売上高の8%を本部に納めればサンリオ商品を売ってよいフランチャイズ形態で世界に拡大したいと述べた
  • 週刊東洋経済 2014年6月7日号
    • [128]2014年時点でサンリオがビジネスを展開する地域は100カ国を優に超えた

2014年3月期を頂点に欧米のライセンス収入は細り始めた[129]。欧米のキティブームが沈静化し、Amazonなど電子商取引の台頭で大口契約先の販売力が落ち[130]、ディズニーなど資金力のある競合も攻勢を強め、対応は遅れ、全社利益の7割超を稼いだ海外ライセンスは急速に縮んだ。欧州の売上高は2011年3月期の149億円から2019年3月期の17億円へ[131]、北米も2014年3月期の118億円から26億円へ落ち、2017年3月期以降はどちらも損失となった。連結は2015年3月期から5期続けて減収減益となり、2019年3月期は売上高591億円、営業利益48億円[132]だった。テーマパーク事業は2009年7月の会社分割で設けた株式会社[133]サンリオエンターテイメントが担い、2014年4月の入園料引き下げ[134]、館長の小巻亜矢氏の意識改革[135]と設備投資、2015年開始の2.5次元ミュージカルを経て、2007年度からの赤字を2017年度に脱した。

  • 週刊東洋経済 2018年7月28日号
    • [129]辻邦彦副社長が亡くなった時期と前後して、好調だったライセンスビジネスに陰りが見え始めた
    • [130]欧米のキティブーム沈静化に加え、Amazonなどeコマースの台頭でウォルマートなど大口ライセンス契約先の販売力が低下し、アニメ映画に合わせ関連グッズを世界で売るディズニーなど資金力のあるライバルの攻勢も強まった。環境変化への対応が遅れ、全社利益の7割以上を稼いでいた海外ライセンスは急速に縮小した
    • [135]2014年に顧問、2016年から館長としてピューロランド改革を主導した小巻亜矢氏は、長年の業績低迷で従業員の気持ちが後ろ向きだったのでまず意識改革から取り組んだと話し、予算を確保して新規アトラクション導入や館内デザイン統一の設備投資を実施。集客の起爆剤は2015年に始まった2.5次元ミュージカルで、2007年度から続いた赤字を脱し2017年度に10期ぶりの黒字化を達成した
  • サンリオ 有価証券報告書
    • [131]地域別売上高(欧州)は2011年3月期149億円→2019年3月期17.6億円、北米は2014年3月期118億円→2019年3月期26.6億円。欧州・北米とも2017年3月期以降はセグメント損失
    • [132]連結売上高は2015年3月期745億円から2019年3月期591億円へ5期続けて減少し、営業利益も175億円から48億円へ減った
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [133]2009年7月、サンリオおよび株式会社サンリオピューロランド・株式会社ハーモニーランドのテーマパーク事業を会社分割し株式会社サンリオエンターテイメントを設立した(旧2社は2010年3月に清算)
  • 週刊東洋経済 2014年4月19日号
    • [134]2014年4月、サンリオピューロランドは1日の平日パスポート料金を4400円から3300円へ25%値下げした

2013年11月19日、米国ロサンゼルス[136]で辻邦彦副社長が61歳で急逝した。辻邦彦氏の入社は1976年で、当時から次の社長は邦彦というのが社内の共通認識だったと、サンリオOBは語った[137]辻信太郎社長も2年前から根回しを進め、2014年春に交代を発表し6月の株主総会後[138]に長男へ経営を渡す段取りを組んでいた。4000円台の株価は半年で2000円台へ下がり[139]、2014年5月21日の説明会[140]辻信太郎社長が次の社長を決めるまでに2年かかると述べると翌日はストップ安に沈んだ。鳩山玲人氏は2015年に海外担当を外れ2016年6月[141]に取締役を退任し、入れ替わりに取締役へ就いたのが辻邦彦氏の長男の辻朋邦氏で、2014年1月の入社から2年半での昇格[142]だった。2019年1月の辻信太郎社長の取締役在任期間は上場企業で2番目[143]に長く、東京証券取引所は前年改定のコーポレートガバナンス・コードで後継者計画の監督を取締役会に求めた[144]

