サンリオ の歴史

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前身・山梨シルクセンターと辻信太郎氏

創業 1960年
創業者 辻信太郎
創業地 山梨県
創業 1960年8月、辻信太郎氏が山梨県庁を辞して東京日本橋で山梨シルクセンターを設立
1960年8月、辻信太郎氏が山梨県庁を辞して東京日本橋で山梨シルクセンターを設立した。資本金100万円、商いは絹織物製品と菓子容器の仕入販売で、1961年7月期の単体売上高は0.24億円にとどまる。辻氏は1927年12月に山梨県で生まれ、桐生工業専門学校の化学工業学科を出て1949年から県庁に勤めていた。取扱いは台所・食卓用品や文具へ広がり、1960年代半ばにはそれらの商品へいちごや人間の図柄を載せている。1967年12月に贈り物用の小型絵本"ギフトブック"、1969年12月にグリーティングカードを加え、単体売上高は1969年7月期に7.05億円へ伸びた。ただしこの時期に売った図柄は他社から借りたもので、権利は手元に無かった。
決断 借りていた図柄を自社で作り、貸す側へ回った。1974年2月に自社で開発した図柄の
借りていた図柄を自社で作り、貸す側へ回った。1974年2月に自社で開発した図柄の贈り物商品を発売し、1976年4月には自社デザインを他社製品へ使わせる使用許諾提携業務を開始した。製造部門は一切持たず、約470社の外注先が作る製品へ図柄を載せる形である。並行して1972年10月にサンリオ電機工業を合併し、1973年4月に社名をサンリオへ改め、同年10月にはグリーティングカードの会社も吸収して、販売先を卸売から百貨店・量販店へ広げた。単体売上高は1973年7月期の18.6億円から1977年7月期の322億円へ伸びている。同じ組み替えは46年後にも起きた。2020年7月に創業者から孫の辻朋邦氏へ60年ぶりに社長を交代し、ハローキティ一本だった収益を複数のキャラクターへ分けている。
現況 1999年に作った売上の最高記録を、27年かけて更新した。2026年3月期の連結
1999年に作った売上の最高記録を、27年かけて更新した。2026年3月期の連結売上高は1,941億円、営業利益は779億円で、利益率は40%に達した。5年前は売上410億円・営業損失33億円である。地域別では日本が売上1,136億円・利益538億円、アジアが381億円・163億円、北米が276億円・98億円で、アジアは前期の234億円から1年で6割伸びた。かつての記録は、総資産の約半分にあたる1,500億円を株式で運用しながら作ったものである。1991年3月期から8期続いた最終赤字の累計は1,010億円に達し、2002年9月に辻信太郎社長が42年続けた運用の中止を決めた。本業の外へ置いた余資を引き上げたことが、売上ではなく利益率で記録を作る会社へ変えた。
競合 同じ図柄の会社ではなく、映画を持つ会社と棚を争ってきた。2014年3月期の海外売
同じ図柄の会社ではなく、映画を持つ会社と棚を争ってきた。2014年3月期の海外売上高は9割超をハローキティが占めている。ライセンス先を選ばずに量を追った北米ではキティが廉価なモチーフとなり、2013年公開の"アナと雪の女王"が当たると量販店の陳列棚から商品が消えた。作品を持たない図柄は、映像で更新される作品に棚を明け渡す。IP軸戦略へ移ったバンダイナムコは一つの作品を玩具とゲームと映像の三つの売り場へ同時に流し、ディズニーと独占ライセンス契約を締結したオリエンタルランドは米国の作品の使用権を長期で押さえて土地に据えた。サンリオはそのどちらも採らず、貸す相手を絞る側へ回っている。量を追う許諾から相手を選ぶ許諾へ改めたことが、2024年3月期の海外売上高に占めるキティの比率を5割まで下げた。
長期業績の推移 1961〜2026年
サンリオ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

