サンリオ

の歴史

創業

1960年

創業者

辻信太郎

創業地

山梨県

直近売上高(2026/3)

1,941億円

長期業績と転換点(1961/7〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1974年に、サンリオは他社IPに頼らず自社キャラクターのハローキティへ進んだのか
A 設立直後に韓国向け絹輸出で資本金の5倍にあたる500万円の不渡りを掴み、百貨店の入口で雑貨を直接売って3カ月で返したとき、辻信太郎氏は商品そのものより売り方と売り場が利益を生むこと、贈り物には付加価値が乗ることを学んだ。利益の源泉が商品ではなく権利と売場にあるなら、自社で握れるキャラクターを持つほど取り分が増す。1960年に山梨シルクセンターとして始めた会社は、絹からギフト雑貨へ移り、米国スヌーピーのライセンス取得で他社IPに依存する限界を見たのち、1974年に制作室の20代女性社員がハローキティを生み出して自社IPのライセンス供与へ広げた
Q なぜ2009年に、サンリオは物販を切り離して海外ライセンス中心へ収益構造を組み替えたのか
A テーマパーク投資とバブル期の財テクの損失が重なり、1991年3月期から8期連続の最終赤字、累計1010億円、自己資本比率3%まで追い込まれた経験は、在庫を抱える物販ではこうした穴を埋めきれないことを示した。物販は利益率が高くないうえブームが去れば在庫過多と値崩れを抱える一方、権利使用料は在庫リスクを負わず利益率が高く、9兆円規模のアパレルなど国内玩具より大きい市場を狙えた。そこでサンリオは2009年から海外でのライセンス事業を強め、同年7月にテーマパーク事業を分割して株式会社サンリオエンターテイメントを設け、在庫を抱えないロイヤリティ収益へ主力を移した
Q なぜ2020年代に、辻朋邦社長はハローキティ依存を脱して複数キャラクター戦略へ転換したのか
A 海外ライセンス収入が9割を占める収益はピークに達して落ち始め、社長就任後に7期連続の減収減益へ陥った。「アナと雪の女王」など競合作が人気を取るとハローキティの陳列棚が一気に替わり、取引先が他社IPへ乗り換える事態が増え、単一キャラクター頼みの脆さが収益を直撃した。そこで辻朋邦氏は2020年の社長就任で「第二の創業」を掲げ、クロミやマイメロディ、シナモロールへ稼ぎを分散する複数キャラクター戦略へ転じた。商品構成比でハローキティは10年前の75%から30%へ下がり、2024年3月期の営業利益は過去最高の269億円に達した

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1960年〜 絹問屋からキャラクタービジネス企業への転身

  1. 1960年株式会社山梨シルクセンターを設立
  2. 1962年ギフト商品の販売を開始
  3. 1967年贈り物用の小型絵本「ギフトブック」シリーズを発刊、出版物の企画・販売を開始
  4. 1969年グリーティングカードの企画販売を開始
  5. 1970年本社を東京五反田に移転
  6. 1974年ハローキティを企画
  7. 1974年自社開発キャラクター(動物・人物等)を使ったソーシャル・コミュニケーション・ギフト商品を発売

サンリオの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

不渡500万円から始まったギフト商品への転身

辻信太郎氏は1927年12月に山梨県で生まれ、1947年に桐生工業専門学校(現群馬大学)を卒業して山梨県庁へ入庁した。県庁職員として外郭団体の業務に関わるなかで、県の特産品であった絹製品の販路拡大に着目した。1960年8月、県庁を退職し、外郭団体を株式会社化するかたちで山梨シルクセンターを資本金100万円で設立、自ら代表取締役社長に就いて絹製品の販売業務を始めた。出資者には県知事や副知事が名を連ね、県職員時代の人脈がそのまま資本政策の基盤となった。社名に「山梨」を冠した点には、県の特産品振興という公的な色彩が初期から濃く出ている。地方の物産会社として滑り出した会社は、この後首都圏のギフト雑貨企業へと姿を変えた。設立まもなく、韓国向け絹製品の輸出取引で500万円の不渡手形を掴んだ。資本金の5倍にあたる債務を抱え、倒産寸前に追い込まれた。 [1][2][3][4][5]