  • 週刊東洋経済 2014年6月7日号
    • [136]2013年11月19日(現地時間)、米国ロサンゼルスでサンリオ副社長の辻邦彦が61歳で急死した
    • [137]辻邦彦の入社は1976年。サンリオOBは「当時から次の社長は邦彦さん、というのが社内の共通認識だった」と語った
    • [138]辻信太郎は2年前から社内の体制整備や周辺への根回しを進め、トップ交代の発表日を2014年春に定め、6月の株主総会後に邦彦をトップとする予定だった
    • [139]邦彦の急死で4000円台に乗せていた株価は半年の間に2000円台へ暴落した
    • [140]2014年5月21日のアナリスト向け決算説明会で辻信太郎は次の社長を決めるまでには2年が必要と述べ、翌日サンリオ株はストップ安に沈んだ
  • 週刊東洋経済 2018年7月28日号
    • [141]鳩山玲人は邦彦副社長の死後に一時欧米事業を任されたが、2015年に海外担当から外れ、2016年6月に取締役を退任した
    • [142]入れ代わりで取締役に就いたのが辻朋邦。父が亡くなった直後の2014年1月にサンリオへ入社し、わずか2年半で取締役へ昇格した
  • 週刊東洋経済 2019年1月12日号
    • [143]2019年1月時点で辻信太郎の取締役在任期間は上場企業で2位だった
    • [144]東京証券取引所は2018年6月に改定したコーポレートガバナンス・コードで、取締役会に後継者計画の策定・運用への関与と監督を求めた
  • サンリオ 有価証券報告書
    • [121]地域別売上高(欧州)は2008年3月期72億円、2011年3月期149億円がピーク
    • [123]連結営業利益は2011年3月期150億円、2013年3月期202億円、2014年3月期210億円
    • [131]地域別売上高(欧州)は2011年3月期149億円→2019年3月期17.6億円、北米は2014年3月期118億円→2019年3月期26.6億円。欧州・北米とも2017年3月期以降はセグメント損失
    • [132]連結売上高は2015年3月期745億円から2019年3月期591億円へ5期続けて減少し、営業利益も175億円から48億円へ減った
  • 週刊東洋経済 2010年4月3日号
    • [122]欧州等の海外ライセンス収入好調で、会社側が2010年3月期の営業利益予想を29億円増額し90億円へ修正した
  • 週刊東洋経済 2018年7月28日号
    • [124]2013年度(2014年3月期)の営業利益210億円は過去最高
    • [129]辻邦彦副社長が亡くなった時期と前後して、好調だったライセンスビジネスに陰りが見え始めた
    • [130]欧米のキティブーム沈静化に加え、Amazonなどeコマースの台頭でウォルマートなど大口ライセンス契約先の販売力が低下し、アニメ映画に合わせ関連グッズを世界で売るディズニーなど資金力のあるライバルの攻勢も強まった。環境変化への対応が遅れ、全社利益の7割以上を稼いでいた海外ライセンスは急速に縮小した
    • [135]2014年に顧問、2016年から館長としてピューロランド改革を主導した小巻亜矢氏は、長年の業績低迷で従業員の気持ちが後ろ向きだったのでまず意識改革から取り組んだと話し、予算を確保して新規アトラクション導入や館内デザイン統一の設備投資を実施。集客の起爆剤は2015年に始まった2.5次元ミュージカルで、2007年度から続いた赤字を脱し2017年度に10期ぶりの黒字化を達成した
    • [141]鳩山玲人は邦彦副社長の死後に一時欧米事業を任されたが、2015年に海外担当から外れ、2016年6月に取締役を退任した
    • [142]入れ代わりで取締役に就いたのが辻朋邦。父が亡くなった直後の2014年1月にサンリオへ入社し、わずか2年半で取締役へ昇格した
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [125]2011年12月、英国にSanrio Global Ltd.およびSanrio UK Finance Ltd.を設立し、Sanrio Global Ltd.を通じて英国のキャラクター事業会社Mister Men Ltd.およびその子会社Mister Films Ltd.ならびにTHOIPの発行済全株式を取得した
    • [133]2009年7月、サンリオおよび株式会社サンリオピューロランド・株式会社ハーモニーランドのテーマパーク事業を会社分割し株式会社サンリオエンターテイメントを設立した(旧2社は2010年3月に清算)
  • 週刊東洋経済 2012年4月14日号
    • [126]辻信太郎社長はキティを作る前にどんな動物が好まれるかを世界中で調査し、犬は宗教上の理由でイスラム圏では好まれないが、イスラム圏では富裕層がペルシャ猫を飼うため猫のイメージがよいと語った
    • [127]辻信太郎社長は、これまでの直営店と百貨店の物販に代えて、売上高の8%を本部に納めればサンリオ商品を売ってよいフランチャイズ形態で世界に拡大したいと述べた
  • 週刊東洋経済 2014年6月7日号
    • [128]2014年時点でサンリオがビジネスを展開する地域は100カ国を優に超えた
    • [136]2013年11月19日(現地時間)、米国ロサンゼルスでサンリオ副社長の辻邦彦が61歳で急死した
    • [137]辻邦彦の入社は1976年。サンリオOBは「当時から次の社長は邦彦さん、というのが社内の共通認識だった」と語った
    • [138]辻信太郎は2年前から社内の体制整備や周辺への根回しを進め、トップ交代の発表日を2014年春に定め、6月の株主総会後に邦彦をトップとする予定だった
    • [139]邦彦の急死で4000円台に乗せていた株価は半年の間に2000円台へ暴落した
    • [140]2014年5月21日のアナリスト向け決算説明会で辻信太郎は次の社長を決めるまでには2年が必要と述べ、翌日サンリオ株はストップ安に沈んだ
  • 週刊東洋経済 2014年4月19日号
    • [134]2014年4月、サンリオピューロランドは1日の平日パスポート料金を4400円から3300円へ25%値下げした
  • 週刊東洋経済 2019年1月12日号
    • [143]2019年1月時点で辻信太郎の取締役在任期間は上場企業で2位だった
    • [144]東京証券取引所は2018年6月に改定したコーポレートガバナンス・コードで、取締役会に後継者計画の策定・運用への関与と監督を求めた