第1章 1960年〜 絹織物の仕入販売からキャラクタービジネス企業への転身

1960年〜山梨の物産会社が贈り物商品へ移るまで

辻信太郎氏は1927年12月に山梨県で生まれ、1947年に桐生工業専門学校(現群馬大学)化学工業学科を卒業したのち、1949年12月に山梨県庁へ入庁した。1960年8月、辻信太郎氏は山梨県庁を退職して株式会社山梨シルクセンターを設立し、代表取締役社長に就任した。本店は東京日本橋に置き、絹織物製品や菓子容器のデザイン、商品企画、その販売を目的に掲げたが、設立時の資本金は100万円、1961年7月期の単体売上高は0.24億円にとどまった。当初の商いは絹織物製品と菓子容器の仕入販売であり、取扱商品はその後、台所・食卓用品や文具類へ広がった。1960年代半ばには、山梨シルクセンターはそれらの商品へいちごや人間の図柄を載せ、後に主力となる贈り物商品の中身をつくった。

  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
    • [1]辻信太郎は1927年12月7日山梨県生まれ
    • [2]1947年桐生工業専門学校(現群馬大学)化学工業学科卒業、1949年12月山梨県庁入庁
    • [3]1960年8月に山梨県庁を退職し、山梨シルクセンターを設立して代表取締役社長に就任
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1960年8月 辻信太郎が株式会社山梨シルクセンターを設立
  • 証券 1982年34(5)(398)
    • [5]昭和35年8月に㈱山梨シルクセンターを東京日本橋に設立。目的は絹織物製品・菓子容器などのデザイン、商品企画及び販売
    • [6]昭和35年8月10日の設立時資本金は1,000千円(100万円)
    • [8]設立当時は絹織物製品・菓子容器の仕入販売で、その後取扱い商品を台所・食卓用品、文具類などに拡大
    • [9]商品にいちご、人間などの図柄(キャラクター)を使用し、ギフト商品事業の基礎作りが昭和40年前半に行われた
  • サンリオの奇跡(1982)
    • [7]1961年7月期の単体売上高0.24億円

創業2年目の1962年、第一銀行馬喰町支店長は辻信太郎社長に、大企業を目指すより松下電器に入って社長を狙うほうが早いと言い、取引先で大企業となる会社は99.99%は望めないが、残る0.01%に賭けるならこの会社だと続けたと、社長は同じインタビューで振り返っている。品ぞろえを贈り物へ寄せた背後には、社長ならではの商いの見立てがあった。扱う品は1967年12月の小型絵本"ギフトブック"の出版、1969年12月のグリーティングカード企画販売と広がり、単体売上高も1962年7月期の0.37億円から1969年7月期には7.05億円に増えた。

  • 日経ビジネス 1977年7月18日号
    • [10]1962年に第一銀行馬喰町支店長から言われた言葉を辻信太郎が回想
    • [11]支店長は、自分の支店の取引先から大企業に飛躍するケースが出るのは99.99%だめだろうが0.01%の確率があるとすれば辻の会社だろうと付け加えたという(辻信太郎談)
    • [12]辻信太郎は、物ではなく物に添う気持ちを売るという発想でサンリオを始めたと語った
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1967年12月 贈り物用の小型絵本「ギフトブック」シリーズを発刊
    • [14]1969年12月 グリーティングカードの企画販売業務を開始
  • サンリオの奇跡(1982)
    • [15]単体売上高は1962年7月期0.37億円、1969年7月期7.05億円

1960年代を通じて山梨シルクセンターの販売先は卸売が中心だったが、1971年12月に新宿区へ直営店を出店し、消費者へ直接売る場を持った。1972年10月には関連会社の事業を統合するためサンリオ電機工業株式会社と合併し、1973年4月に社名を株式会社サンリオへ改めたうえ、同年6月には直営店にレストランを併設した。同年10月、グリーティングカード事業を統合するためサンリオグリーティング株式会社を吸収合併したことで、販売先は卸売ルートに加えて百貨店、量販店、その他の小売店へ及び、単体売上高は1972年7月期の12.6億円から1973年7月期の18.6億円へ伸びた。