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]創業者は辻信太郎(県庁職員から起業)
    • [5]1960年8月 株式会社山梨シルクセンターを設立
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
    • [2]辻信太郎は1927年12月山梨県生まれ、1947年に桐生工業専門学校(現群馬大学)を卒業
    • [4]1960年8月に山梨県庁を退職し、自ら代表取締役社長に就いて山梨シルクセンターを設立
  • 日経ビジネス 1977年7月18日号
    • [3]同事実は1977年7月18日号のプロフィール欄でも「昭和2年12月山梨県生まれ」「22年桐生高工(現群馬大学)卒業後、山梨県庁入り」として裏付けられる

辻は百貨店の入口付近で雑貨を売る路上物販に活路を求めた。問屋価格と小売価格に約3倍の差があるとみて中間流通を省き、消費者に直接売る形でわずか3カ月で債務を完済した。この経験は辻に2つの教訓を残した。ひとつは商品そのものよりも売り方と売り場が利益を生むという認識であり、もうひとつは贈り物として選ばれる商品には付加価値がつくという発見であった。祖業の絹製品輸出からギフト商品の企画販売へ、事業軸の入れ替えがここで起きた。1962年にギフト商品の企画を本格化し、1967年には贈り物用の小型絵本「ギフトブック」シリーズを発刊して出版事業にも進出した。当時取引していた第一銀行馬喰町支店長は辻の事業を「大企業になるよりも松下電器に入社して社長になる方がやさしい」と評しつつ、「大企業に飛躍する確率があるとすれば辻さんの会社だろう」と0.01%の可能性を口にしていたという。 [6][7]

  • 日経ビジネス 1977年7月18日号
    • [6]1962年(昭和37年)当時、取引先の第一銀行馬喰町支店長が辻の事業について大企業に飛躍する確率を0.01%と評した逸話(辻信太郎本人談)
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1967年12月 贈り物用の小型絵本「ギフトブック」シリーズを発刊し出版物の企画・販売を開始
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]創業者は辻信太郎(県庁職員から起業)
    • [5]1960年8月 株式会社山梨シルクセンターを設立
    • [7]1967年12月 贈り物用の小型絵本「ギフトブック」シリーズを発刊し出版物の企画・販売を開始
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
    • [2]辻信太郎は1927年12月山梨県生まれ、1947年に桐生工業専門学校(現群馬大学)を卒業
    • [4]1960年8月に山梨県庁を退職し、自ら代表取締役社長に就いて山梨シルクセンターを設立
  • 日経ビジネス 1977年7月18日号
    • [3]同事実は1977年7月18日号のプロフィール欄でも「昭和2年12月山梨県生まれ」「22年桐生高工(現群馬大学)卒業後、山梨県庁入り」として裏付けられる
    • [6]1962年(昭和37年)当時、取引先の第一銀行馬喰町支店長が辻の事業について大企業に飛躍する確率を0.01%と評した逸話(辻信太郎本人談)

スヌーピー依存を脱した自社IP路線

1971年に新宿に直営店「ギフトゲート」を出店した。資本金2000万円に対し手付金2億円という規模の投資で、オイルショック下でも年率350%の成長を記録し、業界では「サン・リオ旋風」と呼ばれた。1973年4月に社名を株式会社サンリオへ改称し、同年10月には、グリーティングカード事業の拡大に備えて1969年12月に別会社として設立していたサンリオグリーティング株式会社と、事業統合のため合併した。米国のスヌーピーのライセンス取得を通じて、他社キャラクターの使用権に依存する限界を辻は認識した。自社IPの開発に舵を切り、1974年に制作室の20代女性社員がハローキティを生み出し、ソーシャル・コミュニケーション・ギフト商品として発売した。 [8][9][10][11][12]

  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
    • [8]1969年12月 サンリオグリーティング株式会社を別会社として設立(1973年10月に合併される前の設立事実)
  • 日経ビジネス 1977年7月18日号
    • [9]同事実は1977年7月18日号のプロフィール欄でも「44年サンリオ・グリーティングを設立」として裏付けられる
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1973年4月 社名を株式会社サンリオへ改称
    • [11]1973年10月 グリーティングカード事業統合のためサンリオグリーティング株式会社と合併
    • [12]1974年にハローキティを生み出し発売

