1908年、久原房之助氏が経営する久原鉱業所の日立鉱山で、工作課長だった小平浪平氏が自社用の電気機械の製造に着手した。当時の電気機械は需要が乏しく、技術と資材の両面から国産化は相当な難事とされていたが、小平氏はこの事業の振興こそ国内産業の発展に寄与すると考えて苦心を重ねた。翌1909年には5馬力の誘導電動機3台を完成させている。1910年には日立鉱山付属の修理工場を開設し、建物130平方メートル・工員5名という規模から出発した。小平氏は、一から十まで輸入に頼っていた電気機械を日本人自らの手で作りたいという念願を抱いていた。
修理工場は鉱山内の自家消費にとどまらず、変圧器・電動機・発電機まで製品を広げ、外部からの受注を取り始めた。1911年7月には日立鉱山から分離して久原鉱業所日立製作所となり、一般産業機械の製作に専念する体制へ移っている。1918年10月には佃島製作所を合併して亀戸工場とし、従来の工場を日立工場と改称した。久原房之助氏は電機部門をあくまで鉱山の付帯事業とみて多角化に消極的だったが、小平氏は分離独立を主張し、1920年2月、日立・亀戸の両工場を擁する資本金1000万円の株式会社日立製作所として久原鉱業から独立した。
独立の翌1921年2月には、経営難に陥っていた日本汽船から笠戸造船所を譲り受けて笠戸工場を開設し、電機メーカーが鉄道車両の製造へ入る事業構成がここから始まった。1926年には米国へ電気扇30台を初めて輸出し、以後の輸出先は中国各地・インド・ビルマ・タイ・近東地域・アフリカ・オーストラリア・南米・ソ連にまで及んだ。1935年5月には共成冷機工業に資本参加して冷凍・空調へ製品を広げ、電動機・発電機・変圧器に鉄道車両と冷熱機器を加えている。
当時の重化学工業の大企業は海外への技術依存が強く、自主的な研究には力を入れず、日本の大学にも目を向けていなかった。その中で企業として国産技術を強く標榜したのが、大正9年に独立した若い企業である日立製作所だった。1934年3月に日立研究所を新設して製品の質量向上と新製品の増加を図り、1941年には基礎研究のための中央研究所の設置を決めて、翌1942年4月に新設している。小平氏はロイヤリティを支払うのであれば同額を自前の研究に投じるべきだという考えを掲げ、研究機関への投資を続けた。1939年4月には多賀工場を新設し、日立工場から日立研究所を独立させている。
1937年5月には鮎川義介氏が率いる国産工業を吸収合併し、戸畑・若松・木津川・深川・安来・戸塚・尼崎の7工場と冶金研究所、従業員約4000名を取り込んで特殊鋼部門へ進出した。原材料から完成品に至るまでの一貫生産の態勢がここで整い、製作種類も電気機器・一般機械のほか鉄鋼原材料品・各種通信機械・鉄道車輌関係へ多角化した。以後は軍需に対応して工場の新設と合併を重ね、1940年9月に水戸工場、1943年9月には理研真空工業を吸収合併して茂原工場を増設し、真空管と電球を製品に加えている。1944年3月には亀有工場から清水工場を、同年12月には多賀工場から栃木工場を独立させた。
拡張の結果、工場数は18を数え、資本金も数次の増額を経て1944年8月に7億円へ達し、名実ともにわが国屈指のメーカーとして発展するに至った。1939年にはブラジルのマカブ発電所向けに出力3300キロワットの横軸ペルトン水車と容量3750キロボルトアンペアの三相交流同期発電機を受注し、内外の注目を集めた。研究の蓄積も進み、工業所有権は戦後間もない時点で4850件あまりに達し、蒸気タービン、竪軸ペルトン水車、電子廻折装置、極超短波用電子管といった発明を含んでいる。
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|---|---|---|---|---|
| 1910〜1944年国産技術を旗印に興した電機メーカー | 修理工場から自前主義で興した国産電機メーカーの始まり 1910年、久原鉱業所日立鉱山の付属修理工場で、東京電燈出身の技術者・小平浪平氏が国産技術による5馬力誘導電動機を完成させた創業。GE・ウェスティングハウスとの技術提携が主流の時代に外国メーカーとの提携を避け、1920年2月に資本金1,000万円の株式会社日立製作所として久原鉱業所から独立した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 株式会社日立製作所として独立 | ★ | |||
| 笠戸造船所を取得 | ★ | |||
| 国産工業を吸収合併・国内工場を拡充 | ★★ | |||
| 1945〜1977年争議による人員整理と、国産技術主義の撤回 | 倉田主税 | 労働組合と対立・約8500名を削減 | ★★ | |