  • 証券 1982年34(5)(398)
    • [16]同社の販売先は卸売中心であった
    • [17]昭和46年12月に直営店を新宿区に開設
    • [20]昭和48年6月に直営店に併設してレストランを開設
    • [22]この合併で販売は卸売ルートのほか百貨店、量販店、その他小売店へ拡大し、現在の販売体制を確立した
    • [23]単体売上高は1972年7月期12.6億円、1973年7月期18.6億円
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1972年10月 関連会社の事業を統合するためサンリオ電機工業株式会社と合併
    • [19]1973年4月 社名を株式会社サンリオと改称
    • [21]1973年10月 グリーティングカード事業を統合するためサンリオグリーティング株式会社と合併
参考文献[1]-[23]
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
    • [1]辻信太郎は1927年12月7日山梨県生まれ
    • [2]1947年桐生工業専門学校(現群馬大学)化学工業学科卒業、1949年12月山梨県庁入庁
    • [3]1960年8月に山梨県庁を退職し、山梨シルクセンターを設立して代表取締役社長に就任
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1960年8月 辻信太郎が株式会社山梨シルクセンターを設立
    • [13]1967年12月 贈り物用の小型絵本「ギフトブック」シリーズを発刊
    • [14]1969年12月 グリーティングカードの企画販売業務を開始
    • [18]1972年10月 関連会社の事業を統合するためサンリオ電機工業株式会社と合併
    • [19]1973年4月 社名を株式会社サンリオと改称
    • [21]1973年10月 グリーティングカード事業を統合するためサンリオグリーティング株式会社と合併
  • 証券 1982年34(5)(398)
    • [5]昭和35年8月に㈱山梨シルクセンターを東京日本橋に設立。目的は絹織物製品・菓子容器などのデザイン、商品企画及び販売
    • [6]昭和35年8月10日の設立時資本金は1,000千円(100万円)
    • [8]設立当時は絹織物製品・菓子容器の仕入販売で、その後取扱い商品を台所・食卓用品、文具類などに拡大
    • [9]商品にいちご、人間などの図柄(キャラクター)を使用し、ギフト商品事業の基礎作りが昭和40年前半に行われた
    • [16]同社の販売先は卸売中心であった
    • [17]昭和46年12月に直営店を新宿区に開設
    • [20]昭和48年6月に直営店に併設してレストランを開設
    • [22]この合併で販売は卸売ルートのほか百貨店、量販店、その他小売店へ拡大し、現在の販売体制を確立した
    • [23]単体売上高は1972年7月期12.6億円、1973年7月期18.6億円
  • サンリオの奇跡(1982)
    • [7]1961年7月期の単体売上高0.24億円
    • [15]単体売上高は1962年7月期0.37億円、1969年7月期7.05億円
  • 日経ビジネス 1977年7月18日号
    • [10]1962年に第一銀行馬喰町支店長から言われた言葉を辻信太郎が回想
    • [11]支店長は、自分の支店の取引先から大企業に飛躍するケースが出るのは99.99%だめだろうが0.01%の確率があるとすれば辻の会社だろうと付け加えたという(辻信太郎談)
    • [12]辻信太郎は、物ではなく物に添う気持ちを売るという発想でサンリオを始めたと語った

1974年〜自社キャラクターとライセンス供与への転換

1976年の時点で扱っていたキャラクターのうち、スヌーピーは海外から入ったデザインだった。一方、よく売れたキティちゃんやバニー&マッティは社内で生まれた。自社の図柄に乗り出したのは1974年2月で、動物や人間を描いた自前のデザインを贈答品に付けて売り出したのが始まりである。ハローキティ、マイメロディー、パティアンドジミーなどがその後に続き、キャラクターの数と商品化の幅は広がった。当時の体制は、図案を描く者と企画を立てる者が70人前後ずつで、年に2000件を超えるキャラクターを送り出した。候補は社内の管理職と古参デザイナーがふるいにかけ、小売店で1週間あまり試しに売ったうえで、売れ行きの良かったものだけを本販売に移した。上場のころ、キャラクターの企画開発に就いていたのは総社員の約20%にあたる110名で、1981年7月期のギフト商品は3,124点を数えた。