辻信太郎氏自身はハローキティを当初愛嬌に乏しく動きの少ないキャラクターとみなしていたが、試験的に店頭へ並べた小物が予想外の売れ行きを示した。1976年4月から自社開発キャラクターを他社製品に使わせるライセンス供与を始め、同年5月には米国サンノゼに子会社を設けて海外販売にも乗り出した。商品種類数は3124種に達し、キャラクター商品の裾野は短期間で広がった。次々と新しいキャラクターを生み出す体制も並行して整え、デザイナーとプランナーをそれぞれ70人前後抱えて毎年2000種を超える案を生み、小売店でのテスト販売を経て好成績の商品だけを本格展開する仕組みを作った。 [13][14][15]

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1976年4月 自社開発キャラクターのライセンス供与(使用許諾提携業務)を開始
    • [14]1976年5月 米国サンノゼに子会社Sanrio, Inc.を設立し海外販売を開始
  • 日経ビジネス 1976年8月30日号
    • [15]デザイナーとプランナーをそれぞれ70人前後抱え、毎年2000種を超えるキャラクター案を生み出す体制を整えた

全国125店の販売店と直営店10店舗からなる、問屋を介さない直接販売網を築き、隔週発行の会員紙「いちご新聞」は発行部数18万部に達した。1974年12月には米国ロサンゼルスに映画製作の子会社サンリオ・フィルム米国も設立し、物販にとどまらないキャラクター展開を試みた。1982年4月の東証2部上場時点でロイヤリティ収入は売上高の2%にとどまったが、物販を超える成長余地を持つライセンス事業の種はすでに撒かれていた。テーマパークなど娯楽施設への投資が経営の主題に浮上するのは、上場の翌年からである。 [16][17][18]

  • 日経ビジネス 1976年8月30日号
    • [16]全国125店の販売店と直営店10店舗による直接販売網、会員紙「いちご新聞」発行部数18万部
    • [17]1974年12月 米国ロサンゼルスに映画製作子会社サンリオ・フィルム米国(Sanrio Film Corporation of America)を設立
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1982年4月 東京証券取引所市場第二部に上場
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
    • [8]1969年12月 サンリオグリーティング株式会社を別会社として設立(1973年10月に合併される前の設立事実)
  • 日経ビジネス 1977年7月18日号
    • [9]同事実は1977年7月18日号のプロフィール欄でも「44年サンリオ・グリーティングを設立」として裏付けられる
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1973年4月 社名を株式会社サンリオへ改称
    • [11]1973年10月 グリーティングカード事業統合のためサンリオグリーティング株式会社と合併
    • [12]1974年にハローキティを生み出し発売
    • [13]1976年4月 自社開発キャラクターのライセンス供与(使用許諾提携業務)を開始
    • [14]1976年5月 米国サンノゼに子会社Sanrio, Inc.を設立し海外販売を開始
    • [18]1982年4月 東京証券取引所市場第二部に上場
  • 日経ビジネス 1976年8月30日号
    • [15]デザイナーとプランナーをそれぞれ70人前後抱え、毎年2000種を超えるキャラクター案を生み出す体制を整えた
    • [16]全国125店の販売店と直営店10店舗による直接販売網、会員紙「いちご新聞」発行部数18万部
    • [17]1974年12月 米国ロサンゼルスに映画製作子会社サンリオ・フィルム米国(Sanrio Film Corporation of America)を設立

1983年〜 テーマパーク開園と財テクがもたらした代償

  1. 1983年西独ハンブルク市に子会社Sanrio GmbH(現・連結子会社)を設立、欧州でソーシャル・コミュニケーション・ギフト商品の輸入販売を開始
  2. 1984年東京証券取引所市場第一部に指定替え
  3. 1987年複合文化施設運営会社、株式会社サンリオ・コミュニケーション・ワールド(1999年8月にサンリオピューロランドへ社名変更、2010年3月清算)を設立
  4. 1988年大型文化施設「ハーモニーランド」(大分県速見郡日出町)の運営管理会社、株式会社ハーモニーランド(2010年3月清算)の設立に出資
  5. 1990年サンリオピューロランドを開園
  6. 1991年株式投資に失敗。8期連続の最終赤字へ
  7. 2000年株式単位を1,000株から100株に引き下げ、東証の売買単位も100株に変更