2020年〜 創業60年で初の社長交代と「第二の創業」

サンリオの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2020年 創業者から孫への60年ぶりの世代承継と「第二の創業」による多キャラクター経営への転換 ハローキティ一本足のライセンス経営を、31歳の3代目はどう組み替えたのか——7期続いた後退から過去最高益へ
  2. 2020年 Avex Asia Pte. Ltd.と合弁会社SANRIO SOUTHEAST ASIA PTE. LTD.を設立
  3. 2022年 プライム市場に移行
  4. 2023年 物販とテーマパークの需要回復。大幅増収へ

創業60年で初のトップ交代とコロナ禍の赤字

2020年6月11日、サンリオは辻朋邦専務が7月1日付で社長へ昇格する人事[145]を固め、創業者の辻信太郎氏は代表権のある会長へ退いた[146]。社長交代は1960年の創業以来初めて[147]で、就任時の辻朋邦社長は31歳、辻信太郎氏は92歳[148]と、祖父から孫へ世代をひとつ飛ばす承継となった。辻朋邦社長は2014年1月に事業会社からサンリオへ移り[149]、2016年に取締役、2017年に専務取締役を務めたうえでの登板である。承継の前には、2015年3月期から続く減収減益[150]と、収益がハローキティ一本に偏る構造[151]が課題として残っていた。