  • 日経ビジネス 1976年8月30日号
    • [24]「スヌーピー」は輸入デザインだが、「キティちゃん」「バニー&マッティ」などのヒットキャラクターは自社で開発したもの
    • [25]ヒットキャラクターのキティちゃん、バニー&マッティは自社開発
    • [28]デザイナーとプランナーをそれぞれ70人前後抱え、毎年2000件を超えるキャラクターを生み出す
    • [29]社内選別後、小売店での1週間あまりのテスト販売で好成績を上げた商品だけが本格的に販売される
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [26]1974年2月 自社開発によるキャラクター(動物、人間等の図柄)を使用したギフト商品を発売
  • 証券 1982年34(5)(398)
    • [27]昭和49年2月以降、ハローキティ(白い子猫)、マイメロディー(うさぎ)、パティアンドジミー(男女の子供)をはじめ多数のキャラクターを開発し商品化を進めた
    • [30]キャラクターの企画開発には総社員の約20%(110名)に当たる人員を配置
    • [31]昭56.7期のギフト商品の種類は3,124点

1976年4月、サンリオは自社開発キャラクターを他社製品に使わせる使用許諾提携業務を始め、翌5月には米国サンノゼに子会社Sanrio, Inc.を設けて輸入販売に入り、1974年12月に置いた米国ロサンゼルスの映画子会社と合わせ、米国の拠点は二つになった。サンリオは製造部門を一切持たず、約470社の外注先が市販する製品へ自社のキャラクターを付けて仕入れるか、コスト低減のため材料や買入部品を有償あるいは無償で外注先へ支給する形態を採った。単体売上高は1973年7月期の18.6億円から1977年7月期の322億円へ伸び、当期純利益も27.8億円に達した。この急増には、高度成長と所得水準の向上で子供への支出と購買機会が増えたこと、商品選びで美しさなどの装飾的要素が重んじられたこと、1973年のサンリオグリーティング合併で販売ルートが卸売中心から全国の百貨店や量販店へ及んだことが重なる。

  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [32]1976年4月 自社開発デザイン・キャラクターを他社製品に使用させる使用許諾提携業務を開始
    • [33]1976年5月 米国サンノゼに子会社Sanrio, Inc.を設立し輸入販売を開始
    • [34]1974年12月 米国ロサンゼルスに子会社Sanrio Film Corporation of Americaを設立し映画製作・配給業務を開始
  • 証券 1982年34(5)(398)
    • [35]工場などの製造部門を一切所有せず、外注先約470社の市販製品にキャラクターを付けて仕入れる形態
    • [36]キャラクターを付けさせて仕入れるか、あるいはコスト低減のため材料・買入れ部品を有償あるいは無償で外注先に支給するかの形態
    • [37]1977年7月期の単体売上高322億円、当期純利益27.8億円
    • [38]1977年7月期の当期純利益は27.8億円
    • [39]経済の高度成長と所得水準の向上に伴い子供に関する支出が増大し、子供自身の購買機会が増大した
    • [40]商品を購入する際に機能だけでなく美しさなどの装飾的な要素を重視するようになった
    • [41]昭和48年のサンリオグリーティング吸収合併により販売ルートが卸売中心から全国の百貨店、量販店などに拡大した

営業部門は販売ルートの見直しに手をつけていなかった。1977年までは各ルートから十分な受注が入っていたためで、株式会社コクヨなど競業他社の進出も重なり、1978年7月期の単体売上高は347億円と微増に終わった。翌1979年7月期に337億円へ減ったのは、小売店と卸売ルートへの掛率を数パーセント引き下げたことによる。シェアを広げ、百貨店・量販店などで進む店舗見直しの改装費を援助する狙いだった。1980年7月期には、費用と製作日数を費やしたカラーアニメーション映画が配給収入で製作コストを取り戻せず、売上総利益率は28.0%まで下がった。それでも売上高は1980年7月期から増加に転じ、1981年7月期は456億円、うち90.6%をギフト商品が占め、同年には販売店からの在庫問い合わせに答える音声応答装置の導入も決めた。1982年4月、サンリオは東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した

