日立製作所 の歴史

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創業 1910年
創業者 小平浪平
創業地 茨城県多賀郡
創業・決断・現況・競合について
創業
1910年、久原鉱業所日立鉱山付属の修理工場で、小平浪平氏が5馬力の誘導電動機を国産で完成させた。輸入電機の修理を担っていた小平氏は、外国へロイヤリティを払い続けるより同額を自社の研究へ投じるべきだと考え、技術提携を避けてモーターの国産化を自前で進めた。1920年2月に日立・亀戸の両工場を擁して株式会社日立製作所として独立し、翌1921年には日本汽船から笠戸造船所を譲り受けて車両へ広げた。1937年5月には国産工業を吸収合併して戸塚工場など7工場を加え、鉱山付属の修理工場から重電と車両を併せ持つメーカーへ育っている。
決断
危機のたびに、抱えていた事業の構成そのものを入れ替えてきた。一度目は1950年で、60日の生産停止をともなう争議と8,500名の人員整理を経たのち、火力で東芝と三菱重工に後れを取っていた日立は1952年にRCA、1953年にGE、1954年にWEと3年続けて提携し、創業以来40年の国産技術主義を撤回した。テレビ・発電機・半導体の基盤を一括で導入し、1959年には重電で東芝を追い抜いたと業界で認められた。二度目は2009年で、リーマンショック後の2009年3月期に日本の製造業として過去最大の7,873億円の最終赤字を計上すると、子会社の会長から本体へ戻った川村隆氏が増資と社内カンパニー制で不採算事業の売却に着手する。総合電機の品揃えを守る前提をここで外したことが、事業を入れ替える経営を日常に変えた。
現況
現在の日立製作所は総合電機ではなく、エネルギーとITで売上の6割弱を占めている。2026年3月期の連結売上収益は10兆5,868億円、税引前利益は1兆2,731億円で、エナジーが3兆2,008億円、デジタルシステム&サービスが2兆7,566億円を売り上げた。セグメント利益はデジタルシステム&サービスの4,501億円が最も大きい。この形は2016年から続いた親子上場の解体の帰結であり、日立物流・日立化成日立建機・日立金属を売却し、2010年代初めに22社あった上場子会社はほぼ姿を消した。空いた資本は2020年のABBパワーグリッド事業約7,200億円と2021年の米GlobalLogicの約1兆円買収へ充当している。売る側と買う側を同時に動かしたことが、家電まで並べた品揃えを送配電とデジタルの二領域へ絞り込んだ。
競合
同じ総合電機でも、上場子会社を保有し続けるか外すかで10年後の規模が分かれた。戦後に三大メーカーとして並んだ日立製作所・東芝三菱電機のうち、2026年3月期の売上10兆5,868億円は三菱電機の約1.8倍にあたる。差は製品の巧拙よりグループの資本構成の扱いに出た。三菱電機が製作所単位の自治を保ったのに対し、日立は22社の上場子会社を市場とファンドへ渡し、その代金をABBとGlobalLogicの取得へ充当している。東芝も同じ時期に選択と集中を掲げたが、2006年のウェスチングハウス買収が1兆円超の損失に転じ、資産の譲渡が損失の穴埋めに費やされた。売却代金を次の買収へ充当できたかどうかが、現在の規模の差を生んだ。
長期業績の推移 1949〜2026年
日立製作所:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 会社設立の経緯