  • 日本経済新聞(2020年6月11日)
    • [145]2020年6月11日、辻朋邦専務が7月1日付で社長へ昇格する人事を固めた
    • [146]創業者の辻信太郎社長は代表権のある会長に就いた
    • [147]社長交代は1960年の同社創業以来初めて
    • [148]辻朋邦専務は31歳、辻信太郎社長は92歳
  • 週刊東洋経済 2021年11月6日号
    • [149]辻朋邦は事業会社勤務を経て2014年1月にサンリオ入社、2016年取締役、2017年専務取締役
  • 週刊東洋経済 2024年8月3日号
    • [150]2015年3月期以降、減収減益が続いた(承継時点の2020年7月までで6期目、その後2021年3月期まで及び通算7期)
  • Business Insider Japan(2023年12月27日)
    • [151]主たる収益は商品化権ビジネスで、キャラクターはハローキティが中心だった

2021年3月期の連結売上高は410億円、営業損益は33億円の赤字[152]で、最終損益も39億円の赤字と12期ぶりの最終赤字に沈んだ[153]。サンリオピューロランドが2020年2月から7月半ばまで臨時休園[154]し、物販でも店舗の休業と学童・ギフト需要の落ち込みが重なったためである。辻朋邦社長は2021年5月25日の説明会で、過去にない営業赤字を痛切に反省すると述べ、第二の創業という覚悟で経営に臨むと語った[155]。同時に公表した中期経営計画では、社員アンケートで点数の低かった挑戦が称賛されない社風や評価基準の不明確さ[156]を自ら挙げ、組織風土の改革を第一の課題に据えた。取締役と常務執行役員クラスの平均年齢は当時65歳[157]で、外部人材の採用と役員の若返りも掲げた。

  • サンリオ 有価証券報告書
    • [152]2021年3月期の連結売上高410億円、営業損益▲33億円、純損益▲39億円(有報連結・億円)
  • 週刊東洋経済 2021年6月19日号
    • [153]最終赤字は12期ぶり
    • [154]サンリオピューロランドは2020年2月から7月半ばまで臨時休園し、物販も店舗休業と学童・ギフト需要の落ち込みが重なった
    • [155]2021年5月25日の説明会で辻朋邦社長が過去にない営業赤字を痛切に反省し「第二の創業」という覚悟でやっていくと語った
    • [156]社員アンケートで「挑戦が称賛される社風」「評価基準の明確性」の評価が低く、中期経営計画で組織風土改革を第1の課題とした
    • [157]取締役と常務執行役員クラスの平均年齢は65歳で、外部人材の招聘と若返りを図る計画だった
  • 日本経済新聞(2020年6月11日)
    • [145]2020年6月11日、辻朋邦専務が7月1日付で社長へ昇格する人事を固めた
    • [146]創業者の辻信太郎社長は代表権のある会長に就いた
    • [147]社長交代は1960年の同社創業以来初めて
    • [148]辻朋邦専務は31歳、辻信太郎社長は92歳
  • 週刊東洋経済 2021年11月6日号
    • [149]辻朋邦は事業会社勤務を経て2014年1月にサンリオ入社、2016年取締役、2017年専務取締役
  • 週刊東洋経済 2024年8月3日号
    • [150]2015年3月期以降、減収減益が続いた(承継時点の2020年7月までで6期目、その後2021年3月期まで及び通算7期)
  • Business Insider Japan(2023年12月27日)
    • [151]主たる収益は商品化権ビジネスで、キャラクターはハローキティが中心だった
  • サンリオ 有価証券報告書
    • [152]2021年3月期の連結売上高410億円、営業損益▲33億円、純損益▲39億円(有報連結・億円)
  • 週刊東洋経済 2021年6月19日号
    • [153]最終赤字は12期ぶり
    • [154]サンリオピューロランドは2020年2月から7月半ばまで臨時休園し、物販も店舗休業と学童・ギフト需要の落ち込みが重なった
    • [155]2021年5月25日の説明会で辻朋邦社長が過去にない営業赤字を痛切に反省し「第二の創業」という覚悟でやっていくと語った
    • [156]社員アンケートで「挑戦が称賛される社風」「評価基準の明確性」の評価が低く、中期経営計画で組織風土改革を第1の課題とした
    • [157]取締役と常務執行役員クラスの平均年齢は65歳で、外部人材の招聘と若返りを図る計画だった