  • 証券 1982年34(5)(398)
    • [42]昭和53年の微増要因は、昭和52年までの各販売ルートからの受注が多く営業サイドが積極的な販売ルートの見直しをしなかったこと、㈱コクヨなどの競業他社が進出してきたこと
    • [43]1978年7月期の単体売上高347億円(昭和53年は微増)
    • [44]1979年7月期の単体売上高337億円(昭和54年は2.9%減少)
    • [45]昭和54年の減少は、シェア拡大及び百貨店、量販店、その他小売店の店舗見直しに伴う改装費用の援助のため小売店・卸売ルートの掛率を数パーセント下げたことによる
    • [46]昭和55年の売上総利益率28.0%は、多額のコストと製作日数を要したカラーアニメーション映画の配給収入が製作コストをカバーできなかったことが主因
    • [47]昭和55年以降は15%以上の増加。昭56.7期売上45,663百万円のうちギフト商品41,389百万円(90.6%)
  • 日経ビジネス 1981年8月24日号
    • [48]全国の販売店からの在庫問い合わせに答える音声応答システムの導入を決定
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [49]1982年4月 当社株式が東京証券取引所市場第二部に上場
参考文献[24]-[49]
  • 日経ビジネス 1976年8月30日号
    • [24]「スヌーピー」は輸入デザインだが、「キティちゃん」「バニー&マッティ」などのヒットキャラクターは自社で開発したもの
    • [25]ヒットキャラクターのキティちゃん、バニー&マッティは自社開発
    • [28]デザイナーとプランナーをそれぞれ70人前後抱え、毎年2000件を超えるキャラクターを生み出す
    • [29]社内選別後、小売店での1週間あまりのテスト販売で好成績を上げた商品だけが本格的に販売される
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
    • [26]1974年2月 自社開発によるキャラクター(動物、人間等の図柄)を使用したギフト商品を発売
    • [32]1976年4月 自社開発デザイン・キャラクターを他社製品に使用させる使用許諾提携業務を開始
    • [33]1976年5月 米国サンノゼに子会社Sanrio, Inc.を設立し輸入販売を開始
    • [34]1974年12月 米国ロサンゼルスに子会社Sanrio Film Corporation of Americaを設立し映画製作・配給業務を開始
    • [49]1982年4月 当社株式が東京証券取引所市場第二部に上場
  • 証券 1982年34(5)(398)
    • [27]昭和49年2月以降、ハローキティ(白い子猫)、マイメロディー(うさぎ)、パティアンドジミー(男女の子供)をはじめ多数のキャラクターを開発し商品化を進めた
    • [30]キャラクターの企画開発には総社員の約20%(110名)に当たる人員を配置
    • [31]昭56.7期のギフト商品の種類は3,124点
    • [35]工場などの製造部門を一切所有せず、外注先約470社の市販製品にキャラクターを付けて仕入れる形態
    • [36]キャラクターを付けさせて仕入れるか、あるいはコスト低減のため材料・買入れ部品を有償あるいは無償で外注先に支給するかの形態
    • [37]1977年7月期の単体売上高322億円、当期純利益27.8億円
    • [38]1977年7月期の当期純利益は27.8億円
    • [39]経済の高度成長と所得水準の向上に伴い子供に関する支出が増大し、子供自身の購買機会が増大した
    • [40]商品を購入する際に機能だけでなく美しさなどの装飾的な要素を重視するようになった
    • [41]昭和48年のサンリオグリーティング吸収合併により販売ルートが卸売中心から全国の百貨店、量販店などに拡大した
    • [42]昭和53年の微増要因は、昭和52年までの各販売ルートからの受注が多く営業サイドが積極的な販売ルートの見直しをしなかったこと、㈱コクヨなどの競業他社が進出してきたこと
    • [43]1978年7月期の単体売上高347億円(昭和53年は微増)
    • [44]1979年7月期の単体売上高337億円(昭和54年は2.9%減少)
    • [45]昭和54年の減少は、シェア拡大及び百貨店、量販店、その他小売店の店舗見直しに伴う改装費用の援助のため小売店・卸売ルートの掛率を数パーセント下げたことによる
    • [46]昭和55年の売上総利益率28.0%は、多額のコストと製作日数を要したカラーアニメーション映画の配給収入が製作コストをカバーできなかったことが主因
    • [47]昭和55年以降は15%以上の増加。昭56.7期売上45,663百万円のうちギフト商品41,389百万円(90.6%)
  • 日経ビジネス 1981年8月24日号
    • [48]全国の販売店からの在庫問い合わせに答える音声応答システムの導入を決定