サンリオの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

ピューロランド開園から8期連続最終赤字への転落

1984年1月に東証1部への指定替えを果たし、資本市場での信用力を高めたサンリオは、キャラクターの体験拠点としてのテーマパーク構想に踏み込んだ。1987年に運営子会社を設け、1990年12月に東京都多摩市にサンリオピューロランドを開園した。翌1991年4月には大分県にハーモニーランドも開業し、屋内型と屋外型の2つを擁する体制となった。物販とライセンスの二本柱に、テーマパークという第三の柱を加える構想であった。だがピューロランドの開園はバブル崩壊の直後と重なった。ピューロランドの設備投資に加え、バブル期に膨らませた株式投資の損失が重くのしかかった。サンリオは崩壊後も株価の回復を見込んで財テクを続け、売却の機を逸した。 [19][20][21][22]

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1984年1月 東京証券取引所市場第一部に指定替え
    • [20]1987年 ピューロランド運営子会社(サンリオ・コミュニケーション・ワールド)を設立
    • [21]1990年12月 東京都多摩市にサンリオピューロランドを開園
    • [22]1991年4月 大分県にハーモニーランドを開業

1991年3月期から1998年3月期まで8期にわたり最終赤字が続き、累計赤字は1010億円に達した。キャラクタービジネスの営業利益では財テクによる損失を吸収しきれず、1998年3月期の自己資本比率はわずか3%まで低下した。債務超過寸前という財務状況のなかで、メインバンクとの関係維持と保有資産の売却による資金繰り確保が経営の最優先課題となった。バブル期の過大な投資判断による代償は、本業のキャラクター事業の収益力では到底補えない規模に膨らんでいた。テーマパーク開園の翌年から財テク損失処理の十年が始まる構図であり、本業の手綱を握り直す前に金融損失の後始末に追われた。本業の収益でこの穴を埋めきるまで、財務の再建には長い時間を要した。 [23][24]

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1991年3月期から1998年3月期まで8期連続で最終赤字、累計赤字1010億円
    • [24]1998年3月期の自己資本比率は3%まで低下(債務超過寸前)
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1984年1月 東京証券取引所市場第一部に指定替え
    • [20]1987年 ピューロランド運営子会社(サンリオ・コミュニケーション・ワールド)を設立
    • [21]1990年12月 東京都多摩市にサンリオピューロランドを開園
    • [22]1991年4月 大分県にハーモニーランドを開業
    • [23]1991年3月期から1998年3月期まで8期連続で最終赤字、累計赤字1010億円
    • [24]1998年3月期の自己資本比率は3%まで低下(債務超過寸前)

ハローキティブームによる起死回生と再低迷

1998年から2000年にかけてデザインを刷新したハローキティが、高校生を中心とする若年女性のブームとなった。キティグッズの売れ行きでサンリオの売上高は短期間で拡大し、財テクで毀損した自己資本比率も改善に転じた。ぎりぎりの3%からの回復は、単一キャラクターの市場牽引力の大きさをあらためて示した一方、収益の柱がこの一頭立ての構造に偏った危うさも併せて浮かび上がらせた。1992年には台湾、1998年には韓国にそれぞれ子会社を設けてアジアでの事業基盤を整え、キャラクター人気の地理的な広がりを収益に結ぶ体制づくりに乗り出した。アジア各地での販売網は、後に海外ライセンス事業を支える土台となった。 [25][26][27]

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [25]1998年から2000年にかけて若年女性のハローキティブームが起きた
    • [26]1992年に台湾(台北)に子会社を設立
    • [27]1998年に韓国に子会社Sanrio Korea Co., Ltd.を設立