物販の圧縮と、ライセンスへ移した収益の柱

国内の物販は、創業者の辻信太郎氏が強いこだわりを持ち、辻朋邦社長自身が聖域と呼んだ事業[158]である。2021年3月期の売上高は131億円[159]だったが、前年比の売上を追って商品を作りすぎていた[160]辻朋邦社長がふり返るとおり、アイテム数が増えすぎたことで在庫が膨らみ[161]、店舗の採算も悪化していた。サンリオは取扱アイテム数を5000から1900へ減らし[162]、不採算店を閉じて利益を重んじる売り方へ切り替えた結果、2024年3月期の国内物販は61億円の営業黒字を計上した[163]辻信太郎氏はこの間の2022年に取締役を退き[164]、その後は名誉会長を務めている[165]

  • 週刊東洋経済 2021年6月19日号
    • [158]物販事業は創業者の辻信太郎会長が強いこだわりを持ち、辻朋邦社長が「聖域となっていた」と述べた
    • [159]2021年3月期の国内物販の売上高は131億円(記事は国内売上高326億円のうち131億円と記載。有報の日本セグメント売上高315億円とは集計区分が異なるため、物販の金額のみを採った)
    • [161]アイテム数が増えすぎ在庫が膨らみショップの採算が悪化した
    • [162]取扱アイテム数を5000から1900へ削減し不採算店を閉鎖した
  • 週刊東洋経済 2024年8月3日号
    • [160]辻朋邦社長は国内物販が「昨対売り上げ主義で商品を作りすぎていた」と述べた
    • [163]2024年3月期の国内物販は61億円の営業黒字
    • [165]2024年・2026年の記事は辻信太郎を「名誉会長」と記載
  • サンリオ 有価証券報告書
    • [164]有報の役員一覧で辻信太郎は2021年3月期まで代表取締役会長として記載され、2022年3月期以降は不掲載

2014年3月期には海外売上高の9割超をハローキティが占め[166]、収益の偏りという課題も抱えていた。ライセンス先を戦略的に選ばず売上の量を追った[167]北米では、キティが廉価なモチーフとなり[168]、そこへ2013年公開のディズニー映画『アナと雪の女王』[169]が当たると量販店の棚から商品が押し出された[170]辻朋邦社長は専務だった2018年ごろから北米の構造改革[171]に着手し、直営店から撤退したうえで230社強あったライセンス先を190社前後へ[172]絞り込んだ。北米のSNS総フォロワー数は4900万人に増え[173]、本社も数年先までのブランディング方針を立てる[174]ようになった。シナモロールやマイメロディの強化[175]と複数キャラクターを使う売り方も進み、2024年3月期の海外売上高に占めるキティの比率は5割へ下がった[176]。6期続いた北米の赤字は2023年3月期に解消し[177]、2025年3月期には売上高275億円、営業利益89億円[178]と国内に次ぐ収益の柱になった。