第2章 1983-1998 (気が向いたら執筆します!) サンリオピューロランドとハーモニーランドの開園、株式投資失敗による連続赤字

第3章 1999-2015 (気が向いたら執筆します!) ハローキティブームと海外ライセンス戦略、テーマパーク再編とミスターメン買収

第4章 2016-2026 (気が向いたら執筆します!) 鳩山玲人の退社と欧米の不振、辻朋邦の社長就任による復活

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歴史年表 1960〜2023年

サンリオの沿革1960〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1960〜1982年絹織物の仕入販売からキャラクタービジネス企業への転身辻信太郎山梨シルクセンターを設立
辻信太郎ギフト商品の販売を開始★★
辻信太郎贈り物用の小型絵本「ギフトブック」シリーズを発刊、出版物の企画・販売を開始
辻信太郎グリーティングカードの企画販売を開始
辻信太郎商号をサンリオに変更
辻信太郎自社開発キャラクターのソーシャル・コミュニケーション・ギフト商品を発売★★
辻信太郎自社キャラクターを版権で稼ぐライセンスモデルの確立

1974年11月、前年に商号をサンリオへ改めたばかりの物販中心の会社が、社内で描かれた一匹の白い子猫を商品に載せた。翌1975年7月期の売上高は91.5億円と前期の46.8億円から倍増し、1976年4月には自社開発デザイン・キャラクターを他社の製品に使わせる使用許諾提携業務を開始する。 自社で生んだ図柄を自社の商品に載せて売り、同じ図柄を他社にも貸して料率で受け取る二階建ての収益構造が、ここで形になった。1976年7月期の売上高は195億円、当期純利益は14.6億円に達している。

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★★★
辻信太郎自社キャラクターのライセンス供与を開始★★
辻信太郎サンノゼにSanrio, Inc.を設立
辻信太郎東京証券取引所第2部に株式上場
1983〜1998年サンリオピューロランドとハーモニーランドの開園、株式投資失敗による連続赤字辻信太郎ココロを設立
辻信太郎複合文化施設運営会社サンリオ・コミュニケーション・ワールドを設立
辻信太郎「ハーモニーランド」運営会社ハーモニーランドの設立に出資
辻信太郎第29回定時株主総会で事業年度を4月1日〜翌3月31日に変更を決議
辻信太郎紙とモノで稼いできた会社が616億円の固定資産を抱えるテーマパーク運営を選んだ判断

1987年11月、東京都多摩市に建設する複合文化施設の運営会社として、全額出資の株式会社サンリオ・コミュニケーション・ワールドを設立した。物流拠点を建てるつもりで押さえていた多摩ニュータウンの用地を、屋内型テーマパークへ振り替える判断である。当初の投資予定額は土地5,000百万円と建物25,000百万円の計30,000百万円。1988年11月に着工し、1990年12月7日に「サンリオピューロランド」として開業した。翌1991年4月には大分県速見郡日出町の「ハーモニーランド」も開いている。

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辻信太郎サンリオピューロランドを開園★★
辻信太郎設備資金の名目で集めた546億円を有価証券で運用した選択

1989年7月13日、1993年満期米貨建分離型新株引受権付社債200,000千米ドル(24,602百万円)を発行した経営判断。1986年7月から1987年4月にかけて発行した無担保転換社債3本300億円と合わせ、社債の発行総額は546億円に達した。いずれも資金使途は設備資金と記されたが、集まった資金の多くは有価証券と特定金銭信託へ向かい、1991年3月末の連結では有価証券106,598百万円と特定金銭信託97,283百万円を抱えた。同じ期の連結売上高1,241億円を上回る規模である。