鉱山の修理工場からの創業と、株式会社としての独立

1908年、久原房之助氏が経営する久原鉱業所の日立鉱山で、工作課長だった小平浪平氏が自社用の電気機械の製造に着手した。当時の電気機械は需要が乏しく、技術と資材の両面から国産化は相当な難事とされていたが、小平氏はこの事業の振興こそ国内産業の発展に寄与すると考えて苦心を重ねた。翌1909年には5馬力の誘導電動機3台を完成させている。1910年には日立鉱山付属の修理工場を開設し、建物130平方メートル・工員5名という規模から出発した。小平氏は、一から十まで輸入に頼っていた電気機械を日本人自らの手で作りたいという念願を抱いていた。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「日立製作所」の項
    • [1]1908年 久原鉱業所日立鉱山の工作課長 小平浪平氏が自社用電気機械の製造に着手
    • [2]電気機械は需要が乏しく技術・資材面から国産化は相当な難事とされた
    • [3]1909年 5馬力誘導電動機3台を完成
  • 日立製作所 有価証券報告書 第156期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1910年 久原鉱業所日立鉱山付属の修理工場として発足
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [5]創業時の修理工場は建物130平方メートル・工員5名
    • [6]小平浪平氏は輸入に頼る電気機械を日本人自らの手で作りたいという念願を抱いていた

修理工場は鉱山内の自家消費にとどまらず、変圧器・電動機・発電機まで製品を広げ、外部からの受注を取り始めた。1911年7月には日立鉱山から分離して久原鉱業所日立製作所となり、一般産業機械の製作に専念する体制へ移っている。1918年10月には佃島製作所を合併して亀戸工場とし、従来の工場を日立工場と改称した。久原房之助氏は電機部門をあくまで鉱山の付帯事業とみて多角化に消極的だったが、小平氏は分離独立を主張し、1920年2月、日立・亀戸の両工場を擁する資本金1000万円の株式会社日立製作所として久原鉱業から独立した。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [7]変圧器・電動機・発電機など一通りの製品を製造開始
    • [10]久原房之助氏は電機部門の多角化に消極的、小平浪平氏が分離独立を主張
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「日立製作所」の項
    • [8]1911年7月 日立鉱山から分離し久原鉱業所日立製作所となる
    • [9]1918年10月 佃島製作所を合併して亀戸工場とし従来の工場を日立工場と改称
    • [12]独立時の資本金1000万円
  • 日立製作所 有価証券報告書 第156期(2025年3月期)【沿革】
    • [11]1920年2月 日立・亀戸の両工場を擁し株式会社日立製作所として独立

独立の翌1921年2月には、経営難に陥っていた日本汽船から笠戸造船所を譲り受けて笠戸工場を開設し、電機メーカーが鉄道車両の製造へ入る事業構成がここから始まった。1926年には米国へ電気扇30台を初めて輸出し、以後の輸出先は中国各地・インド・ビルマ・タイ・近東地域・アフリカ・オーストラリア・南米・ソ連にまで及んだ。1935年5月には共成冷機工業に資本参加して冷凍・空調へ製品を広げ、電動機・発電機・変圧器に鉄道車両と冷熱機器を加えている。

  • 日立製作所 有価証券報告書 第156期(2025年3月期)【沿革】
    • [13]1921年2月 日本汽船より笠戸造船所を譲受し笠戸工場増設
    • [16]1935年5月 共成冷機工業に資本参加
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「日立製作所」の項
    • [14]1926年 米国へ電気扇30台を初輸出
    • [15]輸出先は中国各地・インド・ビルマ・タイ・近東・アフリカ・豪州・南米・ソ連に及んだ
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「日立製作所」の項
    • [1]1908年 久原鉱業所日立鉱山の工作課長 小平浪平氏が自社用電気機械の製造に着手
    • [2]電気機械は需要が乏しく技術・資材面から国産化は相当な難事とされた
    • [3]1909年 5馬力誘導電動機3台を完成
    • [8]1911年7月 日立鉱山から分離し久原鉱業所日立製作所となる
    • [9]1918年10月 佃島製作所を合併して亀戸工場とし従来の工場を日立工場と改称
    • [12]独立時の資本金1000万円
    • [14]1926年 米国へ電気扇30台を初輸出
    • [15]輸出先は中国各地・インド・ビルマ・タイ・近東・アフリカ・豪州・南米・ソ連に及んだ
  • 日立製作所 有価証券報告書 第156期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1910年 久原鉱業所日立鉱山付属の修理工場として発足
    • [11]1920年2月 日立・亀戸の両工場を擁し株式会社日立製作所として独立
    • [13]1921年2月 日本汽船より笠戸造船所を譲受し笠戸工場増設
    • [16]1935年5月 共成冷機工業に資本参加
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [5]創業時の修理工場は建物130平方メートル・工員5名
    • [6]小平浪平氏は輸入に頼る電気機械を日本人自らの手で作りたいという念願を抱いていた
    • [7]変圧器・電動機・発電機など一通りの製品を製造開始
    • [10]久原房之助氏は電機部門の多角化に消極的、小平浪平氏が分離独立を主張