ただしブームの熱は長く続かなかった。2000年をピークにサンリオの売上は再び下降に転じ、2000年代を通じて業績は不安定であった。ハローキティのブーム時に積み上がった在庫過多や値崩れの問題が物販チャネルで顕在化した。2009年からは海外でのライセンス事業の強化に活路を求め、同年1月にドイツでライセンス子会社を設立した。同年7月にはテーマパーク事業を会社分割して株式会社サンリオエンターテイメントを設立し、運営体制も再編した。物販中心の収益構造からロイヤリティ収入を軸とするライセンスモデルへの転換が、中長期の経営課題となった。 [28][29][30]

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [28]2000年をピークに売上が再び下降(2000年代を通じて業績不安定)
    • [29]2009年1月 ドイツにライセンス子会社Sanrio License GmbHを設立
    • [30]2009年7月 テーマパーク事業を会社分割し株式会社サンリオエンターテイメントを設立
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [25]1998年から2000年にかけて若年女性のハローキティブームが起きた
    • [26]1992年に台湾(台北)に子会社を設立
    • [27]1998年に韓国に子会社Sanrio Korea Co., Ltd.を設立
    • [28]2000年をピークに売上が再び下降(2000年代を通じて業績不安定)
    • [29]2009年1月 ドイツにライセンス子会社Sanrio License GmbHを設立
    • [30]2009年7月 テーマパーク事業を会社分割し株式会社サンリオエンターテイメントを設立

2001年〜 海外ライセンス拡大とIPポートフォリオの再構築

  1. 2001年香港に子会社Sanrio Wave Hong Kong Co., Ltd.(現・連結子会社)を設立
  2. 2003年中国の商品製造強化と販売体制確立のため、上海市に子会社三麗鴎(上海)国際貿易有限公司(現・連結子会社)を設立
  3. 2009年海外成長戦略を公表
  4. 2009年サンリオ・サンリオピューロランド・ハーモニーランド3社のテーマパーク事業を会社分割し、株式会社サンリオエンターテイメント(現・連結子会社)を設立
  5. 2011年英国にSanrio Global Ltd.を設立、同社を通じMister Men Ltd.、Mister Films Ltd.、THOIPの全株式を取得
  6. 2016年鳩山玲人氏が退社し、辻家による経営に回帰
  7. 2018年米国と欧州で不振

サンリオの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

ロイヤリティ収入で支える財テク後の財務再建

2000年代後半から2010年代にかけて、サンリオはハローキティを軸とする海外ライセンス事業の拡大に注力した。2003年に上海に子会社を設けて中国市場へ参入し、2005年には香港にアジア地域の商品供給拠点を集約した。2011年12月には英国のキャラクター事業会社ミスターメンの全株式を取得し、欧州でのキャラクターポートフォリオを補強した。北米ではSanrio, Inc.を通じたライセンス供与が伸び、物販に依存しないロイヤリティ収入の比率が上昇した。在庫リスクを負わないライセンスモデルへの移行は、財テク時代の教訓を踏まえた財務体質の改善と表裏一体の戦略であった。物販の在庫負担を切り離してロイヤリティ収益を中心に据える方向へ、収益構造の重心が移った。 [31][32][33][34]

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [31]2003年に上海に子会社を設立し中国市場へ参入
    • [32]2005年に香港にアジア地域の商品供給拠点を集約(Sanrio Asia Merchandise)
    • [33]2011年12月 英国のキャラクター事業会社ミスターメン(Mister Men Ltd.)の全株式を取得
    • [34]北米はSanrio, Inc.を通じたライセンス供与

2010年代半ばには米国と欧州でのライセンス収入が伸び悩み、海外での成長戦略は踊り場に入った。海外事業を牽引していた鳩山玲人氏が退社し、辻家による経営へ回帰するなかでグローバル展開の推進力は一時低下した。一方でサンリオピューロランドは2010年代後半からSNSを通じたキャラクター認知の拡大や訪日観光客の増加に支えられて入場者数が回復し、テーマパークの存在感を取り戻した。テーマパークはキャラクターの世界観を体験できる拠点としてブランド価値の維持に寄与した。集客が景気や季節の波に左右される事業特性は依然として変わらなかった。 [35]