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辻信太郎株式投資に失敗。8期連続の最終赤字へ★★
辻信太郎「ハーモニーランド」をオープン
1999〜2015年ハローキティブームと海外ライセンス戦略、テーマパーク再編とミスターメン買収辻信太郎高校生の間でハローキティがブーム。大幅増収へ
辻信太郎三麗鴎(上海)国際貿易有限公司を設立
辻信太郎Sanrio Asia Merchandise Co., Ltd.を設立
辻信太郎国内物販で稼ぐ会社から、欧米でロイヤリティを取る会社への組み替え

2009年5月に公表した海外成長戦略は、国内の物販で稼ぐ会社を、欧米でキャラクターの使用許諾料を取る会社へ組み替えるものだった。経営の基軸を売上高指向から利益指向へ転換し、国内外でライセンスビジネスに注力することを基本戦略に据えた。 その前年には他社流通のキャラクター商品の取引形態をロイヤリティ形態へ一本化しており、2009年3月期の売上高は前期比25.7%減の697億円へ減少した一方、営業利益は65億円と前期比0.6%減にとどまった。2008年5月に三菱商事から入社した鳩山玲人氏が欧米のライセンシー開拓を担った。

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辻信太郎Sanrio License GmbH(2011年1月にSanrio GmbHへ吸収合併)を設立
辻信太郎海外成長戦略を公表★★
辻信太郎3社のテーマパーク事業を会社分割しサンリオエンターテイメントを設立
辻信太郎サンリオピューロランド・ハーモニーランドを清算
辻信太郎Mister Men Ltd.・Mister Films Ltd.・THOIPの全株式を取得
2016〜2026年鳩山玲人の退社と欧米の不振、辻朋邦の社長就任による復活辻信太郎鳩山玲人氏が退社
辻信太郎辻家による経営に回帰★★
辻信太郎米国と欧州で不振
辻朋邦創業60年で初のトップ交代と、第二の創業を掲げた構造改革

2020年7月、創業者の辻信太郎氏(92歳)が1960年8月の設立から60年務めた社長を孫の辻朋邦氏(31歳)へ譲り、創業以来初のトップ交代に踏み切った。辻朋邦氏は2014年1月の入社から6年、2017年6月に専務取締役へ就任していた。交代時の役員は13名で、前期の18名から5名が減っている。 翌2021年3月期は1995年以来の営業赤字となり、新体制はこれを「第二の創業」という覚悟で受け止めた中期経営計画(2022年3月期〜2024年3月期)を掲げ、最終年度に営業利益30億円までの反転を目標に置いた。

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★★★
辻朋邦Avex Asia Pte. Ltd.と合弁会社SANRIO SOUTHEAST ASIA PTE. LTD.を設立
辻朋邦ハローキティ一本足のライセンス収益を複数キャラクターへ分散させた収益構造の組み替え

2021年5月、辻朋邦社長は2024年3月期を最終年度とする中期経営計画『未来への創造と挑戦』を公表し、組織風土改革・構造改革の完遂・再成長の種まきを三本柱に据えた。1995年以来の営業赤字を「第二の創業」の覚悟で受け止め、ハローキティ一本に偏った収益を、マイメロディ・クロミ・シナモロールなど複数のキャラクターへ分散させる転換に着手した経営判断。売上総利益に占めるハローキティの比率は計画初年度の2022年3月期に27.7%まで下がり、複数のキャラクターを組み合わせたミックスキャラクターが12.5%へ伸びた。

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辻朋邦プライム市場に移行
辻朋邦物販とテーマパークの需要回復。大幅増収へ
出典・参考 7件
出典・参考
  • サンリオ 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス 1976年8月30日号
  • 日経ビジネス 1977年7月18日号
  • 日経ビジネス 1981年8月24日号
  • 日経ビジネス 1990年7月30日号
  • 証券 1982年34(5)(398)
  • サンリオの奇跡(1982)

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