自前の研究所と、戦時下の工場拡張

当時の重化学工業の大企業は海外への技術依存が強く、自主的な研究には力を入れず、日本の大学にも目を向けていなかった。その中で企業として国産技術を強く標榜したのが、大正9年に独立した若い企業である日立製作所だった。1934年3月に日立研究所を新設して製品の質量向上と新製品の増加を図り、1941年には基礎研究のための中央研究所の設置を決めて、翌1942年4月に新設している。小平氏はロイヤリティを支払うのであれば同額を自前の研究に投じるべきだという考えを掲げ、研究機関への投資を続けた。1939年4月には多賀工場を新設し、日立工場から日立研究所を独立させている。

  • 技術開発の昭和史(森谷正規著, 日本経済新聞社, 1986)
    • [17]当時の重化学工業の大企業は海外への技術依存が強く自主的な研究に力を入れなかった
    • [18]企業として国産技術を強く標榜したのは大正9年に独立した若い企業の日立製作所
    • [20]1941年に基礎研究のための中央研究所の設置を決定
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「日立製作所」の項
    • [19]1934年3月 日立研究所を設置
  • 日立製作所 有価証券報告書 第156期(2025年3月期)【沿革】
    • [21]1942年4月 中央研究所新設
    • [23]1939年4月 多賀工場新設、日立工場より日立研究所独立
  • 私の履歴書 経済人12(日本経済新聞社, 1980)
    • [22]小平浪平氏はロイヤリティと同額を自前の研究に投じる方針を掲げた

1937年5月には鮎川義介氏が率いる国産工業を吸収合併し、戸畑・若松・木津川・深川・安来・戸塚・尼崎の7工場と冶金研究所、従業員約4000名を取り込んで特殊鋼部門へ進出した。原材料から完成品に至るまでの一貫生産の態勢がここで整い、製作種類も電気機器・一般機械のほか鉄鋼原材料品・各種通信機械・鉄道車輌関係へ多角化した。以後は軍需に対応して工場の新設と合併を重ね、1940年9月に水戸工場、1943年9月には理研真空工業を吸収合併して茂原工場を増設し、真空管と電球を製品に加えている。1944年3月には亀有工場から清水工場を、同年12月には多賀工場から栃木工場を独立させた

  • 日立製作所 有価証券報告書 第156期(2025年3月期)【沿革】
    • [24]1937年5月 国産工業を吸収合併、戸塚工場など7工場増設
    • [28]1940年9月 水戸工場新設
    • [29]1943年9月 理研真空工業を吸収合併し茂原工場増設
    • [31]1944年3月 亀有工場より清水工場独立、同年12月 多賀工場より栃木工場独立
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「日立製作所」の項
    • [25]国産工業の合併で戸畑・若松・木津川・深川・安来・戸塚・尼崎の7工場を増設
    • [27]国産工業の合併で原材料から完成品に至るまでの一貫生産態勢を確立、製作種類も電気機器・一般機械のほか鉄鋼原材料品・各種通信機械・鉄道車輌関係へ多角化
    • [30]理研真空工業の合併で真空管および電球を製品に加えた
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [26]国産工業は7工場と冶金研究所を有し従業員約4000名