  • 週刊東洋経済 2024年8月3日号
    • [166]2014年3月期の海外売上高のうちハローキティが9割超を占め、欧米のブームに依存する体質だった
    • [175]シナモロールやマイメロディのブランド力を重点的に強化し、1つのデザインに複数キャラクターを使う展開を行った
    • [176]2024年3月期の海外売上高に占めるハローキティの割合は5割へ低下
  • 週刊東洋経済 2026年5月2日号
    • [167]ライセンス先を戦略的に選べず「投げ売り」状態に陥り、ハローキティは廉価なモチーフとなった
    • [168]ライセンス先を戦略的に選べず「投げ売り」状態に陥り、ハローキティは廉価なモチーフとなってしまった
  • 週刊東洋経済 2025年6月28日号
    • [169]2013年公開のディズニー映画『アナと雪の女王』のヒットで、北米の大手小売量販店の陳列棚からハローキティ商品が押し出された
    • [170]現地の大手小売量販店の陳列棚からハローキティの商品が一気に押し出された
    • [171]辻朋邦社長(当時は専務)の指揮の下、2018年ごろから北米で構造改革に着手し、3度のリストラと直営店事業からの撤退を行った
    • [172]ライセンス先を230社強から190社前後へ絞り込んだ
    • [173]YouTubeの短尺コンテンツなどのマーケティングにより北米のSNS総フォロワー数は4900万人に拡大した
    • [174]本社チームが数年先までのブランディング方針と18か月先までのマーケティングプランを策定する体制を整えた
    • [177]北米は2022年3月期まで6期連続赤字で、有報セグメントでも2023年3月期に営業黒字(7.2億円)へ転じた
  • サンリオ 有価証券報告書
    • [178]2025年3月期の北米セグメント売上高274.9億円・営業利益88.8億円(有報セグメント情報)

連結営業利益は2021年3月期の赤字から2023年3月期に132億円[179]、2026年3月期には779億円へ伸び[180]、同期の売上高は1941億円に達した。ライセンス収入は2021年3月期の157億円から2026年3月期に約950億円[181]へ増える見込みで、収益の柱は物販から使用権収入へ入れ替わった。2022年4月には東証の市場区分見直し[182]でプライム市場へ移行し、株価は2024年3月に34年ぶりの上場来高値を更新[183]して同年7月の時価総額は8200億円[184]となった。辻朋邦社長は同年、コロナ後の需要回復という外部の追い風[185]もあったと述べた。一方、2023年にはライセンス事業で売上計上時期の操作が判明[186]し、特別調査委員会は創業者が社長だった時代の予算達成への圧力が現場に残っている可能性[187]を指摘した。2026年4月には常務による不適切な報酬受給の疑い[188]も明らかになり、統治体制の見直しが課題として残った。

