ノーリツの歴史

The社史の視点(Yuatka-Sugiura)

様々な会社の歴史を調べていると、よくクーデターの裏話に遭遇します。給湯器製造のノーリツの歴史は、まさにクーデターの歴史で、創業者である太田敏郎がクーデターによって失脚したのちに、2度の逆クーデターによって社長の座を奪還し、その直後に上場を果たしたという経緯があります。が、上場後も物言う株主スティールに事業撤退を提案されるなど、絶えず外部から翻弄され続けました。ノーリツの歴史は「会社は誰のもの?」という命題を考える上での良い事例です。

ノーリツ - 歴史沿革

- 太田敏郎(1927生-2020没)

ノーリツの歴史は、1950年に太田敏郎(当時23才)が神戸元町で「やけどをしない風呂釜」を製造している職人を見つけ、能率風呂商会を創業したことに始まる。当初は風呂の施工がビジネスの柱であったが、重要顧客であったある銭湯の夜逃げによって資金繰りが悪化し、創業から1年絶たずに倒産した。その後、太田敏郎は1951年に能率風呂工業(現ノーリツ)を起業して再起を図った。能率風呂工業では自らが風呂を施工するのではなく、特許を持つ能率風呂というアイデアを日本全国の工務店に販売する斬新なビジネスモデルを採用。ノーリツはリスクの少ない能率風呂の開発と販売網の組織化によって業容を拡大した。


  • 1950年 能率風呂商会を創業(創業者:太田敏郎・23歳)
  • 1950年 能率風呂商会が倒産(資金繰り失敗) 
  • 1951年 能率風呂工業を設立(創業者:太田敏郎)
  • 1951年 能率風呂の特許を買収
  • 1953年 全国に代理店約100店を組織
  • 1956年 技術研究所を神戸市須磨に開設
  • 1960年 富塚教授と風呂釜の共同研究
  • 1961年 アルミ製風呂釜GS-1を開発(素材革新)
  • 1962年 明石工場を新設
  • 1962年 プラスティック製風呂釜の開発頓挫
  • 1962年 創業者太田敏郎が社長解任(クーデター)
  • 1968年 ノーリツ社長交代(クーデター)
  • 1968年 会社名を「ノーリツ」に変更
  • 1968年 全国地方都市に支店新設
  • 1980年 太陽熱温水器の過剰生産が問題化
  • 1980年 社長解任決定(クーデター)
  • 1980年 創業者太田敏郎が18年ぶり社長復帰
  • 1983年 アフターサービス充実のため子会社設立
  • 1984年 大阪証券取引所に第二部に株式上場
  • 1987年 東証一部に指定
  • 1988年 東京八王子に研究所(住設進出)
  • 1991年 関東産業(群馬前橋)を子会社化
  • 1993年 上海でガス給湯器製造販売を開始
  • 1994年 太田敏郎が神戸商工会議所副会頭に就任
  • 1995年 太田敏郎が会長就任
  • 1996年 SAP・R/3導入スタート
  • 1997年 つくば工場新設(システムバス生産)
  • 1997年 加古川事業を新設
  • 2000年 R/3本番稼働中止・特別損失16億円
  • 2001年 ハーマンなど同業3社と提携
  • 2002年 カリフォルニアに現地法人
  • 2008年 大株主スティールがTOBを提示
  • 2008年 大株主スティールが一部事業撤退を提案
  • 2008年 創業者が株主提案に猛反対
  • 2012年 特別損失166億円
  • 2013年 櫻花中国を約80億円で買収
  • 2014年 オーストラリアDUXを49億円で買収
  • 2014年 家庭用太陽光発電から撤退
  • 2019年 米2社を買収
  • 2019年 システムバス分野の譲渡失敗
  • 2020年 創業者太田敏郎の逝去(92歳)
  • 2020年 希望退職者789人応募
  • 2020年 住設システム分野を事業譲渡

  • ノーリツ - 経営戦略

    1951年 工務店を組織化

    1950年に太田敏郎(23才)が神戸の元町で風呂の施工業を営む能率風呂商会を創業。同社は資金繰りの悪化で1年を絶たず倒産するが、1951年に太田敏郎は能率風呂工業を設立し、施工業者ではなく、工務店などの施工業者を組織化するビジネスモデルに鞍替えする。能率風呂工業は「能率風呂」に関する特許を買収したことで一定の期間、競合の参入を防具ことに成功し、全国各地の工務店を組織化することで業容を拡大した。一方、技術開発にも注力し、1961年には日本初となるアルミ製の風呂釜の開発に成功し、従来の銅製の風呂釜に変わる業界のデファクトスタンダードを確立している。