拡張の結果、工場数は18を数え、資本金も数次の増額を経て1944年8月に7億円へ達し、名実ともにわが国屈指のメーカーとして発展するに至った。1939年にはブラジルのマカブ発電所向けに出力3300キロワットの横軸ペルトン水車と容量3750キロボルトアンペアの三相交流同期発電機を受注し、内外の注目を集めた。研究の蓄積も進み、工業所有権は戦後間もない時点で4850件あまりに達し、蒸気タービン、竪軸ペルトン水車、電子廻折装置、極超短波用電子管といった発明を含んでいる。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「日立製作所」の項
    • [32]工場数は18、資本金は1944年8月に7億円
    • [33]1939年 ブラジル・マカブ発電所向けに横軸ペルトン水車と三相交流同期発電機を受注
    • [34]容量3750キロボルトアンペアの三相交流同期発電機を納入
    • [35]工業所有権は4850件あまりに達した
    • [36]蒸気タービン・竪軸ペルトン水車・電子廻折装置・極超短波用電子管などの発明を含む
  • 技術開発の昭和史(森谷正規著, 日本経済新聞社, 1986)
    • [17]当時の重化学工業の大企業は海外への技術依存が強く自主的な研究に力を入れなかった
    • [18]企業として国産技術を強く標榜したのは大正9年に独立した若い企業の日立製作所
    • [20]1941年に基礎研究のための中央研究所の設置を決定
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「日立製作所」の項
    • [19]1934年3月 日立研究所を設置
    • [25]国産工業の合併で戸畑・若松・木津川・深川・安来・戸塚・尼崎の7工場を増設
    • [27]国産工業の合併で原材料から完成品に至るまでの一貫生産態勢を確立、製作種類も電気機器・一般機械のほか鉄鋼原材料品・各種通信機械・鉄道車輌関係へ多角化
    • [30]理研真空工業の合併で真空管および電球を製品に加えた
    • [32]工場数は18、資本金は1944年8月に7億円
    • [33]1939年 ブラジル・マカブ発電所向けに横軸ペルトン水車と三相交流同期発電機を受注
    • [34]容量3750キロボルトアンペアの三相交流同期発電機を納入
    • [35]工業所有権は4850件あまりに達した
    • [36]蒸気タービン・竪軸ペルトン水車・電子廻折装置・極超短波用電子管などの発明を含む
  • 日立製作所 有価証券報告書 第156期(2025年3月期)【沿革】
    • [21]1942年4月 中央研究所新設
    • [23]1939年4月 多賀工場新設、日立工場より日立研究所独立
    • [24]1937年5月 国産工業を吸収合併、戸塚工場など7工場増設
    • [28]1940年9月 水戸工場新設
    • [29]1943年9月 理研真空工業を吸収合併し茂原工場増設
    • [31]1944年3月 亀有工場より清水工場独立、同年12月 多賀工場より栃木工場独立
  • 私の履歴書 経済人12(日本経済新聞社, 1980)
    • [22]小平浪平氏はロイヤリティと同額を自前の研究に投じる方針を掲げた
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [26]国産工業は7工場と冶金研究所を有し従業員約4000名

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歴史年表 1910〜2023年

日立製作所の沿革1910〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1910〜1944年国産技術を旗印に興した電機メーカー修理工場から自前主義で興した国産電機メーカーの始まり

1910年、久原鉱業所日立鉱山の付属修理工場で、東京電燈出身の技術者・小平浪平氏が国産技術による5馬力誘導電動機を完成させた創業。GE・ウェスティングハウスとの技術提携が主流の時代に外国メーカーとの提携を避け、1920年2月に資本金1,000万円の株式会社日立製作所として久原鉱業所から独立した。

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★★★
株式会社日立製作所として独立
笠戸造船所を取得
国産工業を吸収合併・国内工場を拡充★★
1945〜1977年争議による人員整理と、国産技術主義の撤回倉田主税労働組合と対立・約8500名を削減★★
倉田主税海外技術の相次ぐ受け入れと、国産技術主義の撤回

1952年から54年にかけて、日立製作所が米RCA・GE・WEと三年連続で技術提携を締結し、創業以来40年以上掲げた国産技術主義を事実上撤回した経営判断。電源部門を率いた駒井健一郎氏(のちの社長)が主導し、火力発電の技術格差を外部提携で埋めた。