  • サンリオ 有価証券報告書
    • [179]連結営業利益は2021年3月期▲33億円、2023年3月期132億円
    • [180]連結営業利益は2026年3月期779億円、同期の連結売上高は1941億円
  • 週刊東洋経済 2026年5月2日号
    • [181]ライセンス収入は2021年3月期157億円から2026年3月期に約950億円を見込む
    • [188]2026年4月16日に常務による不適切な報酬受給の疑いが発覚し、ガバナンス体制の見直しが急務とされた
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [182]2022年4月に東証の市場区分見直しにより市場第一部からプライム市場へ移行
  • 週刊東洋経済 2024年8月3日号
    • [183]2024年3月に34年ぶりの上場来高値を更新し、同年7月23日時点の時価総額は8200億円(株価の絶対値は株式分割を挟むため記載しない)
    • [184]2024年7月23日時点の時価総額は8200億円
    • [185]辻朋邦社長は「外部要因の追い風もあり、仕込んできたものが想定以上の成果を出した」と振り返った
  • 週刊東洋経済 2023年4月22日号
    • [186]2023年にライセンス事業で売上計上時期の操作が発覚し特別調査委員会が調査報告書を公表した
    • [187]調査報告書は創業者が社長だった時代の過度な圧力が現場に残存する可能性を指摘した
  • 週刊東洋経済 2021年6月19日号
    • [158]物販事業は創業者の辻信太郎会長が強いこだわりを持ち、辻朋邦社長が「聖域となっていた」と述べた
    • [159]2021年3月期の国内物販の売上高は131億円(記事は国内売上高326億円のうち131億円と記載。有報の日本セグメント売上高315億円とは集計区分が異なるため、物販の金額のみを採った)
    • [161]アイテム数が増えすぎ在庫が膨らみショップの採算が悪化した
    • [162]取扱アイテム数を5000から1900へ削減し不採算店を閉鎖した
  • 週刊東洋経済 2024年8月3日号
    • [160]辻朋邦社長は国内物販が「昨対売り上げ主義で商品を作りすぎていた」と述べた
    • [163]2024年3月期の国内物販は61億円の営業黒字
    • [165]2024年・2026年の記事は辻信太郎を「名誉会長」と記載
    • [166]2014年3月期の海外売上高のうちハローキティが9割超を占め、欧米のブームに依存する体質だった
    • [175]シナモロールやマイメロディのブランド力を重点的に強化し、1つのデザインに複数キャラクターを使う展開を行った
    • [176]2024年3月期の海外売上高に占めるハローキティの割合は5割へ低下
    • [183]2024年3月に34年ぶりの上場来高値を更新し、同年7月23日時点の時価総額は8200億円(株価の絶対値は株式分割を挟むため記載しない)
    • [184]2024年7月23日時点の時価総額は8200億円
    • [185]辻朋邦社長は「外部要因の追い風もあり、仕込んできたものが想定以上の成果を出した」と振り返った
  • サンリオ 有価証券報告書
    • [164]有報の役員一覧で辻信太郎は2021年3月期まで代表取締役会長として記載され、2022年3月期以降は不掲載
    • [178]2025年3月期の北米セグメント売上高274.9億円・営業利益88.8億円(有報セグメント情報)
    • [179]連結営業利益は2021年3月期▲33億円、2023年3月期132億円
    • [180]連結営業利益は2026年3月期779億円、同期の連結売上高は1941億円
  • 週刊東洋経済 2026年5月2日号
    • [167]ライセンス先を戦略的に選べず「投げ売り」状態に陥り、ハローキティは廉価なモチーフとなった
    • [168]ライセンス先を戦略的に選べず「投げ売り」状態に陥り、ハローキティは廉価なモチーフとなってしまった
    • [181]ライセンス収入は2021年3月期157億円から2026年3月期に約950億円を見込む
    • [188]2026年4月16日に常務による不適切な報酬受給の疑いが発覚し、ガバナンス体制の見直しが急務とされた
  • 週刊東洋経済 2025年6月28日号
    • [169]2013年公開のディズニー映画『アナと雪の女王』のヒットで、北米の大手小売量販店の陳列棚からハローキティ商品が押し出された
    • [170]現地の大手小売量販店の陳列棚からハローキティの商品が一気に押し出された
    • [171]辻朋邦社長(当時は専務)の指揮の下、2018年ごろから北米で構造改革に着手し、3度のリストラと直営店事業からの撤退を行った
    • [172]ライセンス先を230社強から190社前後へ絞り込んだ
    • [173]YouTubeの短尺コンテンツなどのマーケティングにより北米のSNS総フォロワー数は4900万人に拡大した
    • [174]本社チームが数年先までのブランディング方針と18か月先までのマーケティングプランを策定する体制を整えた
    • [177]北米は2022年3月期まで6期連続赤字で、有報セグメントでも2023年3月期に営業黒字(7.2億円)へ転じた
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [182]2022年4月に東証の市場区分見直しにより市場第一部からプライム市場へ移行
  • 週刊東洋経済 2023年4月22日号
    • [186]2023年にライセンス事業で売上計上時期の操作が発覚し特別調査委員会が調査報告書を公表した
    • [187]調査報告書は創業者が社長だった時代の過度な圧力が現場に残存する可能性を指摘した