    1988年 住設システム参入(多角化)

    1988年にノーリツは風呂・給湯器という祖業だけではなく、住宅設備機器を総合的に手がけることを目指し、住宅機器メーカーとして多角化を図った。1988年には東京八王子に拠点を新設し、創業の地が神戸である関係上、地理的に手薄であった関東における研究開発および製造販売の強化を図った。1990年代を通じてノーリツはつくばなどの関東に工場を新設することで、関東市場の掌握と、住設機器の販売による売上高の拡大を目論んだ。また、競争激化によって経営難に陥った同業他社を子会社化することで、生産販売体制を強化する。


    2013年 櫻花中国を買収

    1990年代からノーリツは中国市場に参入していたが、販売力に勝るA.O.Smithなどの競合企業の後塵を拝していた。このため、ノーリツは中国の給湯器事業を強化するために、2013年に現地メーカー櫻花衛厨中国(江蘇省拠点)を約80億円で買収した。櫻花衛厨中国の売上高は約230億円(2011年12月時点)であり、従来のノーリツの中国事業の売上高76億円に対して大きく上回る水準であった。だが、中国市場では家電量販店の販路をおさえたA.O.Smithの1強が続いており、2019年時点でノーリツの中国事業の利益水準は低迷している。


    2019年 北米2社を買収

    2019年にノーリツは北米事業を強化するため、ボイラ製造会社米PBヒート社および、レストラン向けの給湯器などの設計を行うFRG社を買収した。ノーリツは北米における販売網を強化することで、事業の拡大を目論んでいるものと推察される。


    ノーリツ - 炎上案件

    1961年 創業社長に解任動議

    1961年にノーリツは明石工場の建設や、日本初のアルミ製風呂釜の開発成功によって急成長を遂げた。だが、一部の役員が創業者である太田敏郎を快く思わず、太田敏郎が主導した「プラスチック製の風呂釜」という当時最先端の素材を用いた技術開発が失敗したことを問題視し、創業者の社長解任の緊急動議を提出した。この結果、太田敏郎は社長の座を追われて最終的には常務に降格され、以降18年にわたって創業者にも関わらず「役員」という立場に甘んじた。その後、太田敏郎は1968年に当時の社長を解任し、1980年にも当時の社長を解任し、18年の時を経て社長に復帰した。なお、これらのクーデターを巡り、怒号が鳴り響いたと言われている。


    2000年 R/3本番稼働中止

    1996年にノーリツはSAPジャパンより基幹システム「R/3」の導入を決断し、総額約24億円を投資して基幹システムの構築に乗り出した。ところが、R/3は生産起点のパッケージシステムを志向したのに対し、ノーリツは販売起点の業務フローを重視したため、ノーリツはR/3の業務フローに適合することが難しかった。当初はソフトの追加を試みるが結果として稼働の遅延が生じ、2000年にノーリツは16億円の特別損失を計上した上で、R/3の本番稼働を中止する方針を決めた。この失敗について、竹下克彦ノーリツ社長(当時)は「冷静に考えると、当社も悪い」「我々は情報化の素人で、ITベンダーを信用し過ぎた。失敗の原因はこれに尽きる。経営者として、こんな過ちは二度と繰り返したくない」(2004/5/3日経コンピューター)と語っている。


    2008年 スティールが株主提案

    2000年代に米国の投資ファンドで「物言う株主」として名を馳せたスティールが、ノーリツの株式を買い進めて同社の大株主となった。スティールは、ノーリツの株価が低迷する原因を、住設機器やユニットバスといった給湯器以外の事業が不審であることと結論づけ、2008年ごろにノーリツに対してTOBを宣言するとともに、不採算事業からの撤退を要請した。これに対し、ノーリツの創業者であった太田敏郎は憤慨して株主総会でスティールの提案に同意することに猛反対したと言われている。なお、スティールは2008年のリマーンショックを経て日本での活動を縮小し、ノーリツの株価を売却したため、スティールによるノーリツTOBは幻に終わった。


    2020年 住設システムから撤退

    2019年にノーリツは構造改革を行う方針を決断し、1988年に参入した住宅システム分野からの撤退を決めて同事業を永大産業に譲渡する方針を決めた。合わせて、45才以上の従業員に対して希望退職者の募集を行い、789人が応募して人員整理を推し進めた。ノーリツの多角化路線はLIXILとの競争で優位に立てなかった。このため、不採算事業による収益率の低下、生産性の低い正社員の増大による固定費の増加という問題に直面しており、希望退職と事業撤退によるコスト構造改革を試みている。