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★★★
倉田主税日立金属・日立電線を設立(子会社分離を開始)★★
倉田主税Hitachi New Yorkを設立
駒井健一郎システム開発を本格化
駒井健一郎日立建設機械製造を分離独立
1978〜2003年半導体と情報への傾斜、そして二度の巨額赤字三田勝茂Hitachi Europe Ltd.を設立
三田勝茂256KB・DRAMの量産を開始
三田勝茂Hitachi Asiaを設立(アジア統括拠点)
金井務家電事業を再編
金井務日立有限公司を設立
庄山悦彦NECと合弁会社を設立(NEC日立メモリを合弁設立)
庄山悦彦最終赤字に転落。2万人の人員削減
庄山悦彦三菱電機と合弁会社を設立(ルネサステクノロジー)
庄山悦彦IBMからHDD事業を買収★★
2004〜2026年巨額赤字を経て、事業を入れ替える経営へ転換した時代古川一夫欧州委員会の納付命令を受け入れず4年8か月争い、棄却されて納付した選択

2007年1月、欧州委員会は日立製作所と関連会社に対して、変電設備に用いるガス絶縁開閉装置(GIS)に関する欧州独占禁止法違反を理由とする課徴金の納付を命令した。日立は違反を認めず、同年4月に欧州第一審裁判所へ課徴金納付命令の取消しを求めて提訴した。 2007年3月期に課徴金の合理的な見積額を引当計上したうえで審理に臨んだが、2011年7月に欧州一般裁判所は訴えを棄却し、同年9月に課徴金が納付された。命令から納付まで4年8か月を要している。

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川村隆製造業最大の赤字を受けて上場子会社を取り込み、事業を絞り込んだ再建

2009年3月期に787,337百万円の当期純損失を計上した日立製作所が、川村隆氏を執行役会長兼執行役社長に迎えて構造改革に踏み切った。オートモティブシステム事業とコンシューマ事業を新設分割で切り出し、事業グループを社内カンパニーへ再編したうえで、上場子会社5社に2,556億円を投じて公開買付けを実施した。 情報通信システム技術で高度化された社会インフラを提供する社会イノベーション事業に設備投資と研究開発を重点配分する、という一点へ経営資源を配分した判断である。

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★★★
川村隆カンパニー制を導入(事業グループ再編)
中西宏明Western DigitalへHDD事業を売却★★
東原敏昭信号のアンサルドSTSと車両アンサルドブレダの事業の取り込みによる欧州大陸への足場づくり

2015年2月、鉄道システムのグローバル市場における競争力の向上のため、信号・運行管理システム事業やプロジェクトの一括請負事業等の強化を目的として、イタリアのFinmeccanica S.p.A.との間で、同社グループの信号システム及び車両事業を買収することに合意した。 取得は2015年11月2日に完了した。得たのは、信号システムの製造や保守運用を手がけるアンサルドSTSの株式のうちフィンメカニカが保有する全株式と、大量輸送用の車両を製造するアンサルドブレダの事業である。対価はいずれも現金で、STS株式が761百万ユーロ(101,184百万円)、ブレダの事業が30百万ユーロ(4,041百万円)であった。

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★★★
東原敏昭合弁関係の清算と、火力発電事業からの全面撤退

2014年2月に三菱重工業と火力発電システム事業を統合してつくった合弁・三菱日立パワーシステムズについて、南アフリカのボイラ建設プロジェクトの譲渡価格をめぐる仲裁を2019年12月18日の和解で終わらせ、保有する全普通株式を三菱重工業へ譲渡した判断。 和解に伴う損失375,967百万円をエネルギーセグメントで計上し、2020年9月1日に株式の移転が完了して火力発電から退いた。

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★★★
東原敏昭英国での原発事業の凍結と、海外原発路線の断念