サンリオの沿革1960〜2023年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
辻信太郎山梨シルクセンターを設立
辻信太郎ギフト商品の販売を開始★★
辻信太郎贈り物用の小型絵本「ギフトブック」シリーズを発刊、出版物の企画・販売を開始
辻信太郎グリーティングカードの企画販売を開始
辻信太郎商号をサンリオに変更
辻信太郎自社開発キャラクターのソーシャル・コミュニケーション・ギフト商品を発売★★
辻信太郎ハローキティの誕生と、自社キャラクターを版権で稼ぐライセンスモデルの確立他社キャラクターの使用権を借りていた物販会社は、なぜ「かわいい」を自ら生み、版権を貸す側へ回れたのか 詳細を読む★★★
辻信太郎自社キャラクターのライセンス供与を開始★★
辻信太郎サンノゼにSanrio, Inc.を設立
辻信太郎東京証券取引所第2部に株式上場
辻信太郎ココロを設立
辻信太郎複合文化施設運営会社サンリオ・コミュニケーション・ワールドを設立
辻信太郎「ハーモニーランド」運営会社ハーモニーランドの設立に出資
辻信太郎第29回定時株主総会で事業年度を4月1日〜翌3月31日に変更を決議
辻信太郎サンリオピューロランドを開園★★
辻信太郎株式投資に失敗。8期連続の最終赤字へ★★
辻信太郎「ハーモニーランド」をオープン
辻信太郎高校生の間でハローキティがブーム。大幅増収へ
辻信太郎三麗鴎(上海)国際貿易有限公司を設立
辻信太郎Sanrio Asia Merchandise Co., Ltd.を設立
辻信太郎Sanrio License GmbH(2011年1月にSanrio GmbHへ吸収合併)を設立
辻信太郎海外成長戦略を公表★★
辻信太郎3社のテーマパーク事業を会社分割しサンリオエンターテイメントを設立
辻信太郎サンリオピューロランド・ハーモニーランドを清算
辻信太郎Mister Men Ltd.・Mister Films Ltd.・THOIPの全株式を取得
辻信太郎鳩山玲人氏が退社
辻信太郎辻家による経営に回帰★★
辻信太郎米国と欧州で不振
辻朋邦創業者から孫への60年ぶりの世代承継と「第二の創業」による多キャラクター経営への転換ハローキティ一本足のライセンス経営を、31歳の3代目はどう組み替えたのか——7期続いた後退から過去最高益へ 詳細を読む★★★
辻朋邦Avex Asia Pte. Ltd.と合弁会社SANRIO SOUTHEAST ASIA PTE. LTD.を設立
辻朋邦プライム市場に移行
辻朋邦物販とテーマパークの需要回復。大幅増収へ
出典・参考
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
  • 証券 1982年34(5)(398)
  • サンリオの奇跡(1982)
  • 日経ビジネス 1977年7月18日号
  • 日経ビジネス 1976年8月30日号
  • 日経ビジネス 1981年8月24日号
  • 会社年鑑
  • 日経ビジネス 1992年4月27日号
  • 日経ビジネス 1991年7月8日号
  • サンリオ 有価証券報告書
  • 週刊東洋経済 1997年10月18日号
  • 週刊東洋経済 1999年10月2日号
  • 週刊東洋経済 1998年2月21日号
  • 日経ビジネス 1998年8月24日号
  • 週刊東洋経済 1997年12月6日号
  • 週刊東洋経済 2002年10月12日号
  • 週刊東洋経済 2014年6月7日号
  • 週刊東洋経済 2001年3月3日号
  • 週刊東洋経済 2008年7月12日号
  • 週刊東洋経済 2018年7月28日号
  • 週刊東洋経済 2011年1月8日号
  • 週刊東洋経済 2010年4月3日号
  • 週刊東洋経済 2012年4月14日号
  • 週刊東洋経済 2014年4月19日号
  • 週刊東洋経済 2019年1月12日号
  • 日本経済新聞(2020年6月11日)
  • 週刊東洋経済 2021年11月6日号
  • 週刊東洋経済 2024年8月3日号
  • Business Insider Japan(2023年12月27日)
  • 週刊東洋経済 2021年6月19日号
  • 週刊東洋経済 2026年5月2日号
  • 週刊東洋経済 2025年6月28日号
  • 週刊東洋経済 2023年4月22日号

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