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [35]海外事業を牽引していた鳩山玲人氏が退社し、辻家による経営に回帰
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [31]2003年に上海に子会社を設立し中国市場へ参入
    • [32]2005年に香港にアジア地域の商品供給拠点を集約(Sanrio Asia Merchandise)
    • [33]2011年12月 英国のキャラクター事業会社ミスターメン(Mister Men Ltd.)の全株式を取得
    • [34]北米はSanrio, Inc.を通じたライセンス供与
    • [35]海外事業を牽引していた鳩山玲人氏が退社し、辻家による経営に回帰

60年経営からの世代交代と「第二の創業」

創業者の辻信太郎氏は1960年の設立以来60年にわたり経営の最前線に立ってきたが、2010年代後半から後継体制の構築が経営上の重要課題に浮上した。2020年6月、孫の辻朋邦氏が35歳で代表取締役社長に就任し、辻信太郎氏は代表取締役会長に退いた。当時の上場企業の社長としては最も若い部類で、創業家3代目への承継を内外へ印象づける人事となった。創業以来初の社長交代は、同族経営を維持しつつも本格的な世代交代へ踏み込む選択であった。辻朋邦氏は就任当初から「第二の創業」を掲げ、キャラクタービジネスの構造改革に着手する方針を発表した。2022年には辻信太郎氏が94歳で役職を退き、名誉会長として経営の第一線から離れた。 [36][37][38][39]

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [36]創業者の辻信太郎は1960年の設立以来60年にわたり経営の最前線に立った
    • [37]辻朋邦が代表取締役社長に就任、辻信太郎は代表取締役会長に退いた(社長交代自体は ceo_csv で FY19 起点を確認)
    • [38]2022年に辻信太郎が94歳で役職を退き名誉会長へ
    • [39]辻朋邦は就任当初から「第二の創業」を掲げた

辻朋邦氏が行った改革の柱は、ハローキティへの一極集中からの脱却とキャラクターポートフォリオの分散である。シナモロールやポムポムプリンなど既存キャラクターの再活性化に加え、毎年のキャラクター大賞投票を通じてファンとの双方向の関係づくりを行った。デジタルコンテンツやコラボレーション企画による認知拡大にも注力し、従来の物販チャネルに頼らない接点を増やした。これらは新たな経営体制のもとで、従来の延長線上にはない戦略を志向するものとなった。ライセンス収入比率の上昇に伴う在庫リスクの低減も、財テク後の財務改善路線と同じ方向で進んだ。

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [36]創業者の辻信太郎は1960年の設立以来60年にわたり経営の最前線に立った
    • [37]辻朋邦が代表取締役社長に就任、辻信太郎は代表取締役会長に退いた(社長交代自体は ceo_csv で FY19 起点を確認)
    • [38]2022年に辻信太郎が94歳で役職を退き名誉会長へ
    • [39]辻朋邦は就任当初から「第二の創業」を掲げた