2019年1月17日、取締役会で英国原子力発電所建設プロジェクトの凍結を決定した。事業継続の上で前提とする資金調達モデルや原子力発電所の建設・運営に関する諸条件について合意に至るには、さらなる時間を要すると判断し、民間企業としての経済合理性の観点から止めた。東原敏昭社長は『資金調達モデルなどの諸条件について合意に至るには、想定以上の時間を要すると判断し、今回、民間企業としての経済合理性の観点から、ホライズンプロジェクトの凍結を決定しました』と、凍結に至った経緯を説明している。 2019年3月期には、本プロジェクトに関連する資産の減損損失277,208百万円を含む事業構造改革関連費用294,613百万円を、社会・産業システムセグメントに計上した。

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★★★
東原敏昭送配電の世界最大手の買収と、エネルギーの柱の火力からの入れ替え

2018年12月17日にABB Ltdと契約を締結し、2020年7月1日、ABB社から分社されたHitachi ABB Power Grids Ltdの株式80.1%を6,850百万米ドル(722,062百万円)で取得した。掲げた目的は、エネルギーソリューション事業のグローバル展開及び強化である。 契約を公表した時点で見込んでいた対価は64億米ドル(約7,103億円)で、実際の支払額はこれを上回った。あわせてABB社の子会社ABB Capital B.V.から同社への貸付金3,000百万米ドル(323,190百万円)を引き継ぎ、同額をABB Capital B.V.に支払っている。

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★★★
小島啓二自動車部品事業に外部資本を入れ、持分を100%から66.6%へ薄めて規模を取った統合

2019年10月30日、日立製作所と子会社の日立オートモティブシステムズは、本田技研工業並びにホンダの関連会社であるケーヒン、ショーワ、日信工業との間で経営統合契約を締結した。2021年1月1日に日立オートモティブシステムズを吸収合併存続会社、ホンダ関連会社3社を吸収合併消滅会社とする吸収合併を実施し、日立Astemoが発足した。 対価は日立Astemoの普通株式196,058百万円で、現金の支出はない。統合後の日立の所有持分は66.6%となり、それまで100%だった子会社に3分の1の外部資本が入った。

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東原敏昭日立Astemoを発足・ホンダ系部品メーカー3社を統合★★★
小島啓二デジタルエンジニアリングの内製力の9,222億円での外部からの調達

2021年3月31日、Lumadaのデジタルポートフォリオ強化を目的として、米国のGlobalLogic Inc.の買収を決定した。有利子負債の返済を含む買収総額は96億米ドル(約10,470億円)を見込むとし、規制当局の承認等を前提に2021年7月末までの完了を予定した。 2021年7月13日、米国子会社が設立したSPC社の吸収合併を含む一連の手続を経て、親会社GlobalLogic Worldwide Holdings, Inc.の発行済株式の100%を取得した。取得の対価は現金9,222億円で、これとは別に対象会社の借入金1,074百万米ドル(1,185億円)を返済している。

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小島啓二Thales社を買収(鉄道信号システム)★★
小島啓二上場子会社群の売却と親子上場構造の解体

2016年から2023年にかけて、日立製作所が日立物流・日立化成・日立建機・日立金属を順次手放し、2009年3月時点で22社あった上場子会社を2022年度にゼロにした。日立化成は昭和電工側へ495,145百万円、日立金属はベインキャピタル傘下のBCJ-52へ382,042百万円、日立建機は日本産業パートナーズと伊藤忠商事の合弁会社へ182,457百万円で譲渡し、いずれも支配を手放している。 並行して日立ハイテクには531,084百万円を投じて完全子会社化しており、傘下に抱え込むか外へ出すかを事業ごとに割り振った判断であった。

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出典・参考 5件
出典・参考
  • 日立製作所 有価証券報告書 第156期(2025年3月期)【沿革】
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)「日立製作所」の項
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 私の履歴書 経済人12(日本経済新聞社, 1980)
  • 技術開発の昭和史(森谷正規著, 日本経済新聞社, 1986)

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