| 倉田主税 | 海外技術の相次ぐ受け入れと、国産技術主義の撤回 1952年から54年にかけて、日立製作所が米RCA・GE・WEと三年連続で技術提携を締結し、創業以来40年以上掲げた国産技術主義を事実上撤回した経営判断。電源部門を率いた駒井健一郎氏(のちの社長)が主導し、火力発電の技術格差を外部提携で埋めた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 倉田主税 | 日立金属・日立電線を設立(子会社分離を開始) | ★★ | ||
| 倉田主税 | Hitachi New Yorkを設立 | ★ | ||
| 駒井健一郎 | システム開発を本格化 | ★ | ||
| 駒井健一郎 | 日立建設機械製造を分離独立 | ★ | ||
| 1978〜2003年半導体と情報への傾斜、そして二度の巨額赤字 | 三田勝茂 | Hitachi Europe Ltd.を設立 | ★ | |
| 三田勝茂 | 256KB・DRAMの量産を開始 | ★ | ||
| 三田勝茂 | Hitachi Asiaを設立(アジア統括拠点) | ★ | ||
| 金井務 | 家電事業を再編 | ★ | ||
| 金井務 | 日立有限公司を設立 | ★ | ||
| 庄山悦彦 | NECと合弁会社を設立(NEC日立メモリを合弁設立) | ★ | ||
| 庄山悦彦 | 最終赤字に転落。2万人の人員削減 | ★ | ||
| 庄山悦彦 | 三菱電機と合弁会社を設立(ルネサステクノロジー) | ★ | ||
| 庄山悦彦 | IBMからHDD事業を買収 | ★★ | ||
| 2004〜2026年巨額赤字を経て、事業を入れ替える経営へ転換した時代 | 古川一夫 | 欧州委員会の納付命令を受け入れず4年8か月争い、棄却されて納付した選択 2007年1月、欧州委員会は日立製作所と関連会社に対して、変電設備に用いるガス絶縁開閉装置(GIS)に関する欧州独占禁止法違反を理由とする課徴金の納付を命令した。日立は違反を認めず、同年4月に欧州第一審裁判所へ課徴金納付命令の取消しを求めて提訴した。 2007年3月期に課徴金の合理的な見積額を引当計上したうえで審理に臨んだが、2011年7月に欧州一般裁判所は訴えを棄却し、同年9月に課徴金が納付された。命令から納付まで4年8か月を要している。 詳細を読む | ||
| 川村隆 | 製造業最大の赤字を受けて上場子会社を取り込み、事業を絞り込んだ再建 2009年3月期に787,337百万円の当期純損失を計上した日立製作所が、川村隆氏を執行役会長兼執行役社長に迎えて構造改革に踏み切った。オートモティブシステム事業とコンシューマ事業を新設分割で切り出し、事業グループを社内カンパニーへ再編したうえで、上場子会社5社に2,556億円を投じて公開買付けを実施した。 情報通信システム技術で高度化された社会インフラを提供する社会イノベーション事業に設備投資と研究開発を重点配分する、という一点へ経営資源を配分した判断である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 川村隆 | カンパニー制を導入(事業グループ再編) | ★ | ||
| 中西宏明 | Western DigitalへHDD事業を売却 | ★★ | ||
| 東原敏昭 | 信号のアンサルドSTSと車両アンサルドブレダの事業の取り込みによる欧州大陸への足場づくり 2015年2月、鉄道システムのグローバル市場における競争力の向上のため、信号・運行管理システム事業やプロジェクトの一括請負事業等の強化を目的として、イタリアのFinmeccanica S.p.A.との間で、同社グループの信号システム及び車両事業を買収することに合意した。 取得は2015年11月2日に完了した。得たのは、信号システムの製造や保守運用を手がけるアンサルドSTSの株式のうちフィンメカニカが保有する全株式と、大量輸送用の車両を製造するアンサルドブレダの事業である。対価はいずれも現金で、STS株式が761百万ユーロ(101,184百万円)、ブレダの事業が30百万ユーロ(4,041百万円)であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 東原敏昭 | 合弁関係の清算と、火力発電事業からの全面撤退 2014年2月に三菱重工業と火力発電システム事業を統合してつくった合弁・三菱日立パワーシステムズについて、南アフリカのボイラ建設プロジェクトの譲渡価格をめぐる仲裁を2019年12月18日の和解で終わらせ、保有する全普通株式を三菱重工業へ譲渡した判断。 