サンリオの沿革1960〜2023年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
辻信太郎株式会社山梨シルクセンターを設立★★★
辻信太郎ギフト商品の販売を開始★★
辻信太郎贈り物用の小型絵本「ギフトブック」シリーズを発刊、出版物の企画・販売を開始★★
辻信太郎グリーティングカードの企画販売を開始★★
辻信太郎本社を東京五反田に移転★★
辻信太郎関連会社の事業統合のため、サンリオ電機工業株式会社と合併
辻信太郎商号を株式会社サンリオに変更
辻信太郎グリーティングカード事業統合のため、サンリオグリーティング株式会社と合併
辻信太郎自社開発キャラクター(動物・人物等)を使ったソーシャル・コミュニケーション・ギフト商品を発売★★
辻信太郎ハローキティを企画★★★
辻信太郎ロサンゼルスに子会社Sanrio Film Corporation of America(1989年Sanrio,Inc.へ吸収合併)を設立、映画製作配給を開始
辻信太郎自社キャラクターのライセンス供与を開始★★
辻信太郎自社開発キャラクターのライセンス供与(使用許諾提携業務)を開始★★
辻信太郎米国サンノゼに子会社Sanrio, Inc.(現・連結子会社)を設立、米国内でソーシャル・コミュニケーション・ギフト商品の輸入販売を開始★★
辻信太郎東京証券取引所第2部に株式上場
辻信太郎西独ハンブルク市に子会社Sanrio GmbH(現・連結子会社)を設立、欧州でソーシャル・コミュニケーション・ギフト商品の輸入販売を開始★★
辻信太郎東京証券取引所市場第一部に指定替え★★★
辻信太郎株式会社ココロ(現・連結子会社)を設立
辻信太郎東京都品川区大崎のTOC大崎ビルディングへ本社移転
辻信太郎ブラジルサンパウロに子会社Sanrio Do Brasil Comersio e Representacoes Ltda.を設立、著作権管理業務を開始
辻信太郎複合文化施設運営会社、株式会社サンリオ・コミュニケーション・ワールド(1999年8月にサンリオピューロランドへ社名変更、2010年3月清算)を設立★★
辻信太郎大型文化施設「ハーモニーランド」(大分県速見郡日出町)の運営管理会社、株式会社ハーモニーランド(2010年3月清算)の設立に出資★★
辻信太郎第29回定時株主総会で事業年度を4月1日〜翌3月31日に変更を決議
辻信太郎株式会社サンリオファーイースト(2024年7月吸収合併)を設立
辻信太郎サンリオピューロランドを開園★★
辻信太郎株式投資に失敗。8期連続の最終赤字へ★★
辻信太郎大分県速見郡日出町に「ハーモニーランド」をオープン★★
辻信太郎台北市に子会社三麗鴎有限公司(2001年2月1日付で株式会社に改組、三麗鴎股份有限公司へ名称変更。現・連結子会社)を設立
辻信太郎香港に子会社Sanrio(Hong Kong) Co., Ltd.(現・連結子会社)を設立
辻信太郎自己資本比率3%。債務超過寸前へ★★
辻信太郎大韓民国に子会社Sanrio Korea Co., Ltd.(現・連結子会社)を設立
辻信太郎高校生の間でハローキティがブーム。大幅増収へ★★
辻信太郎株式単位を1,000株から100株に引き下げ、東証の売買単位も100株に変更★★★
辻信太郎香港に子会社Sanrio Wave Hong Kong Co., Ltd.(現・連結子会社)を設立
辻信太郎中国の商品製造強化と販売体制確立のため、上海市に子会社三麗鴎(上海)国際貿易有限公司(現・連結子会社)を設立★★
辻信太郎アジア地域の商品供給集約のため、香港にSanrio Asia Merchandise Co., Ltd.(2016年12月清算)を設立
辻信太郎ドイツにSanrio License GmbH(2011年1月にSanrio GmbHへ吸収合併)を設立
辻信太郎海外成長戦略を公表★★
辻信太郎サンリオ・サンリオピューロランド・ハーモニーランド3社のテーマパーク事業を会社分割し、株式会社サンリオエンターテイメント(現・連結子会社)を設立★★
辻信太郎株式会社サンリオピューロランド・株式会社ハーモニーランドを清算
辻信太郎英国にSanrio Global Ltd.を設立、同社を通じMister Men Ltd.、Mister Films Ltd.、THOIPの全株式を取得★★
辻信太郎香港にSanrio Global Asia Ltd.(現・連結子会社)を設立
辻信太郎東京都品川区大崎のゲートシティ大崎ビルに本社事務所を移転(本店所在地は変更なし)
辻信太郎チリにSanrio Chile SpA.(現・連結子会社)を設立
辻信太郎米国ウィルミントンにSanrio Media & Pictures Entertainment, Inc.(2016年12月清算)を設立
辻信太郎鳩山玲人氏が退社し、辻家による経営に回帰★★
辻信太郎米国と欧州で不振★★
辻朋邦辻朋邦氏が代表取締役社長に就任★★★
辻朋邦Avex Asia Pte. Ltd.と合弁会社SANRIO SOUTHEAST ASIA PTE. LTD.(現・連結子会社)を設立★★
辻朋邦東京証券取引所の市場区分見直しに伴い、市場第一部からプライム市場へ移行
辻朋邦物販とテーマパークの需要回復。大幅増収へ★★
出典・参考
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
  • 日経ビジネス 1977年7月18日号
  • 日経ビジネス 1976年8月30日号
  • VIPOアカデミー(2023年11月)

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