和解に伴う損失375,967百万円をエネルギーセグメントで計上し、2020年9月1日に株式の移転が完了して火力発電から退いた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 東原敏昭 | 英国での原発事業の凍結と、海外原発路線の断念 2019年1月17日、取締役会で英国原子力発電所建設プロジェクトの凍結を決定した。事業継続の上で前提とする資金調達モデルや原子力発電所の建設・運営に関する諸条件について合意に至るには、さらなる時間を要すると判断し、民間企業としての経済合理性の観点から止めた。東原敏昭社長は『資金調達モデルなどの諸条件について合意に至るには、想定以上の時間を要すると判断し、今回、民間企業としての経済合理性の観点から、ホライズンプロジェクトの凍結を決定しました』と、凍結に至った経緯を説明している。 2019年3月期には、本プロジェクトに関連する資産の減損損失277,208百万円を含む事業構造改革関連費用294,613百万円を、社会・産業システムセグメントに計上した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 東原敏昭 | 送配電の世界最大手の買収と、エネルギーの柱の火力からの入れ替え 2018年12月17日にABB Ltdと契約を締結し、2020年7月1日、ABB社から分社されたHitachi ABB Power Grids Ltdの株式80.1%を6,850百万米ドル(722,062百万円)で取得した。掲げた目的は、エネルギーソリューション事業のグローバル展開及び強化である。 契約を公表した時点で見込んでいた対価は64億米ドル(約7,103億円)で、実際の支払額はこれを上回った。あわせてABB社の子会社ABB Capital B.V.から同社への貸付金3,000百万米ドル(323,190百万円)を引き継ぎ、同額をABB Capital B.V.に支払っている。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 小島啓二 | 自動車部品事業に外部資本を入れ、持分を100%から66.6%へ薄めて規模を取った統合 2019年10月30日、日立製作所と子会社の日立オートモティブシステムズは、本田技研工業並びにホンダの関連会社であるケーヒン、ショーワ、日信工業との間で経営統合契約を締結した。2021年1月1日に日立オートモティブシステムズを吸収合併存続会社、ホンダ関連会社3社を吸収合併消滅会社とする吸収合併を実施し、日立Astemoが発足した。 対価は日立Astemoの普通株式196,058百万円で、現金の支出はない。統合後の日立の所有持分は66.6%となり、それまで100%だった子会社に3分の1の外部資本が入った。 詳細を読む | |||
| 東原敏昭 | 日立Astemoを発足・ホンダ系部品メーカー3社を統合 | ★★★ | ||
| 小島啓二 | デジタルエンジニアリングの内製力の9,222億円での外部からの調達 2021年3月31日、Lumadaのデジタルポートフォリオ強化を目的として、米国のGlobalLogic Inc.の買収を決定した。有利子負債の返済を含む買収総額は96億米ドル(約10,470億円)を見込むとし、規制当局の承認等を前提に2021年7月末までの完了を予定した。 2021年7月13日、米国子会社が設立したSPC社の吸収合併を含む一連の手続を経て、親会社GlobalLogic Worldwide Holdings, Inc.の発行済株式の100%を取得した。取得の対価は現金9,222億円で、これとは別に対象会社の借入金1,074百万米ドル(1,185億円)を返済している。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 小島啓二 | Thales社を買収(鉄道信号システム) | ★★ | ||
| 小島啓二 | 上場子会社群の売却と親子上場構造の解体 2016年から2023年にかけて、日立製作所が日立物流・日立化成・日立建機・日立金属を順次手放し、2009年3月時点で22社あった上場子会社を2022年度にゼロにした。日立化成は昭和電工側へ495,145百万円、日立金属はベインキャピタル傘下のBCJ-52へ382,042百万円、日立建機は日本産業パートナーズと伊藤忠商事の合弁会社へ182,457百万円で譲渡し、いずれも支配を手放している。 並行して日立ハイテクには531,084百万円を投じて完全子会社化しており、傘下に抱え込むか外へ出すかを事業ごとに割り振った判断であった。 詳細を読む | ★★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(